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 一九四五年(昭和二〇年)三月九日の夜は風が強く、早く春が来てくれないかと思わせるような寒さだった。

 前年の一一月に主計上等兵に昇進していた佐竹は、昼戦艦橋の奥まったところで待機していた。航海時計は二三五五時(二三時五五分)を指していた。普段ならとうにハンモックに丸まっている時間であるが、二二三〇時に警戒警報が発令されたために、「長門」が戦闘に参加する場合、主計科の佐竹は記録を取らねばならない慣習ゆえに、眠い眼を擦りつつ耐えていた。

 「長門」は今、横須賀工廠第六ドックからほど近い岸壁に横付け繋留されている。前年一〇月のシブヤン海海戦の時、「長門」は二発爆弾を食らったが戦闘航行に支障は無かったものの、「武蔵」は結局沈み、栗田艦隊も、その翌日にあと一歩でレイテ島にたむろするアメリカ軍上陸船団と何万人もの上陸部隊を手にかけられるところまで来て、謎の反転命令を下し、艦隊は最終的に作戦を完遂することが出来なかった。後にシブヤン海海戦を含む諸々の戦いの総称としてレイテ沖海戦と呼ばれることになる日米最終決戦は、日本側が戦力を磨り潰し事実上の聯合艦隊壊滅の憂き目を見たのに対し、アメリカ側は大した損害を受けず、レイテ島を含むフィリピンの占領を推し進め、日本側の完敗で終わった。

 フィリピンが敵手に堕ちた今、もう日本に成す術はない。南方の資源地帯で取れる重要資源を運ぼうにも、間にあるフィリピンを押さえられてはどうしようもない。遠からず日本は国内にあるなけなしの資源を使い果たし、餓死する運命にあった。

 どうにか日本に帰って来られた「長門」やその他生き残りの軍艦たちは、大半が各地の港でひっそりと息を殺し、引き篭もっていた。動かそうにもその燃料である重油が底を尽きかけているのだ。「長門」はその身に載せていた副砲や機銃を全部陸に下ろし、主砲と高角砲だけ残して繋留されたまま、動くことが無かった。

 艦橋には、レイテ沖海戦を戦った艦長兄部少将に替わって、前年の一二月二六日に着任した新艦長渋谷清見大佐ほか、数名が立っていた。

 辺りは機器の細かい動作音の他は何も聞こえない。電灯も夜間のため必要最低限しか点けておらず、暗闇寸前である。

 眠気と必死に戦っていた佐竹の耳に、「東京方面に火災」という報告が入ってきた。ハッと眼を覚まし艦橋の外へ眼をやる。時刻はいつの間にか日付が変わり〇〇三〇時(零時半)を回っていた。

 見れば、北北東の空が赤く染まっている。最初はその色も薄く、染まっている範囲も小さかったのに、五分、一〇分と経つにつれ見る見るうちに毒々しい朱色になり、東京一面の空が昼間になったかのように明るさを孕み始めた。

