Joker
扉の向こう側からやってきたのは新たな面倒ごとだ。フェルベライトは彼女の姿を認めたとたんに固まった推定侍女を見て思う。
お茶の道具をのせたワゴンを押して入ってきたはいいが、それでシャットダウンしている。落ち着きを払った仕草は優雅でさすが、城の使用人だと思ったのだが。
「ハーベスト」
ノワの呆れたような声に彼女はびくっと反応する。
夢から覚めたようにぱちぱちと目を瞬かせ、フェルベライトを再び見つけ目眩がしたかのように額に手をあてる。
「殿下、ミン様が小さくなってらっしゃる?」
「……わかるけど、この子は女の子だ」
「あら。申しわけございません」
彼女はフェルベライトを上から下まで確認し、納得したのか深々と頭を下げた。
やや引きつった顔でそれをながめながめる。即刻、親を特定し、縮んだと思われるとは。仮の父の知名度を侮っていた。少なくとも上位の侍女たちは彼女の顔からミンを連想するのは間違いない。
なぜ、城の中では外見を変える魔法を使うのか理由がはっきりした。
城内をそのまま歩くのはここに隠し子がいますよと言って歩いているようなものだ。
全然血縁はないが、仮には親子。お披露目も終わっていないうちから知られるのはまずいに違いない。根回しがある程度必要と半年は放置してくれる予定が、今日、全力で繰り上がっただろう。
「許す。と言わなければ、ハーベストはこのままなんだけど」
「……許しますが、他言無用です。正式に通達されるまでは、黙っていてください」
「承知しました」
どのくらいあてになるやら。フェルベライトはこの先の嫌味と嫌味と同情を思うと気が滅入る。それもアッシュが転移に失敗したせいだが、それも、フェルベライトが境界を越えたことが原因なのだから自業自得だ。
アッシュはお互い悪いと言うことにして、まあ、がんばれと気休めに言うだろう。
ミンは何も言わず、頭をなで回し、作法を一緒に勉強してくれるだろう。
シェンナはおまえのせいで予定がと文句を言う。ことあるごとからかってくるくらいで済ましてもらいたい。
そして、ヨルの前で、アッシュと二人で説教されるのだ。
涙ぐみそうになる。
「フェル、どうしたんですの?」
「ねーさまをいじめるのはめっなの」
まさかフェルベライトが説教フルコースを思い泣きそうになっているとは想像もつかないだろう。
「大丈夫、ごめんね」
少しだけ表情をゆるめて少女たちを見る。慌ててそんなことないと言うリアと肯くブランダ。フェルベライトはノワの苦笑にも侍女の興味深そうな表情にも気がつかない。
「きょうのおかしはおいしいんですの」
「ねーさまもきにいるよ」
そう言うリアとブランダに手を引かれソファに導かれる。フェルベライトは妙になつかれたものだと思う。やはり、叔父そっくりな顔だろうか。小さくても女だ。変に感心しながら逆らうことなくソファに座る。
そこからはてきぱきと優雅を兼ね備える手つきで侍女がお茶の準備を完了する。
合間にフェルベライトの膝の上にのりたがったヴェールを宥めて、ソファに座らせるということもやってのける。
ハーブティだろうか清涼感のある香りが広がる。それを氷で冷やし、冷茶として提供されるようだ。
まだ暑い日が続くせいだろうが、フェルベライトは少々目を見張る。日常生活で氷をみかけたことはなく、飲み物は常温もしくは冷たい井戸水程度だ。
「ヴェールはミルクね?」
「あい」
「ハチミツたっぷり!」
「僕はいつも通りでいいよ」
それぞれのオーダーを侍女はこなしていき、最後にフェルベライトへ視線を投げかけた。
「ハチミツ入りでお願いします」
「かしこまりました」
金属製のコップがそれぞれの前に置かれる。ハチミツが別添えでくるのならば聞かなくてもよかったのではないだろうか。フェルベライトがそう思っているあいだに彼女は壁際に退いた。
すぐに飲み物に手をだしていいものか様子をうかがっているとノワと視線が合う。彼は自然に微笑を返す。優しい雰囲気になるそれと似たものをフェルベライトは知っている気がする。
いや、なんとなくどういったお子様がたなのかは想像がついてくる。そもそもアガットが対応するような立場の子供はそうそういるわけがない。
「タルトは一切れずつ。ヴェールは食べちゃダメだよ。もう少し大きくなってからね」
「うーっ」
「これはしゅわっとしておいしいの」
「おいし?」
楽しげにヴェールの面倒を見ている姉妹と静観しているノワはやはりわずかに雰囲気が違う。兄として、というのも少し違う。年の割に大人びている。
私にも兄妹がいただろうか。
フェルベライトは遠い記憶をさぐった。ぼやけた森の背景に白い塊が三つ寄り添っていた。声なき声で言葉を交わし、触れあって安心する。
……謎物体だ。
続いて純日本人の兄と弟の顔が出てきてフェルベライトは心底安心した。人であった記憶はちゃんと残っている。思い出そうとしない限り眠っているだけだ。
魔物の兄妹はなにかいたのかもしれないが、正直考えたくない。感覚的に自分ABCの違いでしかなかったようだ。
フェルベライトは表情を変えず、お茶を啜った。冷えた飲み物は随分久しぶりに思える。
「そういえば、アガットさんは戻られないのですか?」
思い出したように問えば、侍女の顔に緊張が走ったように思えた。
なにか問題があったらしい。
「こちらでお待ちください、とお伝えするように承っておりました。申し訳ございません」
伝え忘れたようだ。フェルベライトが気にしてないと伝えれば彼女はほっとしたように表情を少しゆるめた。
しかし、彼女がいくら待っても知った顔が訪れることはなかった。




