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 燃料不足のため室内はろくに暖房が効いておらず、外の一月の寒さと大して変わらない現状に、これがかつては世界第三位の海軍の行政を担う組織が置かれた建物だったのかと、改めて今の日本の落ちぶれようを見せ付けられる思いだった。


「こちらがそのリストです」


 目の前に座る人物の声に、中部謙吉は意識を現実の世界に引き戻した。

 中部が今いるのは第二復員省総務局……一ヶ月前まで「海軍省」と呼ばれていた建物の二階の部屋だった。復員省とは、太平洋戦争の終戦に伴い、日本国外に取り残されている軍人たちを速やかに帰国させるための業務を執り行う省で、海軍省が消滅した後即日その人員と行政を横滑りさせて発足していた。

 中部は軍人ではない。大洋漁業(現・マルハニチロホールディングス)の副社長という肩書きを持つ民間人だ。四九歳で日本の捕鯨業界では一、二を争う社のナンバー二を任されてはいるが、その前途は暗い。

 終戦後日本に進駐してきた連合軍最高司令部、通称GHQの指令により、日本の漁業は本土近海だけに限定され、戦前から南氷洋で捕鯨を行っていた遠洋漁業会社は大打撃を受ける。さらに、小笠原諸島が日本領土としての主権を停止され、同諸島にあった捕鯨基地が使用できなくなってしまったため、どうにか捕鯨を再開しようと八方手を尽くしてきた大洋漁業は、洋上で捕獲した鯨を処理する捕鯨母船を入手しなくては、漁に出ることができなくなっていた。

 中部が第二復員省へやってきていたのは、その捕鯨母船のための艦船を貸与してもらうためだったのである。


「拝見します」


 中部は手渡された書類に眼を通した。

 一枚目の紙の一行目に書いてあった艦名を見て、中部は仰天した。

 そこには、「バトルシップ・ナガト、三万三〇〇〇トン、八万馬力、ダメージ」との文字があったのである。


「保科さん、いくら母船とは言え『長門』みたいな大艦は必要ありませんよ」


 中部は困惑した表情を浮かべて言った。


「承知しています。それを分かった上で、貴社で『長門』を使って頂きたいのです」


 テーブルを挟んで中部の真向かいに座る保科善四郎元海軍中将は、きっぱりと言い切った。海軍切っての知米派であり、太平洋戦争に反対し続けた米内光政元海軍大将の腹心である。


「何故、『長門』のような立派な戦艦を捕鯨母船などに……よくて数千トンクラスの輸送艦か何かで結構と申し上げたはずですが」


 中部にしてみれば、捕鯨を行いたいのであって、戦艦が欲しいのではない。第一大きすぎて持て余すことが目に見えていた。しかし保科はそれを分かった上で頼んでいる。理由が知りたかった。


「『長門』が誕生と同時に、姉妹艦の『陸奥』と共に世界のビッグセブンと謳われ、我が国の誇りとして、今は亡き聯合艦隊の象徴として君臨していたのは中部さんもご存知でしょう」


 保科の言葉に中部は曖昧な頷きを返す。


「その誇りたる『長門』は、今や帝国海軍戦艦でただ一隻のみ残る存在となりました。すべては我々の不徳の致すところです。これから先、日本がどうなるかは私にも皆目分かりません。このままでは、遠からず『長門』は、生き残った他の軍艦たちと共に米国へ連れて行かれ、サンフランシスコあたりで見世物にされた挙句、スクラップにされるでしょう。それは余りにも忍びない」


 保科はそこで一旦区切り、冷えてぬるくなった茶を啜った。


「よしんばそれが避けられぬ運命であったとしても、何か『長門』に、最後の奉公をさせてやりたい。我々の不甲斐なさゆえに戦局に寄与できず今日に至った『長門』に死に花を咲かせてやって欲しい。これが貴社に『長門』を使ってもらいたい理由です」 


 中部は、保科の淡々とした物言いの中に、何が何でも「長門」を持って行って頂きたいという意志の強さを感じ、余計に解せない気分になった。


「……理由はよく分かりました。ですが事が事ですので、社に帰り部内の意見を聞いてから返事をさせて頂きたいのですが」

「それは全く構いません」


 色よい返事を期待していますよ――中部を見る保科の視線からは、そうした声が聞こえてきそうだった。



 第二復員省の建物を出て行く中部の姿を二階の部屋の窓から見ていた保科の元へ、彼の部下である山本善雄元海軍少将がやってきた。戦中は海軍省軍務局の第一課長を務めていた典型的な軍政家である。


