ペットの身代わり
2日後、ルナを迎えに来たシャルル様は真っ青な瞳を見開いて、私たちを交互に見た。
「は? 悪い冗談はよせ。早くルナを出せ」
こめかみがピクピクしているシャルル様に向かって、もう1度変なことを言ったら叩っ斬られそうだ。
しかし怯まなかったのは当のルナだ。
「だから、わたしがルナなんです、シャルル様。ほら、この首輪、シャルル様がオーダーメイドしてくださった。それにこの耳と尻尾、分かりますよね? ルナだって」
そう言ってルナは、両耳を持ってピクピクさせ、お尻を向けて尻尾をフリフリした。
ちなみに服は私のワンピースを貸して、尻尾が出せるように切り取った。
「……獣人か。とうの昔に絶滅したはずの。まさかルナがそうだったとは……どうして今まで隠していた?」
「隠してたわけじゃありません。ルナは人狼族の生き残りです。生き残るために魔法をかけられていました。ただの狼として生きられるように。人の姿になることがないように。しかし『運命の相手』と出会い、接吻を交わしたとき魔法は解けるのです。ルナはフレディと出会い、運命の恋に落ちました。だからもうシャルル様のもとには帰りません! フレディのお嫁さんになります!」
ルナはアンバー色の鋭い瞳でシャルル様を見据えた。
人間の姿になったときには私も腰が抜けそうなほど驚いたが、そのきっかけが弟とのキスだったとは!
この2日間、シャルル様に頼まれた弟は、それはそれは『精一杯の愛情を持って』ルナに接していた。
優しくご飯を食べさせて、足の包帯を替えて傷口を消毒し、トイレの世話やブラッシング、歩行のリハビリ。何をするにつけても、良い子だねと褒めて撫でていた。
すっかり愛着が湧いて、別れが寂しいなあとぼやいていた。
「す、すみませんっ。今日でもうお別れだと思ったらセンチメンタルになっちゃって、ルナの鼻先にチュッってしちゃったんです。まさかこんなことになるなんて、思ってもみなくて」
弟が焦って弁解した。
「鼻先にチュッ? 貴様よくも俺のルナに」
「申し訳ございません。ルナがあまりにも可愛くて、つい」
「大体そんなことで魔法が解けるなら、俺だって散々してるだろが。チュッ、くらい」
シャルル様が苛立ちを隠さず言った。
「はい。でもシャルル様ではルナの魔法を解くとこができなかった。すなわち、シャルル様はルナの運命の相手ではなかったということです。ルナ、シャルル様のことは大好きですけど、それはご主人様としてですし。異性として、胸がキュンキュンするのはフレディなんです。こんな気持ち、生まれて初めて……」
女とは残酷な生き物だ。
大好きなご主人様が燃え尽きた炭のようになっているのにお構いなく、ルナは弟を見てぽっと頬を赤らめた。
そしてぴょんと飛びつくと弟の腕にしがみついて、大きな尻尾を振った。
今さらだが、大きな犬だと思っていたルナは狼だったのだ。
そして本当は人狼族という種類の獣人……。
「貴様ぁ……絶対に許さん」
シャルル様が低く唸るように言った。
腰に差した剣に手をかけた。
ひっと息を飲んだ。
「人のものに手を出しやがって。信頼して預けたら、この仕打ち。そこに直れ。斬り捨ててやる。ルナ、離れてろ。主人の命令だぞ」
「お待ちくださいっ!」
慌てて止めに入った。弟を斬り殺されてはたまらない。
父母亡き後、フレディの成長だけが私の唯一の楽しみで、生き甲斐だったのだから。
「斬るなら、弟でなく私を。私はこの子の親代わりで、唯一の肉親、保護者です。監督不行届でした。責任は全て、この私が取ります」
「姉ちゃんっ、馬鹿言うなよ」
「シャルル様、でしたらルナをお斬りください。真実の愛を貫いて死ねるなら、本望です」
