#1welcome
片手を引かれ、もう片方の腕で光の大波を遮って数秒程。
周囲から人のざわめきが聞こえ、恐る恐る視界を開く。
目の前には、先ほど部屋に現れた謎の少女がボクを感情の見えない瞳で見据えている。
だがその後ろ、正確には周囲の景色が、自分の部屋とは一変していた。
薄暗い空間、ボクと少女の周りを火のついた台が取り囲んでおり、地面にはおそらく部屋に現れたものと同じ魔法陣が描かれている。更に、今いる場所は地面より高い位置にあるようで、少女の後ろ側には階段と、その下には一目見ただけで20人程の人が集まっている。
その全員がこちらを見上げ、次の瞬間
「「「「「勇者様だ!」」」」」
全員の揃った台詞と、空間全部を揺らすんじゃないかというほどの歓声に包まれる。
その頭に響くような音の波と、突如訪れた倦怠感に飲まれ、ボクは意識を手放した。
※ ※ ※ ※
意識を取り戻したボクが次に目にしたのは、見知らぬ天井だった。
「気が付きましたか?」
覗き込んでくるのは、ボクの部屋に現れ、そしてボクの手を引いた少女だ。今はあの巫女のような装束ではなく、クリーム色の簡素な服に着替えている。
「リゾートホテルにしては、随分サービスがいいね。こんな綺麗な子がモーニングコールなんて」
「…意味はよく分かりませんが、ここは私の家です」
「素敵なお家だね」
「ありがとうございます」
本心から言ったのだけれど、彼女は特に表情も変えずに頭を下げた。
体を起こすと、どうやら布団に寝かされていたらしく、体からするりと毛布が落ちる。
とりあえず、コミュニケーションの始まりは自己紹介からだよね。
「ボクは輝夜、月島・S・輝夜。なりたてピチピチ、花も恥じらう14歳さ」
ボクの自己紹介に彼女も返答してくれる。
「申し遅れました。私の名はアーシャ。このアルダ村で、勇者の巫女を務めています」
おっと、普通は聞けないwordがさらりと出てきたよ。
「で、アルダ村って初めて聞くけど、日本のどこかな?」
「ここはニホンでもあなたのいた世界でもありません」
うん、そうだよね。〈勇者〉なんて日常会話で出てこないもん。
「あなたを勇者として、召喚させていただきました」
そういうと彼女、アーシャは、深々とボクに頭を下げた。
「まずは、急にお連れしたことを謝罪します、勇者様」
「wait、あー…ちょっと待って」
「はい、なんでしょう?」
「その、勇者様ってのは辞めない?ボクのことは輝夜って呼んでほしいな」
アーシャは少し考え、「分かりました、輝夜様」と返した。
※ ※ ※ ※
「この王国セレスティアは現在、魔王と名乗る謎の人物によって平和が脅かされているのです」
曰く、魔物の脅威に晒されつつも魔法を発展させて平和を保っていたセレスティア王国。
それが数ヶ月前から王国の各地で、魔物が突然凶暴・活性化し始めたのである。
対策を講じる王国は、かつて勇者が残した予言に行き当たる。
「後の世で邪悪の魔が雄叫びを上げる」
「人に、王国に、災いを持たらすべく、悪を統べる王が産まれ出でる」
「その時は、私と同じ勇者が光を指し示すでしょう」
半信半疑に包まれる中、王都にかつてない規模の魔物の大群が、突如として現れる。
そして「それ」はいた。
言葉を持たない魔物の中で、人と同じ言葉を持って、名乗りを挙げた。
「わたしが魔王だ」と。
田畑を踏み荒し、命を蹂躙しながら迫るはずの魔物はまるで人の軍であるかのように、不自然な程の規律を持って進撃する。
人々はおろか、王都を守る兵士でさえも、その不気味さに恐怖を覚えた。
結果としてはこの大群を撃退することには成功したものの、王都周辺地域は荒れ果て、多くの田畑が犠牲となった。
幸い人的被害は少なかったがこの時の戦いで消耗した女王は、未だに満足に動けなくなってしまっている。
※ ※ ※ ※
ここまでほとんど無表情に近かった顔が、明らかに変わるほどに、アーシャは懇願するように、深々と頭を下げた。
「改めて、お願いします勇者様。魔王を倒し、セレスティアを救っていただけませんか」
「もちろんOKだよ」
ボクは軽い調子でそう答えた。
アーシャは言葉の意味が分からないのか、きょとんとした表情でこちらを見た。
「…おーけー?」
「〈はい〉とか、〈分かった〉とか、この場合は〈任せて〉かな。魔王討伐、引き受けさせてもらうよ」
改めて快諾の意思を伝えたのだが、彼女は表情を変えなかった。
「…よろしいのですか?召喚しておいてなんですが、もう少し悩まれるかと」
「魔王を倒さないと帰れないでしょ?」
「いえ、ゆう…輝夜様を送り返すだけなら、可能です」
「そうなの?」
意外な答えが返ってきた。だが、アーシャは少し目を伏せるように言葉を続けた。
「ただ、少なくとも次の満月まで…一月はお待ちいただくことに…」
「だとしたら、一月も待つなんてつまらないよ。それに、まだ帰る気にはならないかな」
そう、なぜならば。
「だって、ずっとず~~~っと夢見てた魔法の世界に来たんだよ!」
幼い頃に毎日目撃した夢想、成長しもう届く事はないと痛感した諦め。あれは幻だと、ボクの夢は無駄であると。
この少女は、普通の人が抱くであろう現実という絶望を、ボクの目の前で粉々に砕いてくれたのだから。
「魔王を倒す、っていうのは正直できるかどうか、分からない。でも、ボクはこの世界を、自分の目で知ってみたい。だから、それを壊そうとする魔王を放っておくなんて事はできない」
だからこそ、続くまで楽しもう。続けられるまで助けよう。
「それにボクは、ボクの夢を叶えてくれた君に、恩返しがしたいと思ってる」
夢を叶えてくれたお礼に、ボクは世界を救う事にした。
* * * *
アーシャの家の隣-隣と言っても歩いて数分かかった-に住むアルダ村の村長に挨拶をし、ボクが魔王討伐を承諾した旨をアーシャが伝えると、彼は目尻に涙を浮かべて喜んでいた。
大袈裟だなと少し感じていたが、話を聞けば彼は両親のいない天涯孤独の身の上であるアーシャの親代わりであり、またセレスティアの女王から賜った勇者召喚を成功させた事で感極まったらしい。
このアルダ村は代々勇者召喚のための村として存在しているが、異世界から勇者を招くのは実は300年振りの偉業でもあるそうだ。
村長へ挨拶をした後、アーシャの家に戻ると着替えを用意してくれた。元の世界の服はこっちでは目立ちすぎるため、着替えた服は向こうへ帰る日まで物を保存する結界魔法で預かってくれるという話だ。便利な魔法があるものだ、と感心してるとアーシャは苦笑いで「この魔法一つ用意するのにアルダ村の一年分の資産が必要ですよ」と返された。憧れていた魔法も、そううまい話はないらしい。
用意された姿見に写った自分の姿を確かめる。
金色で短めの髪は後頭部で結わえられ、揺れる髪の先を青みがかった黒い瞳が見つめている。
短めの皮の上着と深い森のような緑色のシャツ。
シャツに合わせた短めのスカートとその下にはジーンズのようなパンツを合わせている。
元々スカートはなかったのだけれど、アーシャに用意してもらった。
「スカートは必要でしょうか?」
「ボクも女の子だからね、少しはお洒落したいじゃないか」
「え?」
「え?」