「どうでしたか?」

「理解はしたが飲むかどうかは半々と言ったところだろう。そりゃあ、いきなり『長門』を持っていってくれと言われて、はいそうですかとは言えんよ」

「全く。ですが、他に当てがない。いや当てがないのは『長門』の行く末そのものでもありますが」


 山本は表情に憂いの色を浮かべる。


「正直、僕が言い出したこととはいえ、分の悪すぎる賭けだとは自分でも思うよ」


 保科は山本の方へ向き直った。


「だけどね、米内さんが終戦直後に僕に言ったことが、どうにも忘れられないんだ」


 終戦時、保科は海軍省軍務局長のポストにいたが、海軍省のトップである海軍大臣は米内光政海軍大将だった。後に「帝国海軍の最期を看取った提督」と言われることになる米内は、一九四四年から海軍省が廃止される一九四五年一一月三〇日まで海軍大臣の任にあり、日本を破滅の運命から救い出すべく終戦までの激動の時期を戦い抜いた反動で、既に病に侵されていたものの、彼は部下の保科に対し次の三つを託していた。

 一、連合国も永久に日本の軍備を撤廃させることはない。日露戦争前のトン数を目安にして、海軍の再建を考えよ。

 二、海軍には優秀な人材が数多く集まり、その伝統を引き継いできた。先輩達がどうやってその伝統を作り上げたかを後世に伝えよ。

 三、海軍が持っていた技術を日本復興に役立てる方策を考えよ。

このうち二は、後に『宮本武蔵』などの歴史小説の大家で知られる吉川英治に海軍史の執筆を依頼し、吉川も一時期乗り気になっていたそうだが結局書かれず仕舞いとなり、三は海軍が音頭を採らずとも海軍に関わった企業達が日本復興の原動力となっていく。

 残る一に関し、保科は、それが一体いつになるか全く予想がつかないことではあるにしても、必ずや海軍を復活させてみせると決心し、山本を含む部下や海軍の穏健派の長老たち他数名と共に、そのための下準備を始めつつあった。


「今度の負け戦で、帝国海軍は完膚なきまで叩きのめされた。何もかも亡くなった。だが、日本は四方を海で囲まれた島国だ。海軍が無くては生きていくことは出来ない。連合国の占領がいつまで続くかは分からないが、そう遠くない未来、我が国が独立を回復する日が来るだろう。その時――」


 保科はもう一度外を見遣った。空襲で瓦礫の合間にぽつんぽつんと佇むバラック小屋の他にはひどく見晴らしの良くなっている東京の景色が目に入る。


「新しい海軍が必要とされる。それには、精神的な支えが必要だと僕は思う。その役目を果たせるのは、あのフネしかない。帝国海軍の栄光と敗北、光と陰の両方を見てきた戦艦『長門』が……」


「『長門』は象徴になるのですな。新しい海軍において、帝国海軍の過ちを二度と繰り返さず、今度こそ、国民を守るための軍隊(・・・・・・・・・・)として存在するための象徴に……」


 山本もまた、保科と同じように、自分達が守れなかったモノが横たわっている景色を見て言った。

 保科は中部に対し本心を話さなかった。保科たちは「長門」を生き残らせる可能性を僅かばかりでも掴むために、捕鯨母船として送り出し、その間に少しでも時間を稼ぎ時局が変わることを願っていたのである。「死に花を咲かせたい」というのは、嘘ではないが、出来るならば避けない未来だった。

 勿論、保科も山本も、それが最期の悪足掻きに過ぎない結果に終わるだろうと、頭の片隅の冷静な部分が言っていたのだが。


 後日、大洋漁業は「長門」を捕鯨母船として受け容れることに同意した。明らかに第二復員省からと思われる食料その他生活必需品の贈り物、漁船修理の斡旋、大洋漁業が本当に欲しがったスリップウェイ(甲板が海面へ滑り台のように繋がっている構造のこと)付きの一等輸送艦第一九号の貸し出しなどなど、「ホンの気持ちですから」と言わんばかりの接待攻勢に根負けした形だった。


* * *


 意外と知られていないことであるが、太平洋戦争において対日戦の事実上のアメリカ海軍最高責任者だった元帥チェスター・W・ニミッツ海軍大将は、日本帝国海軍の東郷平八郎元帥の信奉者である。ニミッツ大将がまだ少尉候補生だった一九〇五年五月、日露戦争最終決戦である日本海海戦において、東郷率いる帝国海軍聯合艦隊はロシアのバルチック艦隊のほとんどを撃沈し、日本側の損害は水雷艇三隻沈没のみに留めるという海戦史上に燦然と輝く完全勝利を収めた。その戦勝祝賀会が東京湾で開かれることになり、同湾に停泊していたニミッツの乗る「オハイオ」にも招待券が届けられ、彼を含む六名の候補生たちが東郷の元へやってきた。

