魔物と踊れ
分類のない本が山を成している。
一体ここはどこだろう。周りを見回しても本の山と空の本棚が列を成していることだけがわかる。ずっと上まで。
最後の記憶と言えば、問題のある一日を終えベッドにダイブしてその固さに涙したことだ。あれはいささか子供じみていた。
そこからここに至るまでが省略され突然だ。
彼女は困ったように頬に手をあてた。しかし、感触が少し違う。子供らしい柔らかな頬ではない。
「……あれ?」
耳に馴染んだ声。体を見下ろせば元々の姿に戻っていた。腰まで伸ばした黒髪を首の後ろでくくり、スーツで鞄を片手にしているところは全く以前と変わりようもない。
しかし、太りもせず、痩せもせず、いつも同じサイズと揶揄された体は輪郭がぼけている。
「……!」
呼ばれた気がして視線を向ければ可愛らしい少女が手を振っていた。
新しい自分が手を振っている。その事実をどう認識すればいいのかわからない。
飾り気のない白いワンピースでも可愛らしく見えるのだから容姿の補正はすごいらしい。
彼女のとまどいに気がつかないように少女は近くまで駆け寄ってくる。
「サラ」
少女ははっきりとその名を告げた。曖昧だった彼女の輪郭はっきり際立つ。
かつて、別の世界で生きてきた時の名前。このせかいでは誰にも名乗っていない。知るのは自分だけの名前。
薄らぼやけた意識もはっきりしてきた。サラは困惑しながらも新しい自分と同じ姿のものを見下ろす。
「初めまして。人の私」
にこっと笑って少女は言葉を紡ぐ。
「ええと、どういうことかしら」
「私もあなた、あなたも私。あなたが人の部分。わたしが魔物の部分の意識担当。そして、今は全部の記憶と記録を保管して眠っているの。だから、思い出さないでしょう?」
少女は少し得意げに説明するが、サラにはぴんときていない。
確か魔物と混ざり合ったと言われたのではなかっただろうか。名付けてしまった故に。
サラはしゃがみ込んで少女と視線を合わせる。
「どうして。別れちゃってるの?」
「前例がないっぽいし、わかんないけど。私はまだ意識が曖昧の状態でサラを飲み込んだからそのまま残ってるんじゃないかしら? 分解とか咀嚼して解釈し直すとかしてないし」
サラは微妙な顔で少女を見返した。咀嚼とか言われてしまえば、食べられたことを意識しないわけではない。
体ごと全部、この少女に飲まれたのだ。おかげで、まだ、自分の意識が続いている。しかし、これは前の私と同じなのだろうかという疑問は晴れない。
「たぶん、死んだよね?」
「うん、死んだね。あなたが誰か、と言えば、再構築されたサラであり、元のサラと同一かと言われると疑わしい」
でも、まだ意識はサラである延長線上にいる気がする。彼女は頭を抱えたくなった。
「それでも極めて、オリジナルに近い。まあ、体の組織が変わったとか体質が変わったとか考えればいいじゃない」
少女は極めて明快にそう言いきった。励ましてくれるのかと思えば、真面目に言ってそうでサラはがっくりとした。
考えたところで取り返しがつくわけでもない。そして、元々の彼女を知るものなどいないのだから、違うコトすら気がつかれない。
ならばどこかで割り切ってしまうしかないだろう。
今はムリだが。
「……うん。今はその件は保留する。それで、ここは?」
「相互の意識、と言いたいけれど、大体は私の意識。あなたの意識はもっと上の方にあるの。あなたが降りてきたときにはどうしようかと思ったわ」
それで、なにがあったの? 穏やかに問われたがサラにはなにかあった気がしない。現実逃避したい現実はあったが。強いて言えば。
「ただ、魔力に記憶? が上乗せされているらしいけど、それがどこに保管されてるのかちょっと考えていたけど」
「……それね。まあ、少し片付けて上層部に送り込んでおきなさいな」
少女がそう言えば側に机とイスが出現した。机の上にはカゴが置かれ、メモ用の紙とボールペンが置かれる。
本の山の一部がさらに遠くに移動された。
「あっちは見ちゃダメ。百害あって一利無し」
「なぜ?」
「個人の記憶。近すぎるから知らない方が良いでしょ?」
「私の?」
「この体は、ミンの魔力で支えられ、アッシュの知識を得ている。ということなので、そーゆー個人的な記憶」
呆れたような口調で少女は指摘する。サラはすっかり忘れていたが、確かに前そんなことを言われたような気がする。
あの牛乳の時の牛のような記憶が見えるのは、いささか遠慮したい。
ちょっと興味があるとは思うが、見たら最後、後ろめたくて仕方がなくなるだろう。
「こっちの方はまだ個人的な記憶はついてないけど、全くゼロじゃないからそこも踏まえてね」
「え」
「どう考えてもムリでしょ。多少の思い出は仕方なし」
うなだれるサラを放置して少女は本の山から数冊選び出す。
「とりあえず自分の思い出でも思い返してみたら?」
サラはその本の表紙を見る。
サラの本1。から5まであった。最新らしい5から手を取ると少女があっと声を上げたのが聞こえる。
当たりが薄暗くなり、映画館のような巨大スクリーンが目の前にあった。
そして、全く気がつかない間にソファに座って、目の前のローテーブルにはポップコーンが盛られた皿があった。
「はい?」
「画像の出力みたいなものだから、特に意識しないと本人が一番馴染みある出力形態になるのよね」
さようで。サラは口には出さなかったが、この不思議空間に突っ込みたかった。
確かにサラは映画館にはよく行っていた。レディースディとかに駆け込みで。逆に自宅では全く映画のたぐいは見ない。
しかし、この世界にないモノをあっという間に構築するのはなぜだと問いたい。
「わたしはこれ、好きよ?」
気に入って固定しているのと少女は言ってポップコーンに手を伸ばした。
「サラの半生、楽しみだわ」
お気楽に彼女は言い、サラは精神を削られそうな思いをすることになる。




