おやすみ
彼女は見知らぬ天井をにらみつけた。記憶が途切れている。
記憶をたどっていく。
詳細を詰めると言うシェンナとアッシュ、ヨルに用無しとソファに放り投げられたのは覚えて居る。猫のように襟首を捕まれたのは怨んでも良いレベルだ。
ふてくされた彼女のご機嫌を伺うようにアガットが菓子を用意し、ミンは宥めるように頭をなでた。
あの三人は信用するのはやめた方が良いと今までの人生経験が言っている。後にそれは間違ってなかったと確信にいたるが、良くも悪くも嫌いになれないジレンマに悩むコトになる。
完全に放置されている現状に気がつくとこれ幸いとミンやアガット相手にこの世界のことを聞いた。たぶん、一般的な解答が聞けるだろう。
言葉が通じる理由はこの世界仕様になった体が原因であること。
その知識というのは魔力に含まれる色々なものの影響であると想定されること。
最初に見た本は普通の人が読めるほど簡易ではないものであること。
子供の体であるのは、体が魔力に馴染んでないせいであること。
そう言ったことをフェルベライトは知った。
この世界は生きていた世界とやはり違うらしいことも。
魔法込みの近代から中世の中間あたりだろう。そろそろ蒸気機関が発生して技術革新が起きるかもしれない。
外に出たいと言うフェルベライトに二人は驚いたようだ。
遅いから明日と言われて、さらに日常の話をしていた途中から記憶が怪しい。
寝落ちしてベッドへ放り込まれたのだろう。たぶん。
「たぶん、父(仮)がここにいるのは連れてきたせいだろう」
横に無防備に眠る美形がいるのは心臓に悪い。ややきつめの目も閉じていれば顔の印象は穏やかに見える。長いまつげが光に透けて青く見えた。生きているのか不思議に思うほど静かだ。
しかし、一向に目を覚ます気配はない。一度など部屋の窓を開けに人が入ってきたにもかかわらず身じろぎしない。慌てて上掛けの中に隠れたのがあほらしいくらいさっさと窓を開けて出て行った。
フェルベライトはベッドから出ようとそろそろと動く。
「んー」
ごそごそと動く音が後ろから聞こえた。フェルベライトはミンが起きたのかと振り返って後悔した。
眠そうな顔で目をこすりつつ起き上がって来たのは問題なかった。暑いからか上に何も着てないとは思ってもみなかった。いや、確かに見ていたはずなのだが、近すぎる顔のせいで意識が遮断していた。
フェルベライトは顔が赤くなるのを自覚する。男の裸にうろたえるほど純情ではないはずだが、シチュエーションが恥ずかしすぎる。
「アガットがくるー? かな。それまででてくのダメ」
ミンは身悶えそうな彼女の様子に全く気がつくこともない。ただ、逃がさないように抱き寄せて上掛けの中に潜り込んだ。
「なっ、なにするんですかっ!」
「二度寝」
それはもう、破壊力のありすぎる笑顔でしたと彼女は後に語った。フェルベライトが絶句している間に額に口づける。
「おやすみ」
なにこれ、誰これ、昨日と違い過ぎる。誰かと間違えているんじゃないか。そんなことが頭を駆け巡る。抵抗しようとすると片目だけあけて、ダメだよ、とささやいてくる。
かつての恋人にもこんな扱いされたことがない。精神力をごっそり削られていく気がする。
私は、五歳児。フェルベライトは念じながら助けを待った。
彼女にとって長い時間は扉を叩く音で終わりを告げる。
「いつまで寝てるんです?」
「たすけてーっ!」
聞き覚えのある声に彼女はここぞとばかりに声を上げた。
しかし、返ってきたのは沈黙だった。
「あ、あのぅ?」
「……すっかり、失念してました」
上掛けがめくられ、呆れた顔のアガットが見えた。
「俺の方で預かれれば良かったんですよね。魔法使い殿? 娘さんを預かっていきますよ」
「ん。よろしく」
ミンはなんのためらいもなくフェルベライトを手放す。
「きをつけて」
当たり前のように額にキスを落として。
「……反対すれば良かった。俺の実家に連れて行こう。そうしよう」
ベッドの上のフェルベライトをアガットは抱き上げる。彼もあまり正常モードではなさそうだった。
「シェンナにいえば? じゃ、おやすみ」
彼はごそごそと潜っていき三度寝に向かう。フェルベライトは困ったようにアガットを見上げた。
「ごはんを食べたら、外に行こうか?」
彼女に残された選択肢はうなずくくらいだった。




