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根付きの魚

作者: さんこ

 どこかの小さな島にある、港の近場にある漁礁(ぎょしょう)

 それが、彼の住処(すみか)であった。


 浅めの海底にあるゴツゴツとした複数の岩と、そこに群がるように茂って、ふさふさと揺れる海藻(かいそう)

 そこには丁度良い穴ぼこや隙間がいくつもあって、そこに(おさ)まると安心出来るし心地がよい。

 彼はここで生まれて、そしてこの揺り籠のような場所を離れた事は一度もなかった。

 何故なら彼はこの辺一帯で一番賢いお魚であり、離れる必要などないと知っていたからである。

 ……そう、彼はとても賢いお魚だったのだ。



 彼の周りには、彼よりも若い小魚(こざかな)しかいなかった。

 ここで生まれる多くの魚達は、途上で食べられたり、長じてからは旅に出て行く。

 戻ってくる魚もいるにはいるが、皆一様に疲弊(ひへい)しボロボロであり、故郷に帰ってきて安心するのか、幾分もしないうちにプカリと海面に浮かび上がっていったり、知らぬ間に跡形(あとかた)も無く消え去っているのがざらであった。

 そうであるから、ここには多くの若い小魚と、少数のボロボロに傷ついた魚と、彼のように賢く綺麗で立派なお魚しかいなかった。

 とはいえ、若い小魚はボロボロの魚を気味悪がったり、恐れたりして近づかず、ボロボロの魚もまた海底にてじっと身を潜ませるだけであったので、両者の間に深い繋がりは生まれず、この漁礁(ぎょしょう)は実質、彼と若い小魚達とで成立っていたといえる。

 そして彼のような賢いお魚は、大変稀少で貴重であったので、この辺一帯で彼以上に賢いお魚の存在はなく、詰まるところ、彼はこの世で唯一無二(ゆいいつむに)の賢く綺麗で立派で長生きなお魚であると、そう自負していた。



 そんな彼には仕事があった。それはこの漁礁(ぎょしょう)で生まれる若く未熟な小魚達を教え導く仕事である。

 これは誰に頼まれるでもなく、彼が定めた大いなる役割であり、そして他の凡庸(ぼんよう)なる小魚達では決して真似出来ない事であった。


 彼は生まれてきた小魚達に、この漁礁(ぎょしょう)での生き方を教えた。

 寝床の見つけ方から、ごはんの獲り方、潮の流れに、外敵からの逃げ方、身の守り方。

 基本から応用まで、その小魚に合わせて優しく、分かりやすく、懇切丁寧(こんせつていねい)に教えた。

 どうしてもごはんを獲れない魚には、当面の糊口(のりぐち)(しの)ぎ方を教えたし、冒険心旺盛(おうせい)な魚には、昔自分が他の魚から聞いた話を面白(おもしろ)おかしく語って聞かせ、そしてその小魚が旅立つ(あかつき)には、大勢の小魚達を集めて盛大に見送った。


 彼は多くの小魚達から(した)われ、尊敬を集めた。

 しかし、それは当然の事であった。

 何故なら、彼はこの世で唯一無二(ゆいいつむに)の賢いお魚であったからである。


 一方で、そんな賢いお魚である彼を嫌い、反発したり反抗したりする小魚達もごく少数いた。

 だが、彼を嫌う小魚達は不思議な事に、この漁礁(ぎょしょう)から離れていったり、いなくなったりするものだから、大した問題にはならなかった。

 これもやっぱり、彼がこの世で唯一無二(ゆいいつむに)の賢いお魚である所以(ゆえん)なのであろう。


 彼はこの漁礁(ぎょしょう)と、そこに住む魚達を心底莫迦(ばか)だと思っていたが、この退屈で飽き飽きとするような場所を離れる事は決してなかった。

 彼は賢いお魚であり、そしてそうで在るが故に、砂時計の砂がさらさらと時間をかけて落ちていくように、ゆっくりとこの漁礁(ぎょしょう)の引力に(とら)われ、気付けばもう抜け出せなくなっていたのだ。

 自らの賢さによって、一所懸命(いっしょけんめい)に小魚のための籠を(こしら)えたはいいものの、自分も一緒になって雁字搦(がんじがら)めとなっているのだから、それはなんと滑稽(こっけい)なことか。

