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 二二〇〇時過ぎに伊豆大島へ到着した「ながと」だったが、島の状況は想像以上に絶望的であった。

 このままでは、二六〇〇人もの人々が死ぬ……伊豆大島との通信を行っていた佐竹は、拳を血が滲まんばかりに握り締めた。

 「ながと」の艦橋からでも、暗闇にぼんやりと浮かぶ伊豆大島の中央部から麓へかけて、真っ赤な溶岩流が流れ出ているのが確認できた。

 彼の脳裏にはある光景が映し出されていた。四一年前、まだこのフネが「長門」という名前だった頃に見た、アメリカ軍の空襲で劫火に包まれる東京の空。真昼のように燃える街。焼き尽くされる人々。

当時の艦長渋谷大佐が言った、


「決して忘れるな。僕たち軍人が不甲斐無いばかりに犠牲となるのは、罪もない国民なんだ。僕たちが守らねばならぬ国民が……」


 との言葉。


(また、守れんのか)


 佐竹の心に、形容し難い怒りが込み上げてきた。

 あの時ほど味わったことのない無力感と、軍人の端くれでありながら何にも出来ない身を切るような自責の念。二度と同じ思いはしないと、今度こそ守り抜いてくれという願いを込めて生かされた「ながと」に乗りながら、なぜ再びあの悪夢を見なければならないのか。


 (帝国海軍は国民を守ることができなかった。その反省の下に生まれた我が自衛隊が、あの日と同じように指を咥えてただ眺めているだけしかできんのか!)


 考えろ、何か策はあるはずだ。ここで諦めたら、自衛隊は文字通りの役立たずに成り果てる。国の税金で飯を食う俺たちの存在意義は、その身を挺して国民を守ることにあるのだ。

 瞬間、艦橋の外にある「ながと」の主砲――四一〇ミリ連装砲が、彼の目に留まった。ついぞ敵戦艦に向けて放たれることなく今日に至り、ミサイル全盛の現代では無用の長物と化している化石のような存在。

 佐竹はその時、心に響く声を聞いた気がした。


『私はまだ戦える。私を使って欲しい』

(「ながと」――!)


