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王国の鷹  作者: 冴吹稔
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ミスター・ホーク

 ユーリの家に、姿見といえば母の部屋にしかない。


 元はといえば祖母のターリャが嫁いできたときの嫁入り道具だったものだが、実の娘である母に受け継がれた。どっしりとしたクルミ材の枠にはめ込まれた、わずかに端のほうがくすんできた、大きな鏡だ。


 自分の姿をその姿見で確認したいという、焼けつくような衝動を覚える。だがさすがに今のいでたちで、母も立ち入るあの部屋へ行くわけにはいかなかった。

 祖父の入れ知恵をしぶしぶながら受け入れたユーリは、今やとても珍妙な恰好になっていたのだ。むしろ確認するのが怖い――なんというアンビバレント。


 その扮装のさまたるや、である。

(爺っちゃん……何でウチにこんなものがあんだ?)

 『最後の鷹匠(ラスト・ファルコナー)』ストロガノフとは、ド変態であったか――胸に沸き起こる暗澹たる思いを必死で噛み殺し、角灯を片手に鳥屋へ向かった。ギリギリまでこの姿を鷹――鷹人の目にさらさないため、そして夜の冷たい空気から肌を守るため、熊の毛皮でできたふかふかのコートを素肌に羽織って。


 

 鷹人が運び込まれて三日目であった。この間餌も水も与えていない。人間ならばそろそろ限界に達する飢えと渇きを、それはまだ耐えている。鳥屋に入ると、一昨日と同じく渋く深いバリトンが響いた。

「やっと来てくれたか。どうか、その……食べ物を」

 その言葉はやはり、ユーリを混乱させた。


 物言わぬ真正の鷹ならば、人間が差し出す肉を拒む。

 拒み続けて飢えにさいなまれ、最後の最後に決壊した誇りが押し流される中、鷹匠の腕までついばむ激しさでウサギ肉にくちばしを打ちこませて、初めて調教の第一歩が完遂するのだ。『食いつかせ』と呼ばれる段階である。


 しかるにこの鷹は言葉をしゃべる。言葉をもってこちらをたばかり、未だ余裕と誇りを保った心のまま、食を得て窮状を切り抜けようとしている――ユーリは、目の前の生き物の意図をそのように理解していた。


 言葉とは、まやかし。実体のない幻をも容易に空中に描き出す、詐術なのだ。

(こいつはまだ、屈服してねえ……!)

 だがユーリに秘策あり――祖父の授けた秘策が。



 祖父アレクセイはかつて、まだ祖母と出会う前の若き日に、大洋を隔てた大陸エルカニア国から報じられた、ある新聞記事を読んだことがあった。


 絶滅に瀕したシロヅルの、貴重なメスがいた。雛のうちに巣から落ちて人間に拾われ、やむなくエルカニアの動物調教師テイマーたちによって育てられたそのシロヅルは、長じて人工繁殖のための貴重な個体と目された。

 しかして、彼女には重大な欠陥があったのだ。幼鳥のころから人間に育てたられた彼女は、同族のはずのツルたちに、繁殖行動を誘発されなかった。


 彼女を発情させることができるのは人間だけ。だが、彼女はあくまでもツルであり、繁殖行動を起こすトリガーとは――オスの求愛行動、ことに翼を広げてのダンスだった。



 一人の若いテイマーが、彼女を恋に落とす数奇な役割を担うことになった。その血のにじむような努力によって、彼女の子供たちは次第に増えて行くことになった。

 彼は人間の身でありながら、シロヅルの求愛ダンスを、果敢に踊りつづけたのだ! 


