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王国の鷹  作者: 冴吹稔
3/5

小さな翼、広い街

 鷹人の固有の言葉は人の耳になじまない。それは軋るような口蓋音をふんだんに含み、竜族の操る言葉にも少し似て、金属的な響きを持っている。

 ゆえに、鷹人の名前もまた、人間であるユーリには発音しがたい物だった――


「でも、名前がないと呼びにくいなぁ。笛の音で呼ばれるだけじゃ、あんたも嫌だろ?」


「もちろんだ。私にも君たちがいうところの『人格』はある。君たちの法律家や宗教家がどう解釈しようとも、だ」


 鷹人はユーリの首からぶら下がった鷹笛に不機嫌そうな視線を向けた。すでに鳥屋を闇に保つことは取りやめ、二人は電球の明かりの下で話している。

 ユーリはその視線に気が付き、少し顔を赤らめて鷹笛を外し、ポケットへしまい込んだ。


「だよね――なあ、あんたの本当の名前じゃなくて、私がつけた名前でも構わないかい?」


「構わない。厳密に言えば新たな名前を付けられることは、魔術的な意味で私の存在を強く再定義することになるが……君の言葉にはそれほどの力はあるまい」


「ああ、まあ。私たちはもう300年くらい、魔術なんて使ってないからね」


 考えたあげく、ユーリはひとつの名前に心を留めた。

 王国に伝わる古い絵物語には神鳥の魂を宿す戦士たちが登場する。その中の一人は、鷹の戦士なのだ。彼の名が――


「ゲッツ……ゲッツでどうかな。海を隔てた西の国の言葉では捕えるとか手に入れる、って意味があるみたいだし、ぴったりだと思うんだよ」


「ゲッツか……悪くないな。偶然だが私たちの言葉では『信頼に足る者』という意味だ」

 鷹人は穏やかにうなずく。


 その日から、彼の名は『ゲッツ』になった。




 マンスフェル王国は急速に近代化を進めている。森林を切り開いての羊放牧もその一環、対外輸出で外貨を稼ぐための産業振興策の一つだ。近代化の機運は他へも及んでいて、例えばユーリたちが通う学校もそうだった。


 庶民に至るまで読み書き、算術と最小限以上の基礎教養――聖典の内容や王国の歴史、天然資源を活用するための本草学や鉱物学などを学ぶことが、国家の力を大きく底上げすることになる、という新奇な思想がその背景にある。


 ユーリの家は学校からやや遠い。町はずれの森の側にあるからだ。いつも彼女は一時間ほどかけて、学校まで街の中を歩いていくのだった。


「おはよう、ユーリ!」


「おはよう、エレーナ! ライサ!」


 街の角を曲がるにつれて、いつもの級友たちと顔を合わせる。

 白く残る朝もやの中、華やいだ声と清楚な白いシャツ、膝丈のスカートが挨拶をかわしながら通り過ぎていくさまは、街の誰もが微笑ましく見守る一帖の絵画だった。


 だが、今日はその光景の中に不協和音を奏でるものがある。級友たちのひきつった顔に、ユーリはこれもひきつった笑顔を向けるしかなかった。


「ユーリ……後ろのそれ、なに」


「ええと……その。鷹だよ」

 

「鷹……」


 エレーナとライサは眉根にしわを寄せて、ユーリがその後ろに引っ立てて連れ歩いているものを凝視した。


 鳥には、違いなかった。多分。


 百歩ほど譲れば、鷹だと強弁できないこともない。多分。


「猟友会から回してもらったんだ。餌付けは終わったから、今日から町据えだよ。人がいる街の中でも畏れないように、慣らしていくの」


「そ、そうなんだ」

「やったじゃない、ユーリ」


 二人とも、ユーリが鷹匠の娘であることは知っていた。最近やっと鷹を手に入れた、とも聞いていた。その訓練を通じて、途絶えようとしている放鷹術の継承を図っていくのだ、と。


「誰かいるのかい、ユーリ? お友達かな。ああ、どうやら――」


 だが二人がそこに見出したのは、頭部を覆う黒い紗の薄布で目隠しを施された、背中に見事な翼を持つ筋骨隆々たる体躯の――腰のまわりは光沢のある羽毛でぴっちりと覆われ、均整の取れたシャープなフォルムを見せつけているが――全裸の男だったのだ。


「私の名はゲッツという。彼女――ユーリの、鷹だ。お見知りおきいただければ幸いだ」


 ゲッツが目隠しのまま胸に手を当てて会釈をする。二人は純情にも目を回してその場に崩れおちた。


 数分後、沿道の住人の通報によって、ユーリは警察に事情聴取を受ける羽目になった。当然、一限目の授業には出ることができなかった。



 余談だがこのときの逸話をもとに、若い娘がある種の性的嗜好の満足のために男性に衆人環視の中での羞恥プレイを強いることを、この国では慣用的に『鷹を飼う』と言うようになる。


 だが、この時羞恥を味わっていたのは明らかにユーリのほうだった。




「爺ちゃん! もうやだよ!! 違う訓練を考えようよ!! こいつ別に人間怖がらねえし!!」


「ふむ。だめか」

「ダメだよ!」

「ふむう……」

 

 暖房床(オンドゥル)に敷かれた布団に横たわったまま、どこぞの軍師のような唸り声を上げるばかりの祖父アレクセイに、ユーリは顔面を朱に染めて抗議した。

 その間ゲッツは器用にも、板張りの上に正座していた。鷹そのままの足指と爪は、板張りを傷つけることがないよう、器用に丸めて天井のほうへ向けられている。


「仕方ねえな。ユーリ、おめえ来週から、ゲッツを連れて山に入れ」

「えっ」

「ほう、山に」


 鷹匠とその徒弟の会話に鷹が加わる。その前代未聞の状況にも、アレクセイは動じていない。豪胆なのかさすがに耄碌して精神が鈍磨し状況が把握できていないのか、もはやユーリには計りがたかった。


「猟友会の皆さんにはわしから頼んでおく。適当な獲物を放ってもらって、おめえはゲッツにそれを狩らせるんだ」

「いきなりかよ!」

 本来ならば杭に固縛した鳩を掴ませる、などの段階を経て行われる狩猟訓練。それを大きく数段階飛ばしての、暴挙ともいうべき決定であった。

 

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