 東郷は異国の後輩たちの答礼にも丁寧な敬礼を返し、流暢なキングス・イングリッシュでニミッツたちと会話した。話をしたのは一〇分程度であるし、今となってはどんな会話をしたのかは覚えていないけれど、ニミッツにとって深く感銘を受けた記憶であった。

 その記憶により、ニミッツはアメリカ海軍軍人でありながら、つい数ヶ月前まで死闘を繰り広げた日本帝国海軍に対し、悪い感情は抱いていなかった。元々、海軍軍人とは他国の同業者と親しみを感じやすい生き物である。陸軍や空軍と違い、フネの上で生活する彼らには共通したしきたりやマナー、ルールが存在する。それゆえ、例え敵国であっても彼らは「同じ船乗り」という一種の仲間意識を持つ。万国の海軍軍人の特徴であると言えた。


 そしてもう一つ、ニミッツが今、ワシントンD.C.郊外のバージニア州アーリントン群にその居を構えるアメリカ国防総省庁舎、これより五五年後にアルカイダというテロ組織によりハイジャックされたジェット旅客機が突入する運命にある、ペンタゴンの一角の海軍作戦部長の執務室でペンを走らせているのは、職業軍人としてその存在を許容したくはないある代物の力により、彼が敬愛するトーゴーの後継者たちが残した戦艦が葬り去られようとしている運命を変えようとしていたからであった。

 ニミッツは、戦争とはあくまで自分達のようなプロによって戦われるべきものと信じる、この時代としては古い考えを持つ軍人であった。彼は、自分が忠節を尽くす偉大なる祖国が生み出した「神の劫火」――核兵器なるものにより、戦争が決定的に変質してしまうことへ(軍人としての冷静で合理的な部分は別として)反感を抱いていた。

 日本帝国海軍への昔からの親しみ(そこには当然、勝者たるもの敗者を侮辱してはならないという思いも含まれている)と、核兵器などという不愉快な代物への黒い感情が合わさり、そこへ、日本を占領統治しているGHQから知らされてきた、元帝国海軍戦艦「長門」の民間企業貸し出しの可否についてを米海軍制服組のトップとして判断しなくてはならない仕事が舞い込んできたとき、ニミッツはある思いつきを閃く。

 本来ならばこうした仕事はGHQ内で処理されるものだ。それが海軍作戦部長という職にあるニミッツにまでお鉢が回ってきたのは、その時米国の中で進行していた、あるプロジェクトと関わりがあるからである。


 「オペレーション・クロスロード」と名付けられたその海軍艦船に対する核兵器の威力を調査する実験は、日本やドイツといった敗戦国の残存艦艇、米海軍の余剰となった旧式艦などを生贄とし、核兵器を炸裂させ、どのような被害を受けるのか、この先アメリカはどのような軍艦を建造すれば良いかを判断するデータを召集するのが目的だった。

 現在、核兵器はアメリカが世界中でただ一国だけ保持している。しかしその絶対的優位がこの先ずっと続くわけがない。第二次世界大戦の途中から対立の度合いを深めつつあったソビエト連邦が、近いうちに必ずや核兵器の開発に成功するだろう。広島や長崎に続く核兵器の実戦使用という将来は、この時のアメリカにとっては限りなく現実性の高い明日なのである。

 実験の趣旨は十二分に分かる。海軍の頂点に立つ身として、核兵器が艦隊に向け使用された際の各種データを採っておくことは、この上なく有用だと判断している。

 だが、それでも、海を睥睨する美しい軍艦たちが不愉快な存在に消されるというのはニミッツにとり決して面白い話ではない。

 「長門」を捕鯨母船として民間企業に貸し出したいとする日本第二復員省の要望をどうするかというGHQからの知らせは、その「長門」もオペレーション・クロスロードに使用されるものとして計画が進行していたから、その兼ね合いをどうするのかという意味だった。

 墓の下に眠るトーゴー、そして彼の後継者たちにとり、これほど屈辱的な行為はない。第一、トーゴーの一番弟子を自認する自分も認めたくない。

 ニミッツは、「長門」の処遇は、日本人自身の手で決めさせるべきだと考えた。

 彼は執務室に置かれているデスクの上にペンを置き、続いて電話を取り上げてダイヤルを回した。


「私だ。そうだ、うん、ここのところ寒さが厳しいね。ハワイの太平洋艦隊司令部が懐かしいよ。大統領閣下はお暇かね? ふむ、二時からなら時間が取れると。ではその時間にニミッツがお会いしたいと言っていることを伝えてもらいたい。よろしく頼む」


 受話器を置いたニミッツは、先ほどまで書き込んでいた書類をタイプライターに清書してもらうために立ち上がった。彼の手にある紙には「『オペレーション・クロスロード』に使用される日本軍戦艦『ナガト』の処遇ついて」と書かれていた。




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