理不尽な関係
時間が経つのは早いとはよく聞く話だけど、ここ最近はそれを痛感している。
一日一日が濃厚で非常に長く感じているはずなのに、気付けば龍太郎を迎え入れてから二週間以上が過ぎようとしていた。
暦も七月に入り、夏が近づいてくるのを肌で感じながらも、明けようとしない梅雨が空気を湿らせている今日、今年初となる猛暑日が容赦なく俺たちを襲っていた。
「暑いわねえ~……」
雲一つ無い晴れ渡った青空という炎天下の中、隣で地べたに座り込んでいるナオが今にも溶け出しそうな様子で呟く。
返事をする気力も湧かない。これだけ晴れているのに湿度は高いままで、まるでダウンコートを着込んでいるような不快感だ。
「情けねえ。この程度の暑さでヘバッてんじゃねえよ」
眼前にそびえ立つ大岩のような塊が口悪い言葉と共に動き、真紅に染め上がった瞳が俺たちへと向けられた。
「動かないでよ! 日差しが当たるでしょ!」
振り返った龍太郎に向かってナオが間髪入れずに怒鳴り散らす。言葉にはしなかったが、俺も急に照りつけた直射日光を嫌って身振り手振りで元に戻せと訴えた。
要塞の能力で肥大しきった体躯の影に隠れていたから暑さを凌げていたのに、ほんの少し日差しを浴びただけで体感温度が跳ね上がったのを感じる。
「だったら帰ればいいだろうがよ」
「撃ち終わらないと帰れないの! アンタだって聞いてるでしょ!」
「なら、さっさと撃てばいいじゃねえか」
「暑くてやってらんないわよ!」
「面倒くせえ……」
ほとほと呆れ返った様子で俺たちへ向けていた視線を戻すと、ドラム缶のような右腕を伸ばしてパチンコ玉を弾き始める。
俺たちが出会った日に見せた異質すぎる力。ただのパチンコ玉を銃器以上の威力で射出するという力技を磨き続けていた。
始めたのは二週間前、あまりに龍太郎が銃を使いこなせないという理由に加え、次の作戦で必須になるからと工藤さんに指示されたからだった。
放たれたパチンコ玉が標的を捉えて甲高い金属音が響く。
射撃訓練が始まってから数日は水風船を的にしていたが、今は海外映画やゲームに登場するような人形に模した黒色の鉄板を使い、より本格的な環境の中で訓練を行っていた。
「にしても、よく当たるよなあ」
「あ?」
「銃はからっきしなのに、パチンコ玉は見事に当たってるだろ」
龍太郎の弾いたパチンコ玉は頭部に位置する場所へ的確に命中し続けている。十発弾いたら九発は狙った場所に飛んでいるんだ。
「自分の体を使ってんだから当たるに決まってんだろうが」
「銃のほうが狙いやすいと思うけどな」
「個人差ってやつだろ。俺様は銃を構えるってのが堅苦しくて仕方がねえ」
「そういうもんなのか?」
型にはまるのが苦手なのだろうか。そう言われると確かに龍太郎は形式張ったものより自由にやりたいようなタイプにも思える。
それからも自分たちに課せられたノルマをこなす気にもなれず、淡々と訓練を続ける龍太郎の後ろ姿を眺め続けていた。
そんな時間が何分か過ぎた時、何かに気づいた様に龍太郎が遠くを見つめて声をかける。
「おい、メガネが来たぞ」
「メガネ? 誰だよそれ――」
視線の先を確認した途端、真夏のような空気がまるで南極に行ったと錯覚する程に冷え切り、脊髄反射で立ち上がった体が銃を握りしめ射撃を始める。
五十嵐さんが近づいてくる。この二週間まったく姿を見せなかったのに、よりにもよってサボっている今日に限って姿を見せてきたんだ。
「オッシャア命中!! 今日も調子がいいな!!」
「アタシも外す気がしないわ! 毎日百発は撃ってるからね!」
俺もナオもわざとらしく大声で結果を叫ぶ。
五十嵐さんの存在に気づくまでに結構な時間がかかったから、サボっている様子は気づかれているとは思うが、それでも被害を最小限にするにはやるしかない。
「何やってんだ?」
「うるっせえな! 何でもっと早く気づかねえんだよ!」
「そうよ! アタシたちには死活問題なのが分かるでしょ!」
「知るわきゃねえだろ……」
声を荒げたくても五十嵐さんに聞こえちゃマズいから小声で訴える。
そして、問題の相手がすぐ近くまで寄ってきたタイミングで深々と頭を下げ、高校球児もびっくりの大声で挨拶を飛ばした。
「おはようございます!」
これだけハツラツな挨拶をすれば殴られても三発くらいで済むだろう。殴られる前提というのが我ながら情けないとは思うけど、元気がなければ五発は飛んでくるから手は抜けない。
「イガさん二週間ぶり? 今まで何やってたの?」
「別の任務があってな」
気さくに話かけるナオに対し、五十嵐さんはぶっきらぼうな返事をする。
この人はナオにだけは甘い。女尊男卑と声高らかに訴えたいが、そんな事はとうの昔に分かりにっているんだ。
それを分かっているからこそ、ナオだけズルいだの特別だのとは口にはしない。逆にナオが話しかける事で気を紛らせ、俺への攻撃が弱まるという効果を最大限に狙っていく。
五十嵐さんが俺へ近づいてくる。これから挨拶代わりの平手打ちが入るのだろうと覚悟し、背筋を正して向かい合った。
「寄越せ」
「へ? ――ああ! はい、どうぞ!」
唐突に右手を突き出し一言だけ告げる相手に面を食らってしまった。
直ぐにそれが拳銃の事だと気づき、慌てながらも手渡す。
