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王国の鷹  作者: 冴吹稔
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やってきた翼

 学校から戻るなり、カバンと上着を玄関に放り出し、ユーリは庭の一角に向かった。祖父の代に建て替えた鳥屋は薄暗く、乾いたふんと埃の匂いがした。


(拙かったなあ)

 運び込む前に掃除くらいはしておくべきだったのだ。だが檻に入れられた猛禽が届けられたとき、彼女はちょうど学校にいた。鷹匠になると心に決めていたところで、読み書きや算術の技能が要らないわけではない。

 鳥のことなどろくにわからない母が、長年床に伏せったままの祖父の指示で、鳥をここに移したのだ。だが、せめて今朝家を出る寸前ではなく、昨晩のうちにこのことは教えておいてほしかった――


 そこまで頭の中で反芻した瞬間だった。

「誰か、来たのか?」

 薄闇の中から声がした。


「喋った!?」

 ユーリは動転した。同時に、ブルーに燃え輝く瞳が鳥屋の奥に灯った。板張り壁の隙間から差し込んで拡散するわずかな光を反射しているのだ。その輝きの周りで薄闇が深さをまし、ユーリは夜の底に落ちたような錯覚を覚えた。


 よく見れば、そもそも瞳の輝いている場所もおかしかった。止まり木のある高さではなく、床近い場所。ユーリの膝より少し高いくらいの位置で、その二つの星はこちらを見ていた。どういうことなのか、これは。母は確かに、「猟友会から網にかかった鳥が届いた」と言ったはずだ。

 何が起きたのかはおおよそ想像がついたが、ともかくもこの目で確認したい。だが、網懸けと呼ばれる巣立ってのち捕獲された鷹の調教は、繊細で困難を極める。幼少から祖父の厳しい仕込みを受けたユーリにとって、この段階で鳥屋の雨戸をあけ放つことは、涜聖に等しい裏切りを意味した。


 その、彼女の葛藤をあざ笑うかのように――目の前の瞳が再び声を上げた。

「こんな扱いは知恵あるものに対してすべき事ではない。せめて、何か食べ物をくれないか」


「……ダメよ! 絶対にダメ!」

 ユーリは混乱のどん底で、なおもかぶりを振った。野生の鷹を仕込む最初の段階は、誇りと飢えのせめぎ合うそのギリギリのラインを見極めて屈服させることなのだ。ペットを飼うのとはわけが違う。


 ああ、だが何ということか。よりにもよって、『マンスフェル王国御止流放鷹術』最後の継承者になろうとしている自分が最初に手掛けるのが――鷹ならぬ鷹人(ホークマン)であろうとは。





「どういうことなのよ、爺っちゃん! これって!」

 祖父の部屋、極東風にしつらえられた暖房床(オンドゥル)の上で、ユーリは祖父の枕元をバシバシと平手で叩いた。

「あー」

 虚ろかつ曖昧な声音で祖父が応える。


 だがそれは都合よく装った老残の「ポーズ」だとユーリは知っていた。

 足腰が立たなくなり布団に寝そべったままの境遇ではあるが、『最後の鷹匠(ラスト・ファルコナー)』アレクセイ・ストロガノフの眼と頭脳にはいささかの衰えもないことも。


 すなわち――

「『あー』、じゃねえッ、都合のいい時だけボケた振りすんのやめてよッ! あたしが頼んでたのは鷹でしょ、鷹人(ホークマン)じゃなくて!」


 アレクセイ・ストロガノフは再び塩辛い声で――今度は矍鑠(かくしゃく)とした口調で、孫に語りかけた。

「……仕方ねぇんじゃ、ユーリ。おめえ知らんのか? 先月から新法が施行されてな、野生の鷹の捕獲はまかりならんことになった。羊のせいだ……羊の放牧をするためにそこらじゅうの農地が買い占められ、それに飽き足らずに森を切り拓いたからな。鷹はどんどん減っておる……今のうち保護しねえといなくなっちまうんだ」

「そんな……」

 確かにユーリはその法律施行を知らなかった。

「でもッ! それはあたし等鷹匠のせいじゃあないじゃない! って、そもそも問題が違うッ。何で鷹人なのよ!」


「よッく聞け、ユーリ。おめえが鷹匠になって、放鷹術を守り伝えるには……もうこれしか方法がねえんだ」


 空を飛ぶ鳥を、鷹を使って狩り、屠る――かつては鷹しかなしえなかったその業は、やがて弓が普及し、銃が発明されるに至って誰にでも手の届くものとなった。

 その一方で鷹狩りの技は、暇に飽かせた宮廷人や地方に広大な封土を持つ貴族の娯楽となっていった。

 そして現代。

 もはや貴族たちの間でも鷹狩りをたしなむものはほとんどいない。


 使い手の失われた技術はすたれる。

 複数種類の鷹や隼を捕えて仕込む放鷹術の体系は次第に忘れられ、幾つかは既に失伝して久しい。さらに鷹の捕獲まで禁止されれば、御止流放鷹術の継承はほぼ絶望といえた。


 しかし――

鷹人(ホークマン)はな、胴体は人間と変わらねえ。器用な手もついてる。だが、空を駆け獲物を襲い、仕留めた鳥獣の肉をついばむそのどう猛さは、鷹の中でも最も強壮な角鷹(クマタカ)とそん色ねえ……いいか、ユーリ。おめえ、あいつを仕込め。最高の肉色(コンディション)であらゆる獣を屠れる最高の鷹……いや鷹人に!」


「無茶だよ、爺っちゃん」

 祖父の言い条は理解できる――いや百歩譲って理解できるとしても。

 鷹人は言葉を操る知能を持ち、人間の壮年男子と同等の膂力を誇る。経験もない未熟で非力な自分に服従していうことを聞くようになるとは、とても思えないのだ。


「ああ、普通にやっても無理だぁ。だがな……」

 祖父がユーリを招きよせ、耳元に何事かを囁く。鷹人を鷹としてなつけ使役するための秘策を。

 聞くうちにユーリの顔は赤く青くめまぐるしく変化し、大粒の汗と涙と少量の鼻水が顔を汚した。

 

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