生き延びる決意
「――フッ!!」
右手に握っていたナイフを標的の喉元へと突き出す。
「いい感じ、いい感じ」
会心の出来だと思った一振りは工藤さんの気の抜けた声色と共に伸ばされた腕に掴まれる。振りほどこうにもコンクリートに包まれたかのようにピクリとも動かない。
「このくらいにしておこうか」
その言葉によって開放された右腕が自由になり、俺は恨み節のこもった視線を向けた。
「十八時に集合でしたよね。今やっと十七時になりましたけど、何で俺だけこんな早くなんですか」
今日は作戦結構の当日。あの会議室で最前線に駆り出されると伝えられた日から一週間とちょっとが過ぎた。
この一週間、本性を現したように訓練の内容が変化した。ストレス発散が目的だった射撃訓練はより密度の濃いものになり、ナオは五十嵐さんと個別の訓練を受け、俺は工藤さんとナイフを用いた近接格闘訓練を受けている。
教わる事は当然のように人間の殺し方。期間が一週間と短い影響もあり、徹底的に人間の急所だけを狙う動きを叩き込まれた。
「老婆心かな。最も危険な任務を与えるのだから、心配しちゃうんだよ」
「だったら作戦から外してくださいよ……」
今更無理な話だと分かってはいるけど、参加したくない気持ちは今でも変わらなかった。
「まともに動けるのは僕たち特殊感染者だけだからね。仕方がないさ」
「俺たちだけって、感染した隊員も大勢参加するんでしょ?」
「六十名だったかな。まあでも、あくまで彼らは五十嵐三佐と佐々木君に操られる人形みたいなものだからね」
俺はまだ顔も見ていないけど、今日の作戦の為に全国から自衛隊員を掻き集めたと聞いていた。龍太郎を連れ帰った日から五十嵐さんが姿を見せなかったのは、それらの隊員たちを輸送機で運んでいたからだったらしい。
と言うか、六十名って少なすぎやしないだろうか。天皇陛下と総理大臣を奪い取るのだから、もっとこう大規模な作戦でもいいだろうに。
「敵の数って聞いたこと無かったですけど、分かっているんですか?」
「確か百二十人くらいだったかなあ?」
「倍じゃないですか!? 駄目でしょそんなの!!」
「地下シェルターに大勢で突っ込むのもナンセンスだからねえ」
「そりゃ……そうかもしれませんけど……」
シェルター内は大人が四人並んで歩けるサイズだと聞いている。決して広くはない通路なのだから大勢で向かうには不向きなのは間違いない。
そう納得はできるけれど、相手は一般人ではなく自衛隊員の中において、特殊部隊とくくられる危険な集団なんだ。その集団よりも半分も少ない人数で攻め込むと言われたら不安しか無い。
「心配しなくても何とかなるさ。シェルターに入ってしまえばこっちの勝ちだからね」
「何度もそう言ってますけど、本当ですか?」
「本当だってば。それより、君の役目が重要なんだ」
水力発電所を防衛する敵を排除するのが工藤さんと龍太郎の役目。俺は水力発電所から対岸に位置するヘリポートまでの道中に配置されている敵を排除するのが役目だった。
人数にして三人。ダムの上に通る道路に等間隔で配置された人たちを一人残らず殺さなければならない。
「君が成功するか否かで結果が大きく変わる」
「自信もないし、やりたくもないですよ……」
「こればっかりは覚悟を決めてもらうしかないね。なあに、君ならきっと出来るさ」
出来ると言われて簡単に人殺しを出来るとも思えないが、出来ないと仲間が、何よりもナオが危険に晒されてしまうのも事実であって、なんとも複雑な気持になってしまう。
「他に今のうちに聞いておきたい事はあるかい?」
「特には……無いです」
「ならここで終わりにしよう。後は作戦開始まで会議室で時間を潰しておいてね」
「分かりました」
立ち去っていく工藤さんの背中を横目に見つつ、俺は頭を掻き乱しながら会議室へと足を向ける。
聞きたい事なんてあるわけがない。あるとすれば、作戦を拒否したいという率直な願いだけだ。
憂鬱な気分で会議室へ辿り着き、扉を開けて中を覗くが誰の姿もない。そりゃ集合時間より一時間も早いのだから当然だと思いつつ部屋に踏み入れようと思った時、不意に声をかけられた。
「部屋にいねえと思ったら、もう来てたのかよ」
顔を向けると龍太郎が立っていた。口酸っぱく何度言い含めても決して衣服を着ようとしなかった問題児が珍しくズボンを履いているのが新鮮だった。
「ナオは……一緒か」
龍太郎の大きな体に隠れて一瞬見えなかったが、ナオも少し離れて着いてきていた。
そのまま廊下で話し込むでもなく、俺たちは無言のままに会議室へ入り、各々の定位置へ腰を下ろして様子を伺うように黙り込んだ。
「生存者を……殺すのよね、アタシたち……」
決行の時間まで一時間を切った中、最初に口を開いたのはナオだった。
その内容が何とも重く、返す言葉が見つからずに黙り込んでしまう。
「当たり前だろうが。今更になってビビってんのか?」
「相手は人間なのよ! 当然でしょ!!」
呆れたように返す龍太郎に、すかさずナオが声を荒げて噛み付いた。
「殺すしかねえんだ単純だろうが。殺らなきゃ殺られる。自分がじゃねえ、家族が殺られんだ。忘れちまったのか? こっちは人質を取られてんだぞ?」
「言われなくても分かってるわよ!」
忘れるわけがない。今日までずっと頭からこびりついて離れなかったんだ。