 そう、廻りくる恋の季節の度に、何度も、何シーズンも――




 鳥屋の中は暗い。だが、幸か不幸か、誤算というべきか天佑というべきか。

 暗闇に星のごとく輝く鷹人の瞳は、ユーリの姿をしっかりととらえているはずだ。昨日判明したことだが、王国の辺境、カゼイ山脈に生息する鷹人たちは夜行性だった。


「お前はまだ抵抗する心を捨てていない……こっちを見なさい」

 精いっぱいに努力して妖艶な誘惑者を装い、ユーリは袖から腕を抜き、コートをどさりと足元に落とした。はらり、といかなかったのは誤算だ。熊皮のコートは重いのだった。


 薄暗がりの中に浮かび上がる、ユーリの白い裸身。ただしその肝心かなめな部分は黒いエナメル革の拘束具めいた装具に覆われ、その表面には磨かれた金属の鋲が輝いていた。

 彼女の頭は首まですっぽりと、鷹の頭をかたどったマスクで覆われている。

 背中には本物そっくりの折りたたまれた翼が。


 足元が太ももの途中までをぴっちりと締め付ける膝上靴下(二―ハイソックス)なのはちょっとした装備面の不具合――だがその姿は全体として、過去100年ほどの間に冒険者(フィールドワーカー)たちによってつまびらかにされた、鷹人のなかの高貴の女性の装いをほぼ忠実に映していたのだ。


 いうなれば、鷹人版『嗜虐の女王様(ミストレス)』。


――食欲でダメなら、色欲だ。人間なら誰だって、何かしら弱点がある。鷹だって鷹人だって同じだ。

 祖父アレクセイは、ユーリに「飢えで屈服させられないなら色香で籠絡しろ」とのたまったのだった。


 鳥屋に降りるひと時の沈黙――その間、およそ十数秒。そのあと渋く深いバリトンが、ひどく傷ついたような、憤りを押し殺したような、そして笑いをかみ殺したような抑揚で響いた。



「君、何のつもりなのかね、それは。もしや私はバカにされているのか」



 数分後、ユーリはがっくりと肩を落としうなだれて、鷹人の前に坐していた。扮装はそのままなので、客観的にはかなりアレな姿だった。滑稽などと言う通り一遍の言葉で表せるものではない。鷹匠見習の矜持が完膚なきまでに決壊し、押し流されていた。


「やっぱりだめかァ……」

「その、笑って済まなかった。君たちの事情はよくわかったよ」

 鷹に慰められる鷹匠がそこにいた。ずたずたになったプライドと、コミュニケートできるという事実の前に、鷹の調教というラインを押し通すはずだった彼女の抵抗はもろくも崩れていた。ユーリは、堰を切ったように鷹人に事のいきさつを話してしまっていた。


「私としてもかなりその、現状には屈辱感を禁じ得ないのだが……『飛ぶことを学ぶ雛になしうる限りの援助あれ』というのが我々の間に口伝される掟の一つだ」

 

 ユーリは薄闇の中でブルーに輝くその瞳をまじまじと見つめた。

「じゃ、じゃあ、調教させてくれるの!?」

 彼は一瞬、ひどく嫌そうに上体を後ろに引いた。

「その問いには正直、手放しで首肯できないものを感じる……だが、私としても限界が近いと思う。どうだ、ここはひとつ、その『食いつかせ』なる段階を突破したと想定して、私に食事をさせてくれないか」

 彼の誇りもまた、確かに決壊し押し流されつつあった。


 ユーリはうなずいた。二人の関係はこの時から、囚人と看守のそれではなく、盟友、あるいは共犯者となったといってよかった。


「何が食いたい?」

よく焼いた(ウェルダンで)豚の肩肉を頼む」


 それが、彼がユーリの手からついばんだ、最初の肉だった。

  

作中で行われる鷹の調教については、日本放鷹協会様(以下のURL)のwebサイトなどを参考にさせていただいてます。

http://falconry.jp/index.php/2010-06-04-05-12-59


このようなバカタレな作品で申し訳ない。


あと、今回文中で登場したシロヅルの話はおおむね実話です。

http://nationalgeographic.jp/nng/feature/0404/f_2_spot1.shtml

中学生くらいの頃にテレビで見た。テックスの子孫たちは今着実に増えつつあるとのこと。よかったよかった。


バカな作品に引用して、申し訳ない。

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