ルナが歩み出て、私たちの前に立ちはだかった。黒い耳がピンと立っている、凛々しい立ち姿だ。
「ルナ……そこまでこの男を……」
シャルル様は弱々しく言って、剣を仕舞うとうなだれた。
「昨日今日会った男に、俺は負けたのか。12年。お前と過ごした日々は12年だぞ。こんなことなら、一生、城に閉じ込めておくべきだったな。けど、狩りをするお前のイキイキとした姿を見るのが好きだったんだ。お前のその凛とした眼差し、ビロードのような手触りの毛並み、じっと耳を傾ける姿勢。全部好きだ。なのにもう俺の手元から、失ってしまったんだな……」
シャルル様はそう独白し、ぽたりと涙をこぼした。思わず目をみはった。まさか泣くなんて思わない。
しんとした場を打ち破ったのは、またしてもルナだった。
「大袈裟ですよ、シャルル様。お嫁に行くといってもここは領土内ですし、いつでも会いに来てください。ルナもシャルル様に会えなくなるのは寂しいですし。いっぱい子供を生んだら、何匹かシャルル様に差し上げてもいいですし。ルナとフレディの子供ですから、きっと可愛いですよ」
ね?と言って、ルナはニコニコして弟の顔を仰ぎ見た。
あまりに急展開だし、犬猫生まれたらあげるよの感覚についていけない。頭がくらくらする。
第一、弟の気持ちはどうなるのか。運命の恋だの、結婚して2人の子供などと、勝手に盛り上がっているのはルナだけだ。
それを指摘しようとしたが、ルナに抱きつかれて胸を押し当てられている弟は、だらしなく鼻の下を伸ばしていた。
うん、まあそうだね、などと口ごもっている。
まあ、仕方ないといえば仕方ない。人里離れた家に住み、 魔物狩りの仕事に従事している弟は、女性にほとんど免疫がない。
ルナみたいに綺麗な子が好きだと言って、くっ付いてきたら、まんざらではないのだろう。
「いらぬ」とシャルル様が険しい声を出した。
「この男との子など、頼まれてもいらぬ。それより、この女をもらう」
そう言ってシャルル様が指差したのは、私だった。
ええっ!?
「貴様は、俺の一番大事なものを奪ったのだから、貴様にも一番大事なものを引き渡してもらう。唯一の肉親で親代わりということは、この女が貴様の一番大事なものだな。ルナをやる代わりに、この女を貰っていくぞ」
「シャルル様、そんな勝手は困ります。姉は物じゃないんですから!」
「うるさい、黙れ。女、お前さっき俺に言ったな。弟がしでかした事の全ての責任は自分が取ると。あれは上辺だけの言葉か」
ぎろっと鋭い視線がこちらへ飛んできた。
前言撤回しようものなら斬り殺されそうな剣幕だ。
「い、いえっ、滅相もございません。本心です」
「なら俺と来い。良いな」
きゃあっと場違いなはしゃいだ声を上げたのは、ルナだ。
「シャルル様はフレディのお姉さん、ルナはフレディと。4人でダブル結婚式、挙げちゃいます?」
「ルナ……お前、人になって随分キャラが変わったな……。脳内、花畑になったのか? 俺たちが結婚するわけないだろ」
シャルル様がそう仰るのは、当然だ。
シャルル様は領主様のご令息。平民の孤児を花嫁に迎えるはずがない。
うちへ来いと言うのは、奴隷になれという意味だろう。
こき使われる女中ならまだしも、虐待して憂さ晴らしするための奴隷も世の中には存在すると聞く。想像して背筋が凍った。
「ルナの代わりなんだから、ペットに決まってるだろう」
「え?」
「魔物狩りのパートナーを務めろとは言わん。見たところ、とろそうだしな。ただそばにいて、思いっきり甘えて、俺を癒してくれ。ひたすら慰めてくれ。それだけでいいから……頼む」