 佐竹は身震いした。寒さのせいではない。恐怖でもない。レイテ沖海戦で実戦を経験した今では敵弾は怖くなくなっている。

 あの空の下で今起きていることを想像し、佐竹は言い様の無い絶望感と無念さが五体に染み渡っていくのを感じた。


「君たち、よく見ておけよ」


 誰もが燃える東京の空を見つめ、一言も喋らずにいた艦橋内に、静かだがよく通る声が響いた。

 艦長の渋谷大佐だった。


「よく見て、決して忘れるな。僕たち軍人が不甲斐無いばかりに犠牲となるのは、罪もない国民なんだ。僕たちが守らねばならぬ国民が……」


 煉獄の炎のように空を照らす空襲の火災を射抜くように見つめながら、渋谷大佐は言った。

 佐竹はこの時に見た光景と渋谷大佐のその言葉を生涯忘れることが無かった。


* * *


 横須賀中央駅を降りた三人は、三崎街道を在日米軍第七艦隊が使用している横須賀基地の方向へ歩いていた。


「それで、お爺ちゃんはどうしたの?」

「結局あの日は、途中で艦長が寝ても良いと言ってくれて、自分のハンモックに帰って潜り込んだのは良かったんだが、中々寝付けなかった」


 早苗の手を引いて歩く佐竹の姿は、傍から見れば八〇過ぎの老人には見えぬほどしっかりとしたものだった。

 息子の武一は、今日の親父はやけに昔話をするんだなと思った。彼の父は戦中の話は進んで話そうとしない人間だった。以前聞いたところによると、最下層の兵隊として入隊したために、随分と嫌な思いをしたことが多々あり、それが話したがらない理由だということだったが、今日の佐竹は、女の子にしては珍しく戦争だとか、軍艦だとかと言う話に興味を持っている早苗(大部分は祖父の影響である)を相手に、自分が体験したことを分かりやすく言って聞かせていた。

 まさか、もうお迎えが近いからだとか、じゃないよな――死期の近付いた人間は昔話をよくするようになるとは割と聞く話であるだけに、そんなことを一瞬考えたのだが、それにしては病気とも無縁の人生だし、一年に一度の人間ドックにも欠かさずかかり、毎年毎年文句の付け所がないと医者に言われるような父であるだけに、可能性としては低かった。


「それから数ヶ月は何にも無い日が続いたんだが……」


 佐竹はそんな息子の疑問など知らず、可愛い孫娘を相手に話し続けていた。


* * *


 東京の大部分が焦土と化し、レイテ沖海戦を生き残った仲間であり、「武蔵」亡き後唯一の超戦艦となっていた「大和」が、軽巡一隻、駆逐艦八隻という僅かばかりのお供を連れて沖縄へ出撃し、四〇〇機以上の敵機に集中攻撃を受け坊の岬沖で沈み、民間人を巻き込んだ凄惨極まる地上戦の末沖縄が陥落してもなお、「長門」のいる横須賀は七月一八日まで平穏だった。

 しかし既に、もはやこの地球上で並ぶものはいないほどに戦力を充実させたアメリカ海軍第三八任務部隊は、七月に入ってから日本本土を赤子の手を捻るよりも楽に蹂躙し始めていた。「長門」乗組員も全員が上陸止めとなり、航空機相手ではほとんど役に立たない四一サンチの主砲と、これも命中すれば儲け物程度の高角砲を武器として戦う準備を整えていた。

 一九四五年(昭和二〇年)七月一八日正午少し前、横須賀地区に警戒警報が発令される。


「対空警戒第一配備となせ」

「合戦準備」


 スピーカーから艦長大塚幹少将(四月二七日に渋谷大佐と交代)の声が流れる。

 数十分後に警戒警報は空襲警報へと格上げされた。佐竹は戦闘時にいつも通りつく、艦橋のやや奥まった場所で戦闘記録を取るべく待機する。じりじりとした緊張の時間が過ぎ去る。

もしかしたら、どこか別のところへ行ったんじゃなかろうか……佐竹が頭の片隅で思った一五〇〇時過ぎ、レイテ沖海戦以来聞いていなかった、敵大編隊の爆音が響き渡ってきた。

 四一サンチ主砲を連装四基八門、艦の前部と後部に二基ずつ備え、天守閣のようにそびえる艦橋を持つ「長門」の上空を、およそ六〇機の敵編隊が西へ飛んでいく。今の「長門」は艦体を港の一部と同化させるよう偽装が施されており、乗組員たちの多くは去っていく敵機を見て、上から見たら「長門」と港の区別がつかないのではと淡い期待を抱いていた。


