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 東京の南一一二キロメートルの沖合いにある伊豆大島は、伊豆諸島の中では最大の島であり、島の面積は九〇平方キロメートル、人口はおよそ一万人の、名前通り大きな島である。

大島は四つの港を中心にした地区に分かれている。島の西側にある元町港を中心とした地区、そこから車で一〇分程度の距離にある島の北の岡田港を中心とする地区、島の南にある波浮(はぶ)港を中心とする地区、そして岡田港からやや東に位置する泉津港の地区である。

 今も昔も伊豆大島の産業は観光に頼っている。その目玉は島の真ん中にある三原山。ただの山ならその価値はゼロに近い。この島の産業を支えている三原山は、活火山であった。 

 伊豆大島の住民は三原山のことを「御神火」と呼び、島に富をもたらす神の恵みとして敬っていた。噴火の度に観光客が大挙して押し寄せ、島に金を落としていく。


 その「御神火」が島民に牙を剥いたのは、一九八六年(昭和六一年)一一月二一日のことだった。

 噴火自体は、その六日前から起こっていた。この当時の伊豆大島は、三原山の噴火が一二年前に起きたきり休止しており、観光客の数が減少の一途を辿る危機的状況であった。

 そのため、島民の多くは久々の噴火を心より喜んだ。全国から噴火見たさに観光客が殺到したのである。

 二〇日になって、それまでの噴火が沈静化し、火口から噴出していた溶岩流が動きを止めた。各町では地元警察と話し合い、観光客をもっと噴火口にまで案内できないかと検討していた。

 その会議が終わった二一日午後四時一五分。突然、耳を劈く大音響と、今までの噴火に伴う有感地震が児戯に思える凄まじい揺れが島を襲った。

 大噴火の始まりだった。

 一四二一年の応永の噴火から数えて五六五年ぶりのことであり、まずいことに噴火は頂上の火口だけでなく、その外側にあって今まで噴出した溶岩を塞き止めていた外輪山の外側でも噴火が始まったのである。

 そして、最初の大噴火から二時間が経過しようとしていた午後六時八分。溶岩流は外輪山のさらに外側に位置する最後の防護壁だったカルデラを越えて、麓の元町市街に流れ始めた。

 伊豆大島には大昔の噴火の跡が四〇以上もあった。これら旧火口が一斉に蘇ったら、もはや島の中で避難場所を探している余裕などない。島民一万人が追い詰められた。


 伊豆大島元町にある町役場へ設置された対策本部内で、助役の秋田壽と、彼と子供の頃からの顔馴染みである川田二郎はある決断を下そうとしていた。


「秋田、もう四の五を言ってる暇はない。まごまごしていたらこの島一万の人々が溶岩流に飲まれるか冬の海へ飛び込むかしかなくなる。やろう、全島民を脱出させるんだ」


 川田の声に秋田は頷いた。


「うん、やろう。川田、俺は町長にこのことを伝える。おそらく大変な事態になるだろう。俺は町長の補佐としてここに缶詰になる。川田、お前は――」

「分かってる。現場は任せろ。なに、これでも昔は海軍で兵隊やってたんだ。修羅場はお手のモンだよ」


 川田はそう言ってニヤリと笑みを浮かべた。秋田は植村秀正町長に全島民脱出の決断を迫った。顔面蒼白になっていた町長はしかし、秋田の言に即断した。


「やろう。やらんで一人でも犠牲者が出たら大変なことだが、やってなんの被害もなかったらこれに越したことはない。やろう」


 かくして、史上最大の脱出作戦が幕を開けたのである。


 マニュアルはどこにもない。各人が自分の持ち場で手を尽くすしかなかった。島と本土を往復する東海汽船のフネ、海上自衛隊や海上保安庁の護衛艦、巡視船の派遣要請、はたまた近隣の島々からの漁船まで、大小三〇隻のフネが一万人もの人々を脱出させるために呼び集められた。




 二一日の夕刻から夜半にかけて、当時の日本政府もまた、伊豆大島噴火の情報を受けて、対策を採ろうとしていた。総理官邸の執務室では、官房長官後藤田正晴が、イラついた表情を隠さず声を荒げていた。


「一体国土庁はなんの会議をやっとるんだ! この非常時に暢気に何時間も……なんの議題を話しているのか、すぐ聞け!」


 カミソリ後藤田とあだ名のつく警察官僚上がりのこの政治家は、いつまで経っても結論の出ない会議というものが大嫌いだった。

 このままじゃ埒があかないと見た後藤田は、


「安保室長(内閣安全保障室長)佐々君、君がやれ。内閣でやっていこう。協定もへったくれもあるか」


 後藤田にそう指示された内閣安全保障室長の佐々淳行は、執務室のデスクにデンと腰を据えている人物へすぐさま視線を向けた。

 その人物――第七三代内閣総理大臣中曽根康弘は、構えた表情を崩さず、


「俺が責任を負う、すぐにやりなさい」


 と言った。

 あさま山荘事件で中央から派遣されて指揮をとった経験を持つ佐々は「そらきた」とばかりに、


「総理の命令でございますね?」


 と念を押す。

 こうして、日本政府の方でも担当省庁の愚鈍さを切り捨てて、伊豆大島住民の脱出作戦を進行していく態勢が出来上がった。


「今、具体的に何隻のフネが向かっている?」


 後藤田の問いに佐々があらかじめメモしておいた内容を読み上げる。


「合計三八隻のフネが伊豆大島へ向かい、先行したフネはすでに避難民を収容し始めている模様です。また、付近を航行していた海上自衛隊の練習艦隊『ながと』と『かとり』が、自発的に訓練を切り上げて北上中とのことです」