 彼は砂時計に(おさ)まっている、その砂の一粒でしかないと自覚していたが、その事には意図的に目を(つむ)り見ないふりをしてやり過ごした。

 彼は唯一無二(ゆいいつむに)の賢いお魚で、そうすると……少しだけ安心できたからである。




 このところ、賢いお魚である彼には悩みがあった。

 大した事ではない。

 間が悪いとか、潮の流れが悪いとか、星回りが悪いだとか、その程度の些細(ささい)な事である。

 賢いお魚である彼にとってみれば、本当に大した問題ではないが、しかし大事を取って引き籠る事にした。大した問題ではないが、決まりが悪い思いもしたのである。


 引き籠り先は(あらかじ)め決めてあった。

 彼はこの漁礁(ぎょしょう)で一番のお気に入りの場所を目指した。小魚達には危ないから決して近づいてはいけないと言い(ふく)めてある秘密の場所である。

 秘密の場所であるから、小魚達の目を盗んでこっそりと泳いで、小魚達の気配がないところまでくると、いそいそ、そわそわとした様子で泳ぎだした。


 穴ぼこや隙間で入り組んだ迷路のような道を、彼は下の方へ底の方へと、暗い方へ闇の方へと迷い無く泳ぎ進んでいった。


 まだ好奇心旺盛(こうきしんおうせい)稚魚(ちぎょ)であった時分(じぶん)に、何度も訪れた場所である。(ひさ)しく訪れてはいなかったが、身体は覚えているものだ。

 彼は嬉しくなって、震えるようにして速度を上げて泳いでいった。



 何もない暗闇の広がるポッカリとした空間。これが彼の秘密のお気に入りの場所である。

 何もない、……というわけでもない。

 ここは古いものが降り積もって堆積(たいせき)し、それらがただ静かに眠る場所。

 だから彼はこの場所を(ひそか)かに墓と呼んでいた。

 ここに来ると、雰囲気のせいか穏やかな心地になれる。

 良い感じの微睡(まどろ)みが襲ってきて、彼も自分好みの寝床を見繕(みつくろ)うと古いもの(それら)(なら)って、静かに身を横たえた。


 夢と(うつつ)の間を何度も往復して、そして彼は夢を見る。それは遠い昔の追想(ついそう)であった。


 彼がまだ稚魚であった頃、ここには一匹の魚が住んでいた。

 随分と遠くを巡ってきた魚のようで、その身は他の帰ってきた魚同様にボロボロであったが、一つ違う事には、その魚はここの生まれではなかった。

 ここの生まれではなかったからか、他の魚達とはどこか違ったように感じられて、好奇心旺盛な稚魚であった彼の興味を(いた)く刺激する存在であった。

 その魚に会う為に、彼は暇を見つけては、この場までいそいそと下りてきて、その魚を注意深く観察した。


 起きているのか、眠っているのか、このポッカリとした暗闇の中で、その魚は闇と同化するようにじっと動かなかった。あまりにも動かないものだから、死んでいるのかと思って、彼が口先でつついてみると身じろぎはする。

 だから、起きているのか、眠っているのかについては判然(はんぜん)としないが、その魚は確かに生きているのだと分かった。


 その魚は時折、もごもごと何事かをしゃべった。しかし稚魚である彼には、その魚が何を言っているのか全く分からなかった。全く分からなかったが、分からないという新しい事実が彼には面白く感じられて、その魚の側で聞き耳を立てるのが彼にとっての日課となっていった。


 夢現を揺蕩(たゆた)う魚の口ずさむ言葉に耳を傾ける日々が続き、彼はようやくその魚が歌っているのだと分かった。


 故郷の歌、勇気の歌、旅立ちの歌、別れの歌、冒険の歌、友達の歌、恋の歌、悲しみの歌、喜びの歌、怒りの歌、祖先の歌、ごはんの歌、夜の歌、朝の歌、海の歌、潮の歌、川の歌、山の歌、命の歌、龍の歌……。


 その魚は夢現の中で、その魚とその魚の生涯について歌っていた。

 その事実を突き止めた時、彼の身体に喜びが走った。

 彼は更に、熱心にその魚の歌を聴き込むようになった。

 そして、(ここ)でこの面白い魚の歌を、ずっと側で聴いていられたらいいのに、と素直にそう思った。



 ある日の事である。

 ずっと夢現を揺蕩(たゆた)っていた魚が、突然むくりと起きたかと思うと(にわ)かに(あわただ)しく動き出した。

 そんな機敏(きびん)な動きができたのか、という速さで最下層の奥まったところにある墓を出て、迷路のように入り組んだ道を迷うことなく駆け登っていく。稚魚である彼も必死に追いかけるが追いつかず、遂には漁礁(ぎょしょう)の表へと出た。