「編隊の先頭三機、向かってくる! 艦首方向、本艦に突っ込みます!」


 との見張りの怒鳴り声が聞こえたのはその時だった。大塚少将の「撃ち方始め!」の下令が聞こえ、各砲塔が砲撃を開始しようとした瞬間、佐竹の視界が火の色に染まった。

 降下してきた敵機三機のうち、二機の投下した爆弾が艦橋基部の司令塔に命中、炸裂した。爆発したエネルギーはその大部分が上へ向かい、昼戦艦橋を下から襲ったのである。


「艦長」

「副長」

「おぉい、誰か」


 誰かの声で、佐竹は意識を取り戻した。一瞬気を失っていたのである。

 佐竹は身体を起こした。彼のいた場所から前へ数メートル先は滅茶苦茶に壊されていた。辺り一面に肉片と血が飛び散り、壁や天井にへばり付いている。

 その天井からは機器類の電線などが垂れ下がり、誰かの片足がそこへ引っ掛かってぶら下がっていた。


「誰かおりますか」


 佐竹が声を出した。自分では大声を発したつもりなのに、聞こえるのは異様に小さな自分の声。爆音で耳がやられたらしい。


「おう、貴様無事か」


 声がした方を向くと、艦長附きの航海士高島碩夫少尉が、埃塗れの顔をして立っていた。


「はっ、大丈夫であります」


 佐竹は今更ながら身体のあちこちを触って確認して言った。うん、どこも痛くない。


「そうか。艦長や副長はみんなやられた」


 気を取り戻した時の声はこの少尉のものだった。

 彼らが助かったのは、昼戦艦橋内は海図台から後方が一段下がっており、そこを境として居酒屋の暖簾のようなマントレットが下げてあったからである。

 気休め程度のマントレットが爆風と破片から彼らを守ったのだ。


「今は俺が本艦の最先任だ。これから指揮を採る」


 高島少尉はそう言って生き残った高声電話をかけ始めた。

 佐竹はもう手の施しようがない艦橋前方は無視し、自分たちがいた周りの生存者を捜した。

 するとすぐ近くに見慣れた顔の男が倒れていた。


「おい、起きろ、しっかりしろ」


 佐竹はその男の身体を揺さぶった。ややあってその男は目を瞬かせて、ゆっくりと上半身を起こした。


「大丈夫か川田」


 佐竹に川田と呼ばれた若い水兵は、頭を振って立ち上がった。


「ああ、なんとか。食らったのか」

「そうらしい。前に出てた艦長たちは全滅だ。貴様上がってたのか」

「伝声管が一基故障してたんで、伝令として来てたんだ」


 川田は運が良いのか悪いのか分からないといった顔で答える。佐竹と川田は同じ横須賀一八志(昭和一八年横須賀海兵団志願)の同期生で、その縁で仲が良かった。


 一六一〇時ごろ空襲は終わった。この日の空襲で「長門」は合計三発の爆弾を被弾し、三五名の戦死者が出た。艦長の大塚少将の遺体には首が無かった。彼は「長門」の歴代艦長の中でただ一人在任中に戦死した不運な艦長となった。

 佐竹も川田も、奇跡的に無傷だった。悪運だけは強いなと二人は笑い合い、遠からず艦長たちの後を追うんだろうなと思ったが、その当ては外れる。

 七月二〇日、横須賀の寺で、大塚少将以下三五名の合同慰霊祭が営まれた。佐竹は艦橋で艦長たちの最期を知っているものとして(即死と考えられていたので変な話ではあるが)列席した。


 後年、佐竹にとり、不思議と八月一五日の記憶は薄弱である。「長門」の後甲板で整列して、玉音放送を聞いた覚えはあるものの、雑音だらけな上に妙に声の調子が変な言い方で話すものだから、半分も意味が分からなかったし、それからの数ヶ月間、具体的に何をどうしていたのか、もう思い出すことができなかった。

 ただ、終戦から半月後の八月二七日、残務整理を行うため未だ「長門」に留まっていた佐竹は、相模湾をアメリカ海軍の大艦隊が入港してきたところに遭遇し、戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、大型揚陸艦などの圧倒的な兵力を見せ付けられた衝撃からか、その光景だけは今でもはっきりと記憶している。

 彼がはっきりと「負けたんだ」と胸に実感が沸いて来たのは、その時のことであった。



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