五十嵐さんは受け取った銃のマガジンを外したりと様々に確認し、納得がいったように頷くと俺の顔を見つめながら右腕を持ち上げた。
ああ、殴られるな。そう考えた次の瞬間には右拳が俺の左頬を捉え、二週間以上ぶりの暴力に体がよろめいた。
理不尽な暴力が襲っても反抗的な言葉は吐かず、俺は静かに姿勢を正して相手へと向き直る。
「これの使用を許可したのは誰だ?」
「工藤さんです」
拳銃を見せつけながらの問いかけに、深く考えず素直に真実だけを簡潔に伝えた。
場が微妙な空気に包まれる。ナオは借りてきた猫のように黙り込み、龍太郎すら訓練をやめて様子をうかがっているようだ。
殴られた痛みは既に消えたが、まるで刃物を向けられているかのような鋭い視線に、背中を嫌な汗が伝わっていくのを感じてしまう。
「二度と触るな」
「あ……え? でも、工藤さんから毎日撃つように言われてますけど……?」
「金輪際、一発たりとも撃つ必要はない」
撃たなくて良いなら助かるが、上官の指示を勝手に止めさせて問題はないのだろうか。と言うか、五十嵐さんに止める権限があるのだろうか。
「分かりました。ナオも問題ねえだろ?」
「当たり前でしょ。これで冷房効いた部屋でゆっくりできるってものよ」
俺たちは深く考えずに五十嵐さんの指示を受け入れる。
上下関係なんて知った事じゃない。毎日撃つのも飽きていたし、俺とナオもこんな暑さの中で射撃するという面倒事から開放されるのなら万々歳だ。
「止めさせちゃ駄目ですよ。せめて僕に一言くれないと」
これで清々したと思った矢先、五十嵐さんの背後から聞こえた声に思わず眉をひそめる。
何時からそこにいたのか、長身の五十嵐さんに隠れながら顔をのぞかせたのは工藤さんだった。
「曲がりなりにも僕が上官なのですから、勝手な指示は困りますよ」
「学生に銃を与えるなど、何を考えているのですか! 明らかに軍規に違反しています!」
「別に何も問題はありませんよ? ちゃんと上にも話は通していますから」
「……どういう事ですか?」
工藤さんと五十嵐さんの間に険悪な空気が流れる。まるで二週間前に二人の会話を盗み聞きした時の再現を見ているようだ。
ナオは空気を読むように一歩引いたところで様子を伺い、龍太郎は心底興味が無さそうな態度で鼻をほじりながら明後日の空を見上げている。
「一時的ですけど、彼らはもう立派な自衛隊員です。無賃で働かせるのを嫌った上層部が謝礼として大金を払うと言い出したんですよ」
「それが何故、射撃訓練を行っているんですか!」
「なんて事はない、単なるストレス解消です。彼らに聞いてみれば分かりますよ」
工藤さんが言い終わるのと同時に五十嵐さんが俺たちへ顔を向けて睨みつける。
思わぬ飛び火がやってきたと思うより早く、俺とナオは無言のまま力強く何度も頷いてみせた。
それを見た五十嵐さんが再び工藤さんへ向き直り、今にも殴り合いを始めような雰囲気をまといながら距離を一歩詰め寄って声を荒げた。
「ご自身が何をやろうとしているのか理解しているのですか!!」
「おお、怖いな。どうしたんですか? こんなの単なる遊び――」
「誤魔化さないで下さいッ!!」
恐ろしい剣幕だ。今日まで散々と言うくらい五十嵐さんには怒られてきたけど、今ほど本気で怒っている姿を見たことが無い。
これまでは手加減されていたんだなと思う反面、どうしてそこまで激情しているのかが分からなかった。
そしてなりより驚かされるのが、あれだけの怒りをぶつけられている工藤さんの表情がピクリとも変化しないことだ。感情が欠落しているのかと錯覚する程に、向けられる怒りを受け流している。
「誤魔化しても良いじゃないですか。貴方に説明する必要はない事ですからね」
「それで納得しろと言うのですか!!」
「納得する必要はありませんよ。僕の命令は絶対、貴方の意見は却下。それだけですから」
「――ッ!!」
理不尽だと言う他ない。二人が何について話しているのか良く分からないけど、工藤さんは五十嵐さんからの進言は一言一句として受け取らないと言い放ったんだ。
こんな状態で次の作戦は大丈夫なのだろうか。仮に俺が五十嵐さんの立場だったら、素直に工藤さんの指示を聞き入れる事が出来ない気がする。
絶対に失敗出来ない作戦なのだから、その辺は工藤さんだって重々承知しているはずなのに、どうしてこうも一方的な態度をとるのだろう。
「もういいですね? 今日は色々と忙しいですから」
「……承服しかねます」
「結構。話はここまでです」
工藤さんは冷たく会話を断ち切り、上半身を横に倒しながら俺たちへ顔を向け、この場の空気とは不釣り合いな微笑みを向けた。
「作戦の日取りが決まったよ。これから詳細を説明するから会議室に集合してね」
簡潔にそれだけ伝えると、今までのやり取りが無かったかのような軽い足取りで、俺たちに背中を向けて去っていく。
異様すぎる態度に誰一人として返答も出来ずにただ見送るだけ。
ナオと龍太郎の顔を交互に見渡すが、二人共にバツが悪そうな表情をし、決して会議室へ向かおうとはしなかった。
それも仕方がない。怒りなのか、はたまた別の感情なのか、俺たちから数歩前に立ち尽くしている五十嵐さんが両手の握り拳をわなわなと震わせていたんだ。
結局、うつむいていた五十嵐さんが顔を上げて歩き始めた後、ようやく俺たちも会議室へ向かうのだった。




