前日譚/狂騒の前奏
英訳の、はじまりには。
おそらく日記の著者が直接聞かされたと思われる、「ある男」の本当の前半生が克明に記してあった────。
────「少年」は、ひたすら砂の大地を彷徨う。別に何処か目指しているわけでもない。その歩みに目的はない。ただ「戻る」という選択肢だけがなかった。
目的のない旅は辛い。でも止まるわけにはいかなかった。誰だって惨めな最期を迎えたくはないはずだ。そして、この少年にとっての惨めな最期とは砂漠の真ん中で餓死することではなく、エジプト兵に捕らえられ、拷問され、公衆の面前で刎頚に処され、屈辱のなかで死んでいくことだった。
……しかし、その歩みは遂に止まる。灼けた砂の大地にどおっと、砂を巻きあげ倒れる。分かっていた。この死んだ土地に食糧などあるはずがない。水もいつ尽きたのかもう覚えていない。最後の山羊の乳も4日前に尽きていた。限界だったのだ。とっくに。
少年は逃げていた。「人を殺したから」だ。
ヘブル人の少女を陵辱しようと覆いかぶさっていたエジプト人の男を、その右手に握りしめた石……王が推し進める建築事業に使う巨石のかけらで、背後からその頭蓋を一切の躊躇なく叩き割ったからだ。動機が動機なため、情状酌量の余地はあるにはあった。だが殺した相手がまずかった。その男はパロの腹心、ホルスの神官ゾムスだったのである。少年は問答無用で死刑判決を受けた。弁解の余地など始めからなかった。だから逃亡したのである。
エジプトではヘブル人だけが極端に差別されていた。その地位は奴隷よりも下だった。曰く、ヘブル人の人口が増え過ぎていることを危惧したパロが、彼等を虐げるように命じたという。ヘブル人というだけで違う生き物のように見られた。物価の相場まで違っていた。労役では一滴の水を飲むことも、一粒の塩を舐めることも許されず、意味のない虐待を受けながら、ヘブル人だけが酷使されていた。
少年は、それに憤慨しめいた。あまりに理不尽だと。しかし、心のなかではさんざん非難を叫びながらも、自分ではずっと何もできなかった。少年もヘブル人だった。他のヘブル人と同じように排斥を恐れたのだ。
しかし、無垢な一人の少女に向けられたエジプト人の横暴に直面した少年は、遂に切れた。動かずにはいられなかった。我慢ならなかった。ただこの理不尽を糾したかった。その結果がこれだ。
だが、例えこうなると分かっていたとしても、きっと同じことをしていただろう。やると決めたら、もう絶対にやるのだ。
……「モーセ」とは、そういう人間だった。
倒れた少年。脳裏には家族の姿がよぎる。思わず少年は呟く。
「父上、母上、兄さん、姉さん……」
残された家族はどうなるのだろうと、モーセは心配していた。自分だけ逃げてきたことが今さら後ろめたくなっていた。
王子は守ってくれるだろうか。
王宮を追い出されるのではないだろうか。
何もかも分からない。神のみぞ知る。モーセは逃げた自分を恥じた。
そもそもモーセは、ヘブル人でありながら王家の人間として育てられた。彼が産まれた当時、パロは人口削減のためにヘブル人の男児を間引きさせていたが、モーセの親は最後まで彼を殺せず川に流した。それを拾ったのがパロの娘だった。その後、姉の進言によってモーセの母は乳母として王宮に雇われることになり家族は貧困から脱した。
エジプト王子とモーセは幼馴染であり、友だった。労役を強いられる同胞を傍観していられたのは、モーセたちの自由をパロが許していたからである。贔屓されていることを同胞からは妬まれたが、もう貧困に戻りたくなかったから嫉妬の炎に甘んじて焼かれてきた。そんな中、件の殺人を起こしたのだ。
モーセは、逃げたことを後悔した。なぜ逃げてしまったのだろう。逃げていなかったら間違いなく処刑されるだろうけど、それでも家族の連座を弁護する:自分への刑罰だけで事態を終息させる努力はできたはずなのに。
王宮に戻りたい、そんな感情を今さら抱く。自分の優柔不断さに辟易した。だが、モーセにはもう起き上がる力すら残っていなかった。意識が薄れていく。「終わりが来たのだ」と確信し、自分の人生を改めて悔やむ。深いため息をひとつついた。神に赦しを乞いながら、モーセは遂にその双眸を闇に閉じ込めた…… 。
「……ですか」
