2-4 出くわした後
クゥの存在は助けになるなぁ
多くの人にサキは目を丸くした。これほどの人込みを見たのは初めてではないが、中に入ったのは初めてだ。息が詰まるほどの人の香りにサキはくらくらした。
「あっちゃあ、思ったよりこんでるなぁ」
「ねぇ、メツさん。何で私を誘ったの?」
「君が可愛いから」
「……案外軽いんだ」
「そう言われちゃ立つ瀬がない」
サキの嫌味も軽く笑い飛ばし、メツはサキの手を取り、誘導する。異性に手をひかれるなど幼少以来だ。しかも同世代の異性にサキは少なからず胸の高鳴りを覚える。
「とりあえず、今日は楽しんでいってよ。たくさん考えたんだ。僕がサキさんに楽しんでもらえるようには何ができるかって」
恐らくは一昨日の一件から来た行動だろう。この青年は善意の塊のようだ。
「お人好し」
皮肉。
「よくいわれるよ」
通じない。
「サキさんは……」
「サキでいい」
他愛ない会話を振ろうとしたメツの言葉を遮って、サキはデートらしいセリフを吐いてみようかと思い、そうした。
「メツって呼んでいい?」
「いいよ」
笑って答えるメツ。
理性が最大音量で警報を鳴らす。これ以上踏み込むな。死ぬつもりなのに。こんないい青年を泣かせる気か。
それでも本能は止まらず、この青年の横にいたいと叫ぶ。
きっとこれは吊り橋効果と言われるものだ。自身が死に臨むからこそ、日常的なものを愛おしく感じ、なおさら異性に惹かれてしまう。
「ねぇ」
「ん?」
「メツが優しいのは私が死んだって子に似ているから?」
わざと意地悪な質問を投げる。その質問にしばし黙考し、メツは応えた。
「あんまり関係ないかな」
「じゃあ、なんで?」
お人好しで片付けるにはこの青年には世話になりすぎている。
「一目惚れしたから」
「……………………………………………………………………………………はい?」
「だから、好きです」
待て、展開が速すぎる。意味不明だ。こういうことはもうちょっと引っ張るべきだ。そーか。全て分かった。泣いた時に優しくしたからだな?
「それはきっと錯覚で……」
「恋愛って錯覚なんじゃないの?」
「何とんでもないこと言っているの!」
笑顔でさらり、ととんでもないことを言うメツに思わず突っ込みを入れる。
「まぁ、確かに初めは知り合いにそっくりだからつい助けてしまったんだけどさ。泣いちゃった時に優しくしてくれた。だから僕は貴方に惚れました」
推測通りの理由に呆れる判明、サキの顔は真っ赤だ。ふと周りの視線に気付き、急いで人があまりいない所にメツを引っ張り込む。
「だ、だから、それだけじゃ……」
「それだけで十分。突然泣き出した初対面の人間にやさしくするってなかなかできないよ?君の人となりは分かったつもり」
「つもり、でそういうこと申しこむの?」
「他人を全てわかるなんて無理でしょ?だったらどういうスタートだったら納得する訳?僕は既に君に惚れてしまっているわけだけど」
メツの猛攻にサキの足がふらつく。
「……保留」
「ん?」
「だから保留!返事はまた今度!」
「わかった」
快活な笑顔にサキは溜息。それでも口元はほころんでいた。
喫茶店でコーヒーをすする。意外にいい。こういう集合店舗にロクな店は入らないという認識を少し改めるべきか。
一口飲んだコーヒーに上機嫌になりつつも、眼前のルウラに視線を向ける。
ルウラも上機嫌だ。
「コウ」
ルウラを見ると、先程まで映画の感想で大盛り上がりだった様はなりを潜め、いつもの厳格な雰囲気をまとっている。それを受け、コウも自身の浮かれた気分を払拭、熱が引けば本題に突入するのは必然だった。
このデートと見せかけたコウのスタンスへの介入。
「この戦いをどう決着する?」
まっすぐな瞳は何を期待してのものか。
内心、その瞳をせせら笑う。
あの戦場で分かってしまった。
自身が戦場に赴く理由は怒り以外にないのだと。それをとってしまえば戦場に立つ理由はない。コウはただ神が許せないというだけであそこにいるのだ。
人類の為?
世界の為?