 そうだ。「ながと」は戦艦なのだ。海自では並ぶ者のない四一〇ミリの巨砲八門を持つ戦艦なのだ。

 今の声はきっと「ながと」の声だ。少なくとも彼はそう信じた。

 やってみよう。可能性は僅かだが決してゼロではない。


「艦長」


 艦橋内で部下たちとどうすべきかを話し合っていた艦長へ、佐竹は言った。


「主砲を使おう。溶岩流と元町の中間地点にありったけの主砲弾を撃ち込んで大穴を穿ち、溶岩流をそこへ流して時間を稼ぐのだ」

「し、司令、それは――」

「無茶苦茶であるのは分かっている。一か八かの賭けだ。しかし、他に策はなし、時間もない」

「幸いにも訓練のために実弾は積んでいますが、一歩間違えれば町を吹き飛ばしてしまいます」

「今撃たずしてなんのための自衛隊だ。なんのための『ながと』だ! 艦長、全責任は私が負う。命令だ。撃ちたまえ。心配はいらん、本艦の砲術の腕前なら大丈夫だ」


 命令とあらば是非もない。翻意を促していた艦長は、


「了解しました。主砲、撃ち方用意!」


 と命令を下す。

 まさか自分たちにお声が掛かるとは思っていなかった砲雷科員たちは、しかし命令一下すぐさま主砲射撃準備に取り掛かり、様々な号令が飛び交う。


「右砲戦」

「目標、三原山の麓」

「艦長、射撃目標の視認不能!」

「探射灯照射!」


 「ながと」の煙突の周りに備え付けられている探射灯が、光のビームを三原山の麓へ浴びせる。暗闇の中を太いビームが貫き、麓を眩しく照らす。

 佐竹はマイクをとった。無線の周波数を先ほど伊豆大島の対策本部と通信した時のそれと合わせさせ、対策本部を呼び出す。




 突如、沖合いから一筋の光芒が伸びたかと思うと、三原山の麓をまさぐるように細かく動き始めた。

 一体何事だと訝る対策本部の面々の元へ、再び無線通信が入った。今度も川田が返答した。


「こちら伊豆大島対策本部」

「こちら練習艦『ながと』。これより本艦は主砲射撃により溶岩流の動きを食い止めるつもりだ。そちらの方で射撃目標を指示してもらいたい」


 川田は我が耳を疑った。「ながと」の主砲と言えば四一センチ。確かに地面に命中すればその破壊力で大穴を開けられるが、前代未聞の使用方法である。


「町長、沖合いの自衛隊の護衛艦が、主砲弾を撃ち込んで穴を開け、溶岩流を食い止めるつもりです」

「なんだと!?」

「無茶だ。町中へ誤射したらどうするんだ!」

「危険です。やめさせましょう」


 その場に集う男たちは次々に反対した。しかし秋田は違った。


「では他にどうしろと? 溶岩流が勝手に止まってくれるのを待つか? 水蒸気爆発が起きないと期待して波浮港へいくか?」


 またも沈黙する対策本部。秋田は川田の方へ向いて尋ねた。


「川田、おまえは昔海軍で「長門」に乗っていたそうだな。おかしな偶然だが、どうなんだ、弾丸が誤って町中へ飛んでくる可能性は?」

「適切な射撃目標の指示と、向こうの腕前如何による。しかし、目標は不動の大地だし、向こうも撃ち易いように態勢を整えるだろう。可能性は低いはずだ」


 秋田はわかったとばかりに頷き、町長に言った。


「町長、やってもらいましょう。この上は何だってやってみるべきです。座して死を待つぐらいなら、最後まで足掻くべきです!」


 その言葉に、植村町長は大きく息を吸い、そしてゆっくり吐いた。ややあって町長は、


「よかろう。撃ってもらおうじゃないか。どの道、もう万策尽きた。後は、神様仏様に祈ろう」


 決断を下した。

 川田はすぐに無線に取り付き、


「これより発炎筒をもって射撃目標を指示する。二〇分だけ時間をくれ」


 と叫ぶように言った。

 言うが早いが川田は携帯用の別の無線機を掴むと対策本部を飛び出し、避難誘導のために揃えてあった発炎筒入りのダンボールを自動車に乗せる。役場にいた若い者たちが手伝う。

 積み終えた川田は運転席に飛び乗り、積み込みを手伝った若者を一人乗せて自動車を走らせる。すでに溶岩流の流れているコースは頭に入っている。そのコースと元町市街地の中間地点までは五分足らずだ。

 元町から東南東へ一〇〇メートルほどいった場所へ到着し、自動車から降りると、三原山から流れ出ている溶岩流が一〇〇メートル先まで迫っているのが見えた。この距離からでも分かるぐらいの熱気が顔を刺す。ぐずぐずしている暇はない。川田は連れてきた若者と手分けして片っ端から発炎筒に火を点け、辺りに満遍なくばら撒いて置く。

 沖合いにいる巨大な艦影から伸びるビームが、やがて発炎筒の噴き出す煙を捉えた。


「ようし、気付いた!」


 川田は自動車に戻ると、運転を若者に任せ、無線機に向けて怒鳴った。


「こちら対策本部、『ながと』へ、目標は見えたか?」

「こちら『ながと』、本艦でも確認した。射撃準備も完了している」

「了解した。こっちはもう大丈夫だ。遠慮なく撃ってくれ!」

「了解」




 すべての用意は整った。「ながと」は伊豆大島元町の西南西、距離一〇〇〇メートルという戦艦(・・)にとっては超至近距離を速力一五ノットで航行しながら、その命令を待つ。

 佐竹は双眼鏡で外の様子を見た。大量の発炎筒が出す煙の束を、「ながと」探射灯がしっかりと捉えている。

 佐竹はすうっと息を飲み、下令した。


「射撃開始!」

「撃ち方始め!」


 艦長の命令と共に砲雷長の、


()ぇ!」


 の号令が響き、艦橋最上部の射撃指揮所に詰める射手が引き金を引いた。電気信号に変換されたその指示は「ながと」の四基の主砲塔へ瞬時に伝わり、装填されている火薬を規則正しく炸裂させた。