 多くの魚達が突如として底から昇ってきた魚に驚きと警戒の視線を向けるが、その魚はそれらを一顧(いっこ)だにせず漁礁(ぎょしょう)を出て行く。

 稚魚である彼も慌ててその魚の後を追っていく。

 その魚は真っ直ぐに島の港にある堤防へと向かい、そこから垂れ下がる何本もの釣り糸の中から迷うことなく一本を選びとり、ぱくりと勢いよく食いついた。


 それはとても呆気ない終わりであった。彼の好奇心旺盛な稚魚時代は、夢現を揺蕩(たゆた)う魚との唐突な別れと共に終わったのかもしれない。



 夢の終わりはいつも悲しい。彼は夢から(うつつ)へと戻ると(しば)瞑目(めいもく)した。

 けれど悲しいばかりではない。

 久しぶりに夢現を揺蕩(たゆた)う魚を思い出して、懐かしさと共にに込み上げる思いもあった。

 この場所に(たたず)んでいると、あの魚の思い出をより深く思い出せる、そんな気がして。

 彼は(おもむろ)に、あの魚が歌っていた歌を思い出せる限り口ずさんだ。

 初めはぎこちなかったが、歌っていくうちに興が乗ってきて、好きだった歌、嫌いだった歌、楽しい歌、悲しい歌と次々と歌い上げていった。


 それだけでは飽き足らず、彼は今度は自分の歌を歌った。

 稚魚だった頃の歌、漁礁(ぎょしょう)を探検する歌、自分の好きなごはんの歌、あの魚を見つけた歌、あの魚を知っていく面白さの歌、あの魚を失った悲しみの歌、漁礁(ぎょしょう)での生活の歌、この漁礁(ぎょしょう)試行錯誤(しこうさくご)した日々の歌、楽しかった日々が過ぎ去って静かに絶望していく歌。何もない、何もなかった歌。


 形も何もあったようなものではない、支離滅裂(しりめつれつ)でどうしようもない。

 あの魚ほど広い世界を知ってもいなければ、聞きかじりで凄さも何もない、そんな歌でしかなかったが、彼は力の限り(おのれ)の歌を歌った。


 ここには何もないからだろうか、素直に気楽に歌を歌えた。

 いたとしても無口な観客ばかりであったから、誰に何を言われるわけでも、文句すらも何もない。

 だから彼は、己の歌を気持ちよく歌い上げた。


 自分の全てを(さら)け出すように出し切ってみると、存外(ぞんがい)清々(すがすが)しいものであった。

 すっきりとした面持(おもも)ちで、彼は最後にあの魚の歌の中で一番気に入っている歌を歌おうと思った。


 龍の歌。夢現を揺蕩(たゆた)う魚の歌の中で、一番意味が分からなくて、だからこそ面白いと気に入っていた歌である。

 全ての魚は龍を目指し龍と成る、そんな内容の歌だった。龍とは細長い生き物であると、あの魚はそう歌っていたが、細長くなってどうするつもりなのか、賢いお魚となった彼にも分からず、色んな魚に尋ねてみても明瞭な答えなど返ってくる事はなかった。

 そんな謎の歌を〆の歌としてさて歌おう、と口を開けたその刹那(せつな)。ビリビリとした電流が身体を駆け抜け、彼にある(ひらめ)きを(もたら)した。


 夢現を揺蕩(たゆた)う魚が暗闇の中を泳ぎ抜けていく。青みがかった銀色の身体が光り輝き、その身体の速さに光が追いつかず、その場に暫く残光として留まる。

 それはまるで、一筋の青銀色の光の線が通り抜けていくよう。

 それはまさに、あの魚が歌っていた龍そのもの。

 あの魚がいる、龍と成って。彼は確信した。


 幻影のような、それでいて本物のような龍と成ったあの魚が、まるでついて来いといわんばかりに彼を(いざな)う。



 今なら分かる気がする。今ならあの魚のように成れる気がする。

 ……そして今なら、きっと追いつける。

 彼は龍と成ったあの魚を追いかけた。


 暗闇に埋もれた墓を出て、穴ぼこや隙間で入り組んだ迷路のような道を、迷う事無く、青銀色の光目掛(めが)けて上へ上へと昇っていく。

 しかし、まだ追いつかない。


 迷路を抜けて、漁礁(ぎょしょう)の表まで昇ってくると、小魚達から驚いたり(いぶか)しむような視線を投げつけられたが、彼はそれを気にすることはなかった。

 思えば随分長いこと、この漁礁(ぎょしょう)に留まっていたものである。自分の事を長生きなお魚だと思ってはいたが、あの魚よりもだいぶ歳を重ねてしまっていたのではないだろうか。

 そう思うと、固執していたものをすんなり降ろせるような気がして、彼は彼の(つちか)った全てをここに置いて、自分の意志で漁礁(ぎょしょう)を出た。

 しかし、まだ追いつかない。

 あの魚は港にある堤防の方へと泳いでいく。

 彼も負けじと食らい付くように追いかけていく。


 堤防からは釣り糸が一本垂れ下がっていた。

 彼もあの魚も、その釣り糸を目指して真っ直ぐに泳いでいく。

 距離がジリジリと縮まって、彼かあの魚かどちらが先か分からないが、彼は勢いよくその釣り針へと食い付いた。


 途端にぐいっと身体が持ち上げられる。

 結局追いついたのか、追いついてなかったのかそれも分からないし、あの龍と成った魚の姿は忽然(こつぜん)と消えてしまったが、けれど側にちゃんといるような気がした。

 彼は多幸感の中、無抵抗にだらりと身を預けゆっくりと上昇していった。

 海面に彼の口先がぶつかるその刹那(せつな)

 これが生まれるという事なのだ、とそう悟った。

 その直後、彼は光に包まれた。

 彼が海に戻ることは、二度となかった。




 鏡面のように穏やかな海に、空の青さが映っている。

 そこに一陣の風が悪戯するようにひと撫でして小波をたて、空へと大きく吹き抜けていった。



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