そんなこと知ったことか。
そんなことで命は張れない。あくまで神が自分の生活に介入し、引っかき回すから戦場に立つのだ。
自己犠牲で死地に赴くなんてただの大馬鹿野郎がすることだ。そんなことはテレビに出てくるヒーローにでも任せておけばいい。ついでに付け加えるならヒーローが嫌いだ。自分以外の為に命をかけるというのはよほど狂っていなければ出来ない。他者の命と自分の命をイコールに、否、他者の命の方に重きを置いたかのような行動は理解したくない。
あの二月席はトラウマの権化であり、自身を苦しめる。
エリコの顔をして襲い掛かってくる。
それが自身の預かり知らぬところで解決され、あまつさえ生き延びるかもしれない。放っておくわけにはいかない。
「あの神はぶち殺す」
何のこともない様に吐いた言葉はルウラを動揺させるに至らなかった。
「……どうして?」
「あの戦場は紛れもなく殺し合いの舞台だからだ。それにもかかわらず、あの神は死にたがっている」
「どういうことだ?」
はじめて聞く話にルウラが食いつく。
「俺が殺す気で突っ込んだ時あからさまに手を抜きやがった」
今、思い出しても腹が立つ。
「むかつくんだよ。ああいう輩は。てめぇの命だから、自分で首を括るなら別にどうとも思わないがな。他人に殺してもらわなきゃ自分の命の処理すらできねぇんだ。殺した奴がどう思うか知ったことでもないんだろう」
エリコは選択の権利すらなかったのに……。
「命のぶつかり合いをしなくちゃいけねぇのにそれを初めから放棄してんだ。その癖、変に抵抗しやがって。だから殺してやる。俺はエリコだって殺せた。その他のとりこまれた人たちだって。死というものがどれだけ悲惨なものか思い知らせてやる。あの赤巻神に本当の赤い世界を見せてやる」
コウの表情に変化はなく、本気で殺すと思っているからこその平坦な声にルウラの胸は痛んだ。
(それが理由……か)
命への執着心が人一倍強いからこそ、コウは二月席を許せないのだろう。
「あいつを殺して、コウはどうする?」
その問いにコウは驚いたような顔をする。
「コウは、日常に戻れるのか?怒りのままに命を奪えば、待っているのは……」
最後まで口にはしなかった。ほかならぬコウが一番わかっているはずだ。
「あいつが許せないのはわかる。けどコウはどうなる?私はいやな未来しか見えない。私はいやだよ。コウとハヅキには本当はいつも笑ってほしいのに……」
ルウラの痛切な声はコウの心を動揺させていた。
完全に思考停止に陥っていた。
自分でも馬鹿なことを言っていたという理性はあるが、腹の底でのたうちまわるこの怒りの矛先をどこに向ければいいのか。
「…………トイレに行ってくる。会計はすませとく」
たまらずこの場を逃げ出そうと席を立つ。
こういったショッピングモールでは店内にトイレが無いことが今は幸いだった。
「……わかった。そこの時計の下で待っているよ」
コウを留めることもなく、ルウラはガラスから見える時計を指差した。
会計を手早く済ませ、最寄りのトイレを探す。喫茶店付近にあった案内板を見ると少し遠い。本当に行きたいわけでもないが、歩を進める。頭を冷静にする必要がある。
頭を整理する。
戦う理由は、神からの日常への介入を許さないため。
友好的に接してくるならその限りではないが、暴力的な手段に打って出るならそれ相応の返礼を。
そのスタンスのはずだ。
戦闘中に暴力的な思考に支配されがちなのも極限状態ではままあることだ。
だが、あの二月席は?