龍太郎は若葉ちゃんを、俺とナオは両親の身柄を押さえられている。いや、三等親と言っていたから親戚を含めて生き延びている全員だろう。
親族の安否を確認したことはない。今どんな状況なのか知りたいという欲求より、尋ねた事で親族に危害が及ぶのではないかという恐怖感のほうが大きかった。
「やりきるしかない。善悪なんて考えてる場合じゃねえよな……」
自分自身に言い聞かせながら今夜起きる出来事を必死に肯定する。
今まで感染から逃げ延びた生存者を必死に救ってきたけど、今日だけは正反対に生存者を殺さなければならない。それも一人や二人じゃない、救助対象以外は全て殺さなければならないんだ。
これはもう仕方がない事だった。天秤の皿に身内の命を乗せられたら、他人の命を何百何千と乗せられても釣り合うわけがない。
「まあ、相手が感染してるかどうかの違いしかねえんだ。そこまで高尚な命でもねえだろ」
「…………」
冷酷に割り切った龍太郎の言葉に反応は出来なかったが、心の奥で頷いている自分がいた。
なんとも言えない沈黙が訪れた時、ズボンのポケットに仕舞っていたスマートフォンが激しく震えだす。
全員が同じタイミングで取り出して画面を確認し、何も言わずに椅子から立ち上がる。
集合を促す工藤さんからのメールだった。
「いっちょやるか!」
荒々しく会議室のドアを開け放ち、龍太郎が先人をきって進んでいく。
俺はその後を歩きながら隣を歩くナオへ向かって静かに拳を突き出す。
「俺たちは大勢の感染者を殺してるんだ」
「分かってるってば……」
互いに拳を重ね合わせ、俺とナオは心の中で生き残る誓いを交わした。
決意を胸に建物を後にし、輸送機が待つ格納庫に向かうと、慌ただしく動き回る自衛隊員たちの背にした工藤さんが俺たち三人を出迎えた。
「本番だ。三人とも準備は出来ているかい?」
開口一番の問に三人揃って言葉ではなく頷きで返す。
「先に伝えておくけど、今日の作戦が終わった後、僕は君たちとお別れになる」
「え? どうしてですか?」
先の事なんて考えたことも無かったけれど、唐突に最後だと言われると理由が気になってしまう。
「無事に皇族と首相を救助できたら僕はその護衛に就くんだ。それに、君たちだって家族を人質に取るような男と一緒にいたくないだろう?」
「当たり前だクソが!」
なんと返そうと考えた時には龍太郎が一言で俺の内心を表現してくれた。
これで最後かと思うと込み上げてくる感情があるかと思ったけれど、そんなものは一切無い。家族が人質に取られているという事もあるけれど、それ以前に、今日の今まで俺は工藤さんの事を何一つとして知らなかったんだ。
真面目なのか不真面目なのか、考えているのかいないのか、数ヶ月という付き合いの中でこれと言った答えが一つも見つけられなかった。
「次は誰が引き継ぐんですか? 五十嵐さんですか?」
「そうなるだろう。断言しておくけど、五十嵐三佐は君たちのご両親を人質に取るといった行為に最後まで反対し続けた。まあ、月次だけど、彼女なら君たちを良い方向へ導いてくれると思うよ」
意外とは思わない。今回の作戦を説明された時、確かに五十嵐さんは反対してくれていた。あれが本心なのかどうかは判断できないけれど、反対してくれた事には変わりない。
「そういうことで、龍太郎君とは最初で最後の作戦になるけど、よろしく頼むよ」
「願ったり叶ったりだぜ。死んでからもテメエの顔なんざ見たくもねえ」
「ははっ! それじゃ、輸送機に乗り込もう。これが最後の作戦だ!」
景気よく両手を叩き合わせ、工藤さんが歩き始める。
輸送機は二機あり、側面にAとBと白くペイントされた中でナオを除く三人はAが描かれた輸送機へと向かう。
Aの機体は五十嵐さんが担当し、機内には俺たち含めて多くの自衛隊員が搭乗する。対してBの機体はナオと操縦者の二名だけ。この機体は皇族と首相を救出後、その方々を移送するという重要な役目を担っている機体だ。
進む方向が別れるタイミングでナオを視線だけを交わして頷きあう。
ナオが輸送機を飛ばす所なんて見たことがない。だけど、俺がこの一週間の間で人殺しの技術を覚えている間、ナオだって複雑な訓練を積んできている。万が一にも失敗しないという実力を備えているはずだから心配は無いだろう。
そういやって無理矢理に自分を納得させ、俺は工藤さんと龍太郎の後に続いて輸送機の中に足を踏み入れた。
機内には操り人形の糸が切れたみたいに項垂れる大勢の自衛隊員たちが見える。
各々が座席に固定され、意識はあるはずなのに身動き一つせず、恐ろしいほど静かな呼吸音だけを唇から発していた。
安っぽい表現を甘んじてするならばプロフェッショナル。誰もがこれから起こる凄惨な作戦を前に言葉を紡いで心を沈めているように見えた。
だからこそだろうか、ほとんど無意識に前に立っている龍太郎の背中を叩いて拳を差し出していた。
「やるしかねえぞ」
「分かってんよ」
ゴツンと鈍い感触で握り拳をぶつけ合う。
座席に腰を下ろしてベルトで固定していると大きな音をたてて後部ハッチが閉じ、聞き慣れたプロペラ音が鼓膜を揺さぶりだした。
それから数分と経たずに浮遊感が全身を包み、俺たちを乗せた輸送機が最後の目的地へと向かって飛び立って行った。