 時間にしてゼロコンマ数秒以下のタイムラグを置いて、「ながと」はレイテ沖海戦以来実に四二年ぶりとなる実戦(・・)で主砲を撃ち放った。

 「ながと」のいる場所だけ、闇が綺麗に切り取られたかのように明るくなった。ほぼ同時に身体をてっぺんから殴られたかのような轟音が響き渡る。

 砲口から飛び出した八発の一式徹甲弾(原設計は一九四一年である)は初速毎秒七九〇メートルの速度を与えられ、発砲から一秒強で目標となる中間地点に命中、優に数十メートルは地中に潜った後に信管を作動させ、爆発した。

 着弾した場所は大量の土砂を噴き上げ、月面のクレーターのような穴を穿つ。

 「ながと」は三〇秒に一回のペースで一度に八発の主砲弾を撃ち続ける。主砲の装填機構を改良していたおかげで、戦中の半分の時間で射撃ができるのが幸運だった。


 元町へ戻る車中、最初の射撃を目撃した川田は思わず、


「長門!」


 と叫んでいた。三原山のもたらす恩恵に与るだけのシケたこの島が嫌で海軍に入り、自分の若き時代を象徴する戦艦が、嫌でたまらずに出てきたのに、潰れてしまった海軍のために結局は戻らざるを得ず、今日まで生きてきたこの島――に暮らす住民を救うべく戦っている。その光景に彼は叫ばずにはいられなかった。

 波浮港に集っていた住民たちが、島内のバスに分乗して元町へ送り出されている。その頭上を、真っ赤に焼けた灼熱の弾丸が飛び抜けていく。

 島民たちはみんな、沖合いで火を噴き続ける「ながと」の姿を目に焼き付けていた。

 それだけではない。元町に残っている島民たちの誰もが――役場にいる対策本部の面々も含め、老嬢の奮闘を見ていた。

 誰が最初に言い始めたのかは分からない。

 気付いたときには、元町に集結した残存島民二〇〇〇人の大部分が、


「頑張れ、『ながと』!」

「『ながと』!」

「俺たちの町を守ってくれ!」


 と、老若男女問わず海に浮かぶ彼女へ精一杯の声援を送っていた。


 艦橋に立つ佐竹は、射撃を続けるたびにどこか軋む音が聞こえてくるのを認めながら思った。

 「ながと」が今日この日まで生き永らえてきたのも、自分が親父と喧嘩してまで海上警備官になったのも、すべてはこの日を「ながと」と一緒に戦うためだった。そういう運命だったのだ、と。

 「ながと」艦長時代に考えた、有事における超法規的行動の如何は、結局、いざとなったら考えるまでもなかったなと、ホンの少し苦笑した。

 「ながと」は撃つ。六六年の艦生を振り返り、今まで宿敵に主砲を撃つ機会に恵まれなかった彼女。

 かつての主人が自分を上手く使ってくれず、横須賀で朽ち果てる寸前まで落ちぶれた過去を振り払うかのように――同じようにこの国のために生まれながら、ついぞ本分を全うすることなく、南洋の海で、沖縄の海で、瀬戸内海や横須賀のねぐらで沈んでいった彼女の戦友たちの何事かの無念を晴らすかのように、「ながと」は撃ち続ける。