どうしても生理的に受け付けない。
戦場に敵として出てくる以上生かしておく理由もないし、あの神は強力だ。手加減なんて言葉が出るのは百年早い。
(そもそも死にたがってんじゃねぇか)
エリコの顔で、声で、命を粗末に扱っている。
殺して構わないはずだ。そして殺すには膨大な怒りが必要だ。
でなければ、命を喰らうことなどできはしない。
悶々としながら、通路を歩く途中、コウの鼻が知った匂いをかぎ取る。
どいつもこいつも図ったようなタイミングで出てくる。
コウの意識が戦闘モードに切り替わる。ただならぬ殺気に付近にいた通行人が、道を開ける。視線の先にいるのは二月席。
「久しぶりだな」
「ええ、久しぶり」
黒々とした殺気を隠すこともしない。一歩一歩踏みしめるように二月席に歩み寄る。
二月席の前までたどり着き、両者の視線が間近で交錯する。
「どうした?逃げないのか?」
「……こんなところで始めるつもり?」
こんな人間を前に冷静に対応するサキもサキだ。
「殺気を隠すのが下手ね」
顎でしゃくった先には、おせっかいな通行人が警察に通報しようとしていた。
「すいません!何でもないですから!」
サキが声をあげてその通行人の行動を制する。にこやかな笑顔で手を振り、その通行人をあしらう。
「何のつもりだ?」
「お互いチャンスなのでしょう?私にも、あなたにも、無駄にさせないで」
両者の視線に込められたものは暗黙の了解だ。コウはサキの瞳に生気が宿っていることに気付いたが、無視した。
「間男のように人気のない所へ案内してくれるかしら?私、この辺は詳しくないの。早く」
「……ついてこい」
急かすサキを連れ、裏手にはいった所で、コウに思いもしなかった声がかけられた。
「その人をどうするつもりだ。コウ」
声を聞き間違えるはずはない。それでも振り返るまでコウは信じたくはなかった。
「メツ」
視認して、予感。
「その人をどうするつもりだと聞いている。コウ!」
そしてその叫びで確信。
「……お前、こいつとどういう関係だ?」
「質問に答えろ!コウ!」
男達の間に幾ばくかの沈黙の時間が流れ、先に口を開いたのはコウだった。
「二月席。説明はしてくれるんだろうな」
頭の中で何とかメツを遠ざける方法を探ったが、見つからない。実力行使でメツを気絶させる方法も考えたが、今、真実を明かした方が後に問題を残さなくて済む。
「……メツ」
二月席がメツに相対する。
「サキ。大丈夫。今は怖い顔しているけど、コウは僕の親友だ。話せばきっとわかる」
緊張した顔をするサキを安心させようと、微笑んで見せるメツにサキとコウは同様の胸の痛みを覚える。
「違うのよ。メツ」
痛みをこらえるように、サキがメツの両腕を掴む。女の顔が男の顔を見上げ、唇は真実を伝える為に動いた。
「私は、十二神が二月席。フェブラリー・サキ」
「…………え?」
「私は、貴方達の敵なの」
時計の下で溜息。
(少しは考えてくれればいいのだが……)
逃げるように時間を置いたコウを想う。
出会った時には思いもしなかった程の戦いへの順応性。
命名に引っ張られる。
いつかコウに言い、コウが否定した言葉が重くのしかかる。結局、命名から解放されることなどないのだろうか?
ぼんやりと前を見ていると信じがたい人物……いや、神物を見つけた。
「あれは……」
向こうもそれに気付いたのか、手をぶんぶん振ってくる。
「やっほー。せんぱーい」
「クゥ?」
手に紙袋をぶら下げて悠然と歩いてくるクゥ。
その後ろに見えるはロウアーだ。両手に紙袋をいくつもぶら下げている。
先日、『ロウアーに会いにいく』と言ったっきり、姿を見せなかったがこんなところで何をほっつき歩いているのか。
「お久しぶりですね。ルウラ様」
「何をやっているんだ?」
ロウアーがいるため、警戒心を抱かせるくらいに緊迫感を持ち、目の前まで無防備に接近してきた両者を見据える。
「どうしてロウアーと一緒に居る?」
「いや、単に荷物運びとして呼び出したんっす」
ルウラが睨むとロウアーは苦笑した。
ロウアーは神の世話をする天使であって、何も人間と敵対する立場ではない。嘘を言っていないと見るのが妥当か。
それでもこの天使にはなぜか信頼が置けない。
「買い物っすよ。大漁っす」
紙袋を胸元まで持ち上げ、自信満々にルウラに見せるクゥ。ロウアーは少しげんなりしているような印象を受けた。こんなロウアーは初めて見る。