 その言葉に、中曽根はぴくりと眉を動かした。


「総理?」

「いや、なんでもない。続けたまえ」

「はっ、次に、大島との連絡ですが……」


 あの「ながと」が――四二年前、主計大尉として乗り込んだあの「長門」が偶然にも、この事態に立ち向かうべく伊豆大島へ急行している。

 そしてその「ながと」には、四二年前に自分の部下だった男が、司令官として乗っているのを中曽根は知っていた。


 * * *


 護衛艦から練習艦へと格下げされていた「ながと」は、僚艦の「かとり」と共に小笠原諸島の北方で若き士官たちの訓練を行い、所定の任務を終えて横須賀へ帰還する途上にあった。


「司令、伊豆大島からの無線を傍受しました。島の三原山が噴火し、全島民を島外に脱出させている模様で、付近を航行中の全船舶に対し、救援を要請しています」


 「ながと」艦長の報告に、佐竹は僅かばかりに表情を変えた。


「全島民の避難とは緊急であるな」


 佐竹は一九八二年(昭和五七年)に海将補へ昇進していた。海軍の水兵は「提督」と称される地位にまで上り詰めていたのだ。

 旧軍時代の海軍兵学校出身ではなく、防衛大学の出身でもない一般大学上がりの身としては望み得る最上に近い出世であった。

 すでに帝国海軍時代を知る海上自衛官は、佐竹の他には海自制服組トップの海上幕僚長・長田博海将しか存在しない。その長田海将も、一九四四年一〇月に海軍兵学校へ七六期生として入学し、終戦時に第二学年として修了しているため、一九四三年六月に海軍へ入り、実戦をも経験している佐竹の方が実質上の先輩である。佐竹は、歴史上の存在となりつつある帝国海軍の気風を知る唯一の海上自衛官であると言っても過言ではなかった。

 彼が練習艦隊司令官を拝命したのは昨年の一二月のことだった。以来佐竹は、将来の海上自衛隊を背負って立つ士官の卵たちに、海のオフィサーとしての基礎を叩き込む艦隊の長として任務に当たっていた。

 主計兵として、捕鯨母船の乗組員として、艦長として、そして司令官として四度目の「ながと」乗り組みとなっていたわけである。

 よくよく彼女とは縁のある海上生活だと言えた。


「防衛庁から災害派遣命令は出ていないな?」


 佐竹は艦長に訊く。


「現在のところ、命令は入っておりません」

「了解した。これより本艦隊は自衛隊法第八三条第二項に基づき、伊豆大島へ向かう。艦長、よろしく頼む」

「了解しました」


 佐竹の決断は素早かった。彼は、自衛隊法第八三条第二項に定められている「天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる」という条文(前項とは都道府県知事その他政令で定める者による防衛大臣又はその指定する者への部隊派遣要請である)に基づき、艦隊を災害派遣のため急行させることを決断したのである。

 掻い摘んで言えば、助けてという要請を出す暇もないぐらい火急の事態では、部隊を命令を待たずに派遣しても良いとする決まりであり、佐竹はそれに従ったのである。

 佐竹は故事を思い出す。この「ながと」が生まれて間もない一九二三年(大正一二年)九月一日、関東大震災が発生し、当時大連沖で演習を行っていた「長門」は、演習を打ち切り途中寄港地で救援物資を積み込み、最大速力で東京へ急行した過去があるのだ。

 「ながと」はたちまち緊迫した空気に包まれた。艦長指示の下、航海長は伊豆大島までの距離を算出し、機関長は「ながと」の機関の調子に異常がないか調べる。

 佐竹はその光景に既視感を覚えた。昔、これと同じような空気に触れた覚えがある。どこだ、いつだ。


(そうだ、あの時だ。レイテ沖海戦の時だ)


 佐竹は思い出した。爆撃を次々に回避する「長門」の艦橋の中で主計兵として働いていたあの時とそっくりなのだ。

 脳裏に蘇るあの日の記憶。それと同時に、佐竹は満足のいく思いだった。少なくとも「ながと」に乗り込む海上自衛隊員は、戦争と同じようにこの事態を戦う気構えが出来ているのだから。

