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砂漠を往く

 遠い。

 大地を覆う砂は、執拗に足を呑み、その前進を幾度となく邪魔する。エジプト(ミスライム)から逃げていたときは、ただただ追手から逃れることに必死で、その道程どうていがこれほどまでに遠大だったとはついぞ気が付かなかった。心に余裕が生まれてはじめて、モーセは砂漠の脅威を知ったのだ。


「……無理だ」

 遂に陸路を断念した。進路を西へ変え、海沿いの漁師から舟を借り、海路でスエズ湾を横断してエジプトに向かうことにした。

 エジプトから逃げるときは舟を使わなかった。沈められたら終わりだからだ。盗んだ馬で走り出し、馬が死んだらその肉を食べながら砂漠を彷徨い歩いた。しかしモーセを殺そうとしたパロはもういない。ならば、舟が徒士かちより速いのは必然。モーセに迷いはなかった。それまで向かっていた進路からおおよそ直角へ進路変更、西に進みはじめた。


 ところで、神より唯一の武器にせよと命じられた杖は、蛇に変わる権能に加えて、さらに奇天烈な能力を得ていた。つまり「殴れ」と念じるといわおのように堅くなり、戦鎚ハンマーの代わりになったのだ。たったそれだけの効果だったが、ここまで来る間に、幾度となくモーセの危機を救っていた。

 例えば3日前。モーセはニムロドの魔獣、それも最も強い部類のそれに襲われた。曰く、町一番の職人が一年かけて鍛えた名剣を刃こぼれさせ、老練の魔術師が10年かけて開発した大魔法すら通じない装甲を誇る怪物だという。関節は虫のようで体表は魚のようにぬめり、蝙蝠こうもりに似たはねで飛翔し、その緑の舌で舐めたものは岩であろうと融解する。磨り潰すことに特化した歯を持ち吐息は猛毒。ピラミッドの石も、ヒッタイトの鉄剣も、流動する熔岩すらも喰らう正真正銘の化物だった。

 しかしモーセの杖は、そんなおそろしい怪物の頭蓋ずがいを一撃で粉砕した。魔獣は青色の脳漿のうしょうをぶちまけ死んだ。モーセは自分がとんでもなく強い武器を手にしたことを悟った。


 ……と、そんな中遂に日が暮れる。

 海まではまだ時間がかかる。ちょうど次のオアシスも近付いている。あと少し頑張ろうとモーセは奮起した。決して野宿はしない、それがこの砂漠の旅のマイルールだった。

 魔獣がはびこる砂漠の真ん中で一夜を過ごすなど考えられなかった。少し時間がかかってでもオアシスを見つけ、そこの集落の世話になるのだ。そこで別のオアシスの情報を教えてもらい、夜明け前に出発し、次のオアシスを目指す。その繰り返しが、これまでのモーセの旅だった。


 ……そして、数時間後。モーセは予定のオアシスに何とか辿り着けた。いつもと同じような異教徒のオアシスだった。集落の長老に許可を取り、小さな小屋を借りることができた。

 そのまま、3日過ごした。2日目に魔獣が襲いかかってきたので倒すと、あからさまに待遇が上がった。さらにオアシスを経つことにした3日目の明朝、長老から興味深い情報を得た。


「モーセさま」

 長老は、人知れず次のオアシスに向かおうしたモーセを背ろから呼び止めた。

「どうしたのですか、カラシカどの。もう俺はここに用はありません。すぐにも出立したいのですが」

「実はモーセさまに、折り入ってお話ししたいことがあるのです。単なる風の噂なのですが、もしかしたらモーセさまの魔獣殺しの旅に、関係あるかもしれません」


 モーセはいつも、オアシスに来たときは「魔獣殺しの旅をしている」と説明していた。みんな突然現れた魔獣に困っていたから、そう説明するとだいたい泊めてくれたのだ。しかし、今回はその嘘が思いもよらない情報をもたらしてくれた。


  長老は語る。

「今から10日ほど前、東方のかなり大きなオアシスが一夜で滅亡しました。魔獣に襲われたと言われていますが、そこの住民はかなり奇妙な殺され方をしていたそうです」

「オアシスの住民は肛門、または陰部からかぎのようなものをれられて、内臓をかき出されていたそうです。内臓だけが喰われていたのです。そのようなことをする魔獣ははじめて聞きました。私たちがよく知る魔獣なら骨すら残さず平らげて、血と衣服の切れはししか残らないはずなのですが……」


 老人の話は興味深かった。

 モーセは考えた……殺され方からみても、住人は超常的なモノに殺されたとみて間違いないだろう。それも、そこには相当な「殺意」が感じられた。単に内臓だけを食いたいだけなら腹を裂いたほうが早いはず。なのに敵はわざわざ「下の穴からかき出す」ことを選んだ。……残酷だ。そして頭がいい。人間を最大限苦しませるための方法を知っていた。

 ────最終的に、モーセは思った。もしかしたら、その犯人は“戒獣アークビースト”かもしれない、と。


「貴重な情報をありがとうございます」

 礼をするモーセ。長老カラシカはどうもと頭を下げ、さらに言った。

「ところで、孫娘シュメがあなたに会いたがっていました。旅立つ前にお礼がしたいと。他の住人も同じように言っています」


 ……残念ながら、住民たちとお別れしている暇はモーセにはなかった。次のオアシスがかなり遠いと聞いていたからだ。急がないといけなかったのだ。

 悪いが先を急ぐ。そう伝えると、カラシカは残念そうな顔をして言った。

「分かりました。それではさようなら。あなたの旅路に神の御加護が在らんことを」


「どうも」

 頭を下げつつ、内心モーセはドライな感想を抱いていた。「俺が信じる神と、この人が信じる神は違うんだが」と。

 最後に、カラシカは一枚の帯を渡してきた。

「この帯は、シュメが貴方のためにとはじめて織った布で作ったものです。どうか一緒に持っていってください」


 それは、ぎこちない手つきで織られた布を、何かの花で染めた帯だった。 オアシスに咲いていたのだろうか。夕陽の色をしていた。

 オアシスの旅では、時折このような贈り物を貰う。荷物が増えると困るから、いつもは固辞するのだが…… 。今回は相手が相手だし、荷物になるほどの重さでもないので、モーセは受け取ることにした。受け取った帯を、それまで腰を留めていたベルトの替わりに結んだ。そうしてオアシスを発った。

 ────本当は、もっともっと多くの冒険があったが、ここでは語り尽くせない。


 モーセは、再び砂漠を彷徨う。あと1、2度オアシスを経由すれば海に辿り着けると長老は言っていたが、全然終わる気がしなかった。内心不安を抱きつつ、砂に埋もれる足を、一歩ずつ確実に踏み出し進んでいった。

 …………と、そのとき。

 ふと、砂埃が激しく舞いあがり…………砂の向こうで揺らめく()()は、突如として姿を見せた。

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