「先輩。ちょっとこちらに」
手招きするクゥにしたがって通路脇に内緒話をするように固まる。
「私が何を買ってきたのか気にならないっすか?」
「いや、別に……」
「そうっすか。気になるっすか。仕方ないっすねぇ!」
ルウラの言葉を一切無視するクゥは異様にテンションが高い。
「先輩も気にいると思うっすよ」
紙袋から一冊の薄い冊子を取り出し、ルウラに手渡す。
「なんだ?」
ろくに表紙も見ずにページを開いたルウラの顔が耳まで真っ赤になった。
「ななななななな、なんだこれはぁ!」
「落ち着くっす。先輩。ほらほらページをめくって」
「ば、馬鹿を言うな。私はこんな……」
「そう言いつつ、さっきから目線がそれから離れてないっすよ」
「ぐぅっ!」
「ささっ。めくるめく世界が次のページに」
半ばパニックに陥ったルウラの指がページをめくる。
「あわわわわわ。なにこれすごい……」
「ね?すごいでしょう?こんなものがあるんだったら私、人間界に生まれたほうが幸せだったっす」
あのロウアーがげんなりしていたのだから、あの袋の中身は全てこういったものなのだろう。
この神はもう駄目なのかもしれない。
ルウラは頭の隅でそんなことを考えたが、既に共犯になっている自身を省み、穴があったら入りたい気分になった。
「よかったら差し上げるっす」
「……ッ!いらない!いらない!この変態!」
本を手から引き剥がすようにクゥに押し付ける。
「……素直になればいいのに」
本を紙袋にしまいこもうとし、ルウラの視線がクゥの動作に連動して上下する。途中でクゥは手を止めた。
「視線」
「やかましい!」
クゥの手をとって、本を紙袋に押し込ませる。
「大体、神がこんなところで呑気に買い物なんかするんじゃあない!」
「先輩に言われたくないっすね」
「…………わかった。すこしうらにいこう。おもいしらせてやる」
「じょ、冗談っすよ……睨まないで、怖いっす」
溜息を一つ。
「二月席は?」
「な、い、しょ!」
舌を出してウィンクするクゥを反射的にルウラは叩いた。
「いったぁ!」
「す、すまん。つい……」
「こっち来てっからなんか先輩、短気で乱暴になったっすね。あの若人がうつったっすか?」
確かにそうかもしれない。
「好みの男のくせはうつるっす」
「下手な冗談はよせ。さっさと話せ」
コウに好意を抱いてどうする。すでにハヅキがいる。
「まだ行方不明っす。わざわざロウアーのところに顔を出したんっすから褒めてほしいっすね」
「よくやった」
「ああ、それと先輩。あの若人はどんな感じっすか?」
「二月席を殺そうと息巻いているよ」
「それはなにより」
その言葉を聞いてクゥはにぃ、と口を歪める。
「それを聞ければ十分っす」
「それはどういう……」
途端、周りの人間がバタバタと倒れ始める。悲鳴はない。あげる余裕なんて人間には出ない。それは異様な光景だ。毒ガスでも流されたのではないかと思えるほどに、人が倒れ、そしてパニックにすらならない。
神が服従因子を用いたことを意味していた。
メツの肩がサキの肩を掴み、ゆする。
「嘘だろ?」
すがるような願いを口にする。
痛みを湛えた視線に耐え切れず、サキは視線をそらした。その一動作だけで十分に言ったことが真実であるとメツはようやく認めることができた。
「離れろ。メツ」
コウの厳しい声がメツの背中をたたく。
「そいつは、死にたがっている」
コウの言葉にサキは同意するように顎を引いた。表情は曇っている。その様にコウは苛立った。親友まで巻きこんだあげくに今更死にたくないとでもいうのか。
「……嫌だッ!」
メツがコウに相対し、サキを守るように間に立つ。
「彼女は僕の前では死にたくないと言った!」
「お前の前だけだ!」
「本当に死にたい奴はそんなことを言わない!」
コウは矛を一歩も引く気がないメツからサキに向けた。
「どうなんだ?」
「私は……」
「敵対するつもりがないというなら、然るべき場まで来てもらう。ルウラもいる。悪いようには誓ってしない」
必死に説得する以外の選択肢が気づけばなくなっていた。メツの反応からして、もう彼女は彼にとっての大きな存在であるのだろう。親友の想い人を殺せるほど、薄情にはなりきれない。
「メツのことを少しでも想うのなら、一時でいい。引いてくれ。あんたを束縛する気も、手段もこちらにはない」
「サキ……頼む」
コウの説得に同調し、メツが呼び掛ける。