 艦長の号令が飛ぶ。


「最大戦速即時待機」

「二五ノット即時全力三〇分待機となせ」


 伊豆大島まで七五海里(約一四〇キロメートル)の海域にいた「ながと」は、この距離なら全速を出してもどうにか「ながと」の機関は持つだろうと思われた。艦齢六六年になる「ながと」は、カタログ上では二五ノット(約時速四六キロメートル)を出せるはずだったが、老いは隠せるはずもなく最近では二二ノットを出せれば御の字という状態だった。

 また「ながと」は蒸気タービン機関であり、所定の速力へ増速する場合は蒸気圧を高めなくてはならず、即座に速力が上がるわけではないのである。

 後をついてくる「かとり」は設計通りの二五ノットの全力発揮が可能であるので、「ながと」は「かとり」に追い越されるはずだった。

 ところが、三〇分が経ち「ながと」が機関を目一杯回し始めたというのに、「かとり」と「ながと」の距離は変わらないばかりか、徐々にではあるが逆に引き離し始めていた。

 佐竹は「ながと」機関長に、現在何ノットかと訊いた。機関長は自身の驚きを隠さずに「二六ノットを超えています」と答えた。

 耳を疑った。自分が艦長時代でもこんなことはなかった。

 前例がないわけではない。元々日本の軍艦はカタログ上の性能よりも実測値の方が優秀であることが多く、あのレイテ沖海戦時も、二七ノットの全速で走り回る「大和」や「武蔵」に「長門」は付き従い、遅れを取らなかった。

 しかし今の「ながと」は、満足に二五ノットも出せない老朽艦である。

 佐竹は、日本帝国海軍艦艇の唯一の生き残りである「ながと」に、太平洋で沈んでいった幾多の戦友たちがあの世から力を貸しているのではないか……自分たちが果たせなかった「国民を守る」ための戦いに馳せ参じようとしている彼女に、自分たちの無念を晴らしてくれるよう願っているのではないか……そう思えてならなかった。

 波を切り裂き突き進む「ながと」。計算によれば、約三時間後、二二〇〇時(午後一〇時)過ぎに伊豆大島へ到着する予定だった。


 * * *


 秋田助役の陣頭指揮の下、伊豆大島の全島民避難はどうにか目処が立っていた。関東一円から急派されたありとあらゆる艦船に島民たちは乗り込み、翌朝までには全員が島を離れられるものと推測されていた。

 なんとかなりそうだ――町役場内の対策本部に安堵の空気が漂っていた。


「ヘリコプターからの目視によれば、溶岩流が元町の二〇〇メートルから三〇〇メートルまで接近中。アスファルトの上に到達するとスピードはさらに上がり、海に達すれば水蒸気爆発の恐れあり」


 という凶報が飛び込んできたのは、まさにその時だった。

 その時点で元町にいる島民は一二〇〇人、とてもではないが溶岩流が町を飲み込むまでに全員がフネに乗ることは不可能だった。

 午後九時一三分に秋田は波浮港へ島民を移動させ、そこからフネに乗せる決断を下した。

 だが事態はさらに悪化の一途を辿る。波浮港の海面が変色していた。噴火の起きる予兆だった。高温のマグマが海水に触れて大爆発が起きる兆しだったのである。

 元町には溶岩流が迫り、波浮には水蒸気爆発の危険。

 どうすることもできなかった。脂汗を滲ませる秋田を見て、今まで外で避難民の誘導に当たっていた川田もまた、全身の力が抜けるような無力感に襲われていた。

 重苦しい空気に支配された対策本部。その静寂を破るかのように、無線機が電波を拾い音声を流し始めた。


「お……よ……うと……じ……」


 誰も取ろうとしないので、川田は無線機のチューニングを合わせた。


「こちら、海上自衛隊練習艦隊旗艦練習艦『ながと』。伊豆大島、応答されたし。繰り返す、こちら、海上自衛隊練習艦『ながと』、応答されたし」


 無線機から流れてくる声は、どこかで聞いたような懐かしさを感じさせるものだった。

 川田は無線機に応じた。


「こちら伊豆大島対策本部、練習艦『ながと』、応答してくれ」

「よし、通信が安定した……本艦は現在伊豆大島まで五分のところまで到達した。どの港へいけばいいか指示をして欲しい」


 無線の向こうの声は、川田と同年代の人物らしかった。その様子からは武人らしい落ち着き払った態度が想像できる。


「――練習艦「ながと」、現在、伊豆大島は我々のいる町と隣町を合わせて二六〇〇名が未だ避難未了だ。我々のいる元町には溶岩流が迫り、隣の波浮港周辺は水蒸気爆発の恐れがあって使用できない。このままでは、島民二六〇〇名が――」


 川田はその先を言うことが出来ない。一〇畳足らずの狭い対策本部に詰めている六人ほどの男たちがみな、川田の一言一句を聞いている。

 無線の声色が変わった。


「溶岩流到達までに全島民の避難は無理なのか?」

「時間的に間に合わない。溶岩流の速度からして、日付が変わる頃には元町を襲っている。今も全力で避難させているが、全員の脱出完了はどんなに早くても明日の明け方だ」


 電波の先の声の主が息を飲むのがわかった。


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