両目を閉じた────が、そのときモーセにはかすかに聞こえた。人間らしき声が。若い、いや幼い、女性の声が。
「だいじょうぶ、ですか?」
2回目はちゃんと聞き取れた。それが異民族の言葉であることも同時に理解した……かつてエジプトの王宮にいたとき、パロに朝貢した一団に、似た言葉を使う人々がいたなと、大図書館の文献:異民族の言語について記した牛革の本にも書いてあったなとモーセは思い出す。
すなわち……「ミデヤン」の言葉である。少女の正体はミデヤンの民、砂の大地を移動する遊牧民であった。
モーセは戸惑った。果たして助かったのか、それとも今から彼女の仲間が現れて、残されたわずかな身ぐるみも剥がされてしまうのか。期待と不安が胸中入り乱れ、駆け回る。
────しかし、どうやら後者の心配は杞憂だったらしい。少女はモーセを「助ける」ために仲間を呼んだのだった。
モーセは少女の村に運ばれ介抱された。身体を起こすことが叶わないまま10日過ごした。その間に少女の名前はツィポラといい、この村の祭司イテロの娘であり、家族とともに数頭の羊を飼って生活していることを知った。
……3日目の朝。ものを噛む力がまだないからと流動食を流し込まれ、ふと外の牧草を見たモーセは。小さな二つの足を軽快に、小鳥のように細やかに動かし、仔羊と戯れるツィポラを見た。モーセは思った────まさに小鳥だ、と。「名が人を表す」という言葉を、モーセは生まれて初めて実感した。どこまでも自由な少女の在り方に、モーセは感銘を受けた。だからこそ、同年齢と知ったときは耳を疑った。
11日後、ようやく歩けるようになったモーセ。それからは時間が目まぐるしく動いていった。ミデヤンの言葉を覚えるまでに5日を要し、ツィポラの遊び(のちに羊の放牧だったと知る)に昼夕2度、毎日付き合わされた。信仰について6度ほど村人と対立し、2度殴り合いとなった。それでも次の日には羊を食い荒らす野獣を、村人たちと力を合わせて倒したりもした。
────気付けば、65日が過ぎていた。
たった65日。それでも彼等と寝食をともにしたことは、心身ともに疲れ果てていたモーセにとって、確かな救いとなった。異民族が「救い」なんて、神は軽蔑なさるに違いないと自嘲はしたが。
ところでモーセは、村の人間には自分が咎人であることを隠していた。別に、話しても支障はなかったのだが、現状を維持したいという思いが心のどこかにあったのだ…………ただ1人、ツィポラを除いて。65日目の夜。モーセはツィポラにだけ真実を話した。理由は自分でも分からないが、黙ったまま彼女の隣に居続けることが、モーセはどうしても嫌だったのである。結果、軽蔑されてしまったが。
ツィポラは、学者が使うような難しい語彙の羅列でモーセを論破した。普段の自由な振る舞いから彼女が祭司の娘であることを完全に失念していたモーセは、その聡明さに衝撃を受けた。姉さんのような人だと思った。または、父上が酒まじりに語った昔の母上、とも。どちらにせよモーセは、ツィポラという女性を侮っていたことを悟り、打ちひしがれた。
────そうして、66日目の朝。モーセは唐突にミデヤンの村を発つことを決意した。イテロはモーセの未来を祝福し、3頭の仔羊を分け与えた。ほかの村人も、たくさんの贈り物をモーセに与えた。しかしツィポラは、最後まで現れなかった。
少しだけ胸に疼くものがあった。だがそれも押し留め、旅立った……のちにモーセは疼きの正体を悟った。それは恐れだった。一刻も早く、ツィポラのもとから離れたかったのだ。これ以上彼女に失望されることが怖かったのである。
その後モーセは新天地を見つけ、羊飼いとして生活しはじめた────それから、70日ほど経ち、あのとき譲られた仔羊(ここまで来る間に20頭ほど増えた)をようやく懐かせた頃、旅人から風の噂で聞いた。
……あのミデヤンの村が、異民族の襲撃に遭い壊滅した、と。男は鏖殺され、女子供は囚われ、陵辱され、殺され、わずかな生き残りは人買いに売られたと。殺された男たちのなかには「イテロ」の名もあったと…… 。
モーセは深く悲しみ、祈った。村の人々が、何よりツィポラが、どうか死後も救済を得られるように。撰民でない彼等にも神の救いがもたらされるように。そんなありえない奇跡を願わずにはいられなかった。