「敵なんてどこにもいやしない。互いが努力すれば分かりあえる」
メツの言葉にサキはビクリと肩を震わせた。
「……違う」
「え?」
「違う!」
サキの絶叫とともに、メツが地に這いつくばった。コウが素早く駆け寄り、メツの状態を見る。体が痙攣し、何とか呼吸するのがやっと。地上でおぼれるという表現がぴったりとくるような……そしてメツに現れたその変調は周辺全ての人間、ショッピッング・モール全域に広がっていた。
「お前!」
服従因子を解放したサキをコウが睨む。
「わかりあう?支配?そんなことはどうだっていい。暁コウ。わかっているでしょう?私は戦って死にたいんだ!だから貴方は私を殺したくてたまらない!『喰らう者』!私を喰らってみせろ!私の喉笛をかみちぎって、私に絶対な死を見せてくれ!」
「……何でそんなに死にたい?」
目に涙をためながら宣言するサキをみて逆にコウは冷えていた。
「教えてくれたら。殺してやる」
全ての感情が消えたコウの顔からはなにもうかがい知ることは出来ない。
「どうやらあんたにとって俺は対峙しうる今のところ唯一の存在なのだろう?俺に執着するなら、スジは通せよ。カミサマ」
言外に『でなければ、あんたの願いなど知ったことか』というメッセージを込める。サキは数秒、コウの眼を見、そして語り始めた
「……私の命名は『望み叶え得ぬもの』。この呪いの力は鉄壁であり、絶対だ」
数日前に味わった絶対的な威力は未だに記憶に新しい。
「しかし、それと引き換えに私は色々なものを失った」
表情は変わらないが、声色に含まれる悲しみは聞いているものの情緒を不安定にさせる。
「なぁ、暁コウ。神の定義とはなんだ?一般的には願いを叶えてくれるものが神様ではないのか?」
「お前たちが来る前までの話を言っているのなら、答えは役立たずの象徴だ。困った時には何にもしてくれやしない」
コウの返答にサキが低く笑う。
「ああ、その言い方はとてもいいな。事実、私が神になった。なってしまったのはその役立たずの神のせいなのだから」
サキは笑いをやめ、なつかしむかのような目をする。
「私が天使の頃、私は死にかけの神に出会った。戦いに恐怖し、もう戦いたくないとのたうちまわるその神が地に這いつくばり、必死になっている場面に出くわしてしまった。これでも幼少のころは純粋で、眼の前で死に掛っていた神は私が住んでいた所の領主ということもあり、何とかしてあげようとした。今にして思えばそれがいけなかった。その神の力も呪いだった。私に比べれば随分と劣るけど」
死者に対しての憎悪がサキの内奥に渦巻いているのがありありとわかる。
「問題なのは、その神が私にかけた呪いだ」
「『神の力を譲渡する』」
口をはさんで意識をこちらに向けさせる。メツは地に突っ伏したままだが、サキのことを見ている。サキのこんな有様を親友に見せたくはない。
「察しがいいね」
「ここまで言われれば、な。大方、対価でも背負わされたのだろう?」
コウの言葉にサキは頷く。
「対価は『私のことを想ってくれる者を一生、失い続ける』」
重い。
「いつも戦士様の話を聞かせてくれた母。大きな手で撫でてくれた父。私の嫌いなおかずをこっそりと食べてくれたお兄ちゃん。その全てがその日のうちに消えた」
コウは息を呑むことしかできない。きっと自分ならば耐えられない。母親が死んだだけで、世界は真っ黒だったのだ。
「家族も、友達も、親戚も、全て奪われた」
次第にサキの表情が歪んでいく。
「恐れと、妬みと、軽蔑が、与えられた」
そういって、サキは嗤いだす。
「とんだお笑い草!助けようとして、失って!それでも、戦って、やっぱり得るものは何もない!強力な呪いの力は未だに私の大事なものを奪い続けている!呪いは呪いを解くことはできない!私は一生、本当に望んだものを手に入れることはできない!」
サキの絶叫はまさしく呪詛だ。サキの苦しみがコウには手に取るようにわかった。もし自分の横に立ってくれる人がいなければ、コウ自身もとっくに駄目になっていた。それを自覚しているからこそ、サキの絶望は深く根ざしていることが良くわかる。
「自殺はできない。私が自殺すれば呪いは暴発する。第一、怖い。まっぴらだ。私の話は戦士のように勇敢に戦って死にました。で、おしまい。物語の締めくくりは満足のいくものでなければ」
絶望に染まった視線がコウを捉える。
「私はここまで戦った。少しぐらい、押しつけさせて」
