序文
「西暦2,000年」
それを迎えた日。
新世紀の当事者となったことへの興奮、またはとあるフランス詩人が記したはた迷惑な予言書の内容……ハルマゲドーンの破滅の予言が実現しなかったことへの安堵か、世界は近年例を見ない狂騒の坩堝の中にあった。
────そして、その裏で一人の「魔術師」が命を落としていた。
世界中の誰も、その男に命を救われたことを知らないまま、新世紀を迎えた喜びを謳歌していた。
魔術師は英雄だった。人知れず、本当に起こるはずだったハルマゲドーンの予言を食い止め、死んだのだ。
そして男が死に、主人を失った邸宅の書斎には。男が遺した遺言書と「英訳された古文書」が置かれていた。
遺言書には、この世界で未だに「神と魔王」の争いが続いていること、ハルマゲドーンの正体が魔王の超兵器だったこと、自分たち魔術師が人知れず魔王の軍勢と戦ってきたこと、などが記してあった。
その上で男は、もはや少数の魔術師だけでは魔王には対応できず、これからは全人類で魔王に立ち向かう必要があると警鐘を鳴らした。魔術師も非魔術師も関係なく、人種も宗教すらも関係なく、である。
そんなことが簡単にできないことは分かっていると前置きした上で、男は「一例」を示した。神の力が強大だった紀元前に、神の力に頼らず、選ばれし民であるユダヤ人だけでなく、世界中の人々が団結して魔王に立ち向かった『古代の大戦争』の存在を明かした。
しかし、男曰くその記録は掩蔽されてしまったという。多くの真実は、それっぽい別の記録によって差し替えられた。その「差し替えられた」記録は、俗にこう呼ばれる。
────旧約聖書「出エジプト記」。
旧約聖書において「創世記」に次ぐ第2章節であり、旧約聖書の最初の5文書、モーセ五書のひとつ。その執筆者は、アブラハム宗教において五大預言者の一人に数えられるユダヤ人「モーセ」による、エジプト脱出に関して記した文書である。
すなわちモーセは、自分で自分の経歴を詐称し後世に遺したのである。その理由は、「神の味方」としてユダヤ人以外の人々が魔王との戦いに参戦したという事実を、ユダヤ人指導者として後世に残すわけにはいかなかったのでは…………と男は記す。
男曰く、この事実は近年までまったく明らかにされなかったという。ところが、ある文書の発見によって事実は露呈した。それを突き止めたのは他でもない男自身だった。
ある文書とは、西暦1,947年以降ヨルダン川西岸地区のクムラン洞窟にて相次いで発見された972点の写本群のことである。俗に言う『死海文書』である。その中から、大戦争の事実を記した文書がみつかった。しかし大半が焼却されていたため復元には時間を要し、この遺言書を書いた数ヶ月前にようやく英訳が完成したという。
文書の正体は「日記」だった。筆者による改竄が可能だった「出エジプト記」と違って、既に事実を記してしまったものだったから、焼くしかなかったのだ。しかし魔術による復元までは想定していなかったらしく、真実は明るみになってしまった。
そして復元された「日記」には、当時反魔王連合軍を率いた5人の「戦士」の名が記してあった。いずれも歴史的・神話的偉人である。だが5人中2人は非ユダヤ人だった。異教徒だった。選ばれた民であるユダヤ人の正当性を示す上で、世界を救うためとはいえ異教徒が神の戦士として魔王に立ち向かったなどという事実は、隠したかったに違いないと男は記述する。
しかし、それでも男は『真実』の公開……具体的には男が後半生を捧げ完成させた「日記」の英訳の公開を強く求めた。
そうすることがバラバラになっている人類を再び団結させ、ともに魔王の脅威に立ち向かう原動力になると信じて。
────そして、最後の行には。件の「日記」に男が名付けた俗称と、筆者名が記してあった。
──日記の名は「ホセアの手記」
──著者の名は「ホセア」
ホセア……すなわち旧約聖書において大預言者の後継者として「ヨシュア」の名を授かった、エフライム族のユダヤ指導者。彼こそこの日記の著者であり、さらにはモーセとともに魔王に立ち向かった「5人の戦士」の1人であった。
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ここから先は、ヨシュアの遺した日記を、読み進めていく。誰も見たことがない本当の「出エジプト」がそこにある。世界の未来のために立ち向かった、立場も人種も信教も違う5人の「戦士」たちの壮絶な戦いの記録が、遂に公に晒されるのだ。