 一度に合計八一六〇キログラムの鉄量を叩き込まれる三原山は、自身の噴火と、海上に現出した人工の噴火によって大きくその形を変えていく。


「第二〇斉射、撃ぇ!」


 砲雷長の号令が聞こえた直後、二〇回目の爆発が一〇〇〇メートル先に起こる。

 次の射撃が行われる前に、佐竹は、橙色をした溶岩流が池のように溜まっているのを確認した。


「目標内に溶岩流が滞留しています。成功です!」


 見張り員の歓喜の声が届き、艦橋内に驚きと安堵の声が入り混じる。


「射撃止め!」

「撃ち方止め!」


 硝煙の臭いが漂う中、先ほどまでの幻想的ですらあった主砲射撃が止まり、佐竹はマイクを取った。


「こちら練習艦『ながと』。本艦から見て溶岩流は留まっているように見える。そちらでも確認して欲しい」


 ややあって、佐竹もどこかで聞いたことのあると思っている声で返答があった。


「こちら伊豆大島対策本部、溶岩流の進行が止まっているのをこちらでも確認した! 成功だ!」


 瞬間、艦橋内の男たちは喜びを爆発させた。


「了解した。引き続き避難を続けて欲しい」

「ありがとう、本当にありがとう」


 ここで、無線は切れた。まだ伊豆大島の彼らには、残る島民を完全に退避させるという仕事が残っている。


「総員気を緩めるな。また溶岩流があふれ出る可能性は十分にある。最後の一人がフネに乗り込むまでは決して警戒を怠るな」


 「ながと」艦長は艦内放送で乗組員の油断を戒める。

 艦長のそんな態度を見て、これが上に立つ人物のあり方なのだと、航海科員として艦橋にいた山中勝則三等海尉は思った。

 そんな山中三尉に対し、佐竹は微笑みを浮かべ艦長の方を見ながら話しかける。


「君も艦長になったとき、あのような態度で部下を統率せねばならんよ」

「はっ、肝に銘じておきます」


 と、山中は慌てて表情を作り言った。

 佐竹はにこりと笑った。




 大噴火の始まりから一三時間四〇分が経過した翌二二日午前五時五五分、朝日の曙光を浴びながら最後の避難船が島を離れた。伊豆大島の住民一万人の脱出作戦が完了した瞬間であった。

 溶岩流はその数十分後に「ながと」の開けた大穴から再び流出を開始した。島に残った一九名の消防団たちが、消防車を何台も連結させ、海から水を汲み上げて溶岩の先端にかけ続ける作業を行っていた。結果、溶岩の流れは元町から二〇メートルのところで進行を止めた。


 「ながと」はその身に避難民約一二〇人を乗せて横須賀の港へ入ろうとしていた。

 日はすでに高く昇り、師走の声が聞こえてくる季節に相応しい冷たさの風が吹き抜けているが、甲板には人の影が消えることはない。

 伊豆大島を脱出してきた避難民たちが、「ながと」の主砲塔に集い、その鋼鉄の身に手を触れ、口々に感謝の言葉を述べていた。

 艦橋からその様子を見ていた佐竹は、誰にともなく呟いた。


「負け続けの私たち(・・・)だが……今度は私たちの勝ちだ」


 たまたま傍にいた山中三尉が思わず、「えっ?」と聞き返す。

 佐竹は甲板上にいる避難民たちを見ながら続ける。


「見たまえ。彼らは無事にここにいる。それが私たちの勝利だ。彼らが無事に生きている限り、私たちの負けはない」


 司令の言う私たち(・・・)が、司令と、「ながと」のことを指していることに気付いた山中三尉は、大きく頷いた。


 * * *


 空前の島民一万人脱出作戦、それが「ながと」の活躍により奇跡の成功を収めたことがニュースとなって日本全国に伝わると、主要マスコミや進歩的文化人たちは「ながと」の艦砲射撃を非難した。政府の命令を待つことなく勝手に実弾を用いて、市街地に近い場所へ砲撃を行うというのは許されざるものであるとするその主張に対し、佐竹は一切の弁解をしなかった。

 一九八七年に入り、彼は海上自衛隊を依願退職した。佐竹はあの日、「ながと」の射撃を命じた時点でこうなることは予想していたし、その場合には制服を脱ぐことを決めていたのである。


 民間人となった佐竹は、かつての上官であり今では自衛隊の最高責任者たる内閣総理大臣の中曽根康弘と私的に面会した際、「君を庇えなくてすまなかった」と謝罪される。

 佐竹はそれに対し微笑しながら、「誰かが責任を取らねばならない事態でした。あの場の責任者が私であった以上、辞めるのは当然です」と答えている。



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