ふざけるな、とは言えなかった。
人間は追いつめられると最後には何かに押し付けずにはいられない。それがたまたま、ファクターのこともあり、自身だったのだろう。
「だ、め……だ」
メツが必死に声を出す。
「生き……て……」
メツの言葉にサキが目をそらす。
「駄目。メツを、殺してしまう」
その言葉にメツが顔をあげる。
サキは今にも壊れそうな笑顔をメツに向け、そして厳しい顔をコウに向ける。
「一週間後、私達が初めて出会った地で、もう一度」
そう言い残し、サキは立ち去った。
追えない。
追った所でどうすることもできやしない。戦闘に入ればここ一帯の人間は全滅する。あの神の半径一キロメートルは死の世界だ。
ルウラはその場から動くことは許されなかった。少しでも動けば二月席がどういう行動をとるかわからないという懸念があったからだ。ロウアーは異変が起こってすぐに走って二月席を探しに行った。ルウラが二月席に最初に会うことはできれば避けたいという思惑からだが、二月席との遭遇は思いのほか簡単だった。何せ立っている者が自分たち以外いないのだ。広く開けたデザインであるモール内ではよく目立つ。
「まぁ、彼女はそんなことしないと思ったんっすけどね。一応」
ルウラにそう言いながらクゥは二月席に歩み寄る。
「へぇ、可愛らしい顔をしているっすね」
「世辞はいい」
「……まさか人間と交流深めてきたとかないっすよね?」
「くどい」
不機嫌に応えてクゥの横を通り過ぎ、サキはルウラと対峙する。
「お前は……」
ルウラはその顔に見覚えがあった。コウがあそこまで取り乱すのも頷ける話だ。
「一週間後だ。私とあの人間の男は決闘する。あの場所で。お前たちは好きにすればいい」
過去、この神と対峙した時に感じた黒々とした負の感覚。それは以前にもましているように感じた。あの時は発動した呪いの終着点を捻じ曲げることで自分が呪いに掛ることを回避したが、二度と戦いたいと思わなかった。勝ち負け以前の問題で、この神の戦いは虚ろに過ぎるのだ。この神と戦うことは精神衛生上よろしくない。
「コウと何を話した?」
「語る必要はない」
そう言い残すと二月席は去っていった。
「あーあーあー。勝手に決めてくれちゃって」
うんざりといった風にクゥは両手をあげた。
「……そう言えば何故、クゥは戦っているのだ?お前は好んで戦うような神ではないだろう」
「どーでもいいじゃないっすか。なんかもー状況は悪くなっちまったし」
「?」
「二月席さん。多分、変な関係作っているっすよ」
「わかるものなのか?」
「こう見えても他者を見る目はある方っす」
むくれても丁寧に対応してくれるクゥをみて、ますます釈然としない。
「何か企んでいたのか?」
「私をロウアーみたいに言ってくれるのはやめてほしいっす」
溜息。
「戦わないのが一番だって言うのはわかるっすけど、戦わないとどうしようもないこともあるんすよ。今回なんかそのいい例っす」
「そうだな」
今回に事は限らない。これからも戦いによるやり取りは行われるだろう。他の神を見れば回避するのは難しい。
ここで違和感。
クゥの言葉にどうしようもなくそれを感じる。
「なぁ、クゥ」
「なんっすか?」
「お前は最高神になりたいと思っているのか?」
「ええ?どうしたんすか?いきなりそんな眠たくなる疑問を投げるなんて。……と先輩を存分にからかいたいところではあるっすけど、気持ちは分からないでもないっす」
「私達は神だ。だからあちらにいたときはあまり疑問も無く戦っていた」
「さらに付け加えるなら何故、それに対して疑問すら持ち合わせなかったのかということもあるっすけどね。私だって情報収集だけは欠かさなかったっす」
「そんな私達が何故『戦わないことが一番』なんて何の疑問もなく口にした?」
あちらにいた時は、こんな空虚な言葉は神の誰しもが忌避し、皮肉や冗談程度にしか使われなかったはずだ。それをさも自然に口にする。ルウラに限って言えばダンクの時からそうだった。
結果的に殺し合うならば表向きは協力体制をとっていたとしても、足の引っ張り合いくらいは考えたはずだ。
「まぁ、いいんじゃないっすか?あんな殺し合いバトルロワイヤルなんて今時流行んないっすよ。時代のニーズは萌えっす」
「時々、お前のことが本気で心配になるよ」
「いやいや、それほどでも」
「褒めてないぞ」
今までの登場人物でなにげに一番めんどくさいのはクゥです