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本作は、著者である私が通う大学で毎年行われている文芸コンクールに応募した作品を、関係者に許可を得て掲載しております。
「敵機左直上! 突っ込んで来ます!」
見張り員からの報告が昼戦艦橋に飛び込む。今日一日だけで何十回聞いたか分からないその声は、ほとんど絶叫に近かった。
「取り舵一杯!」
艦長兄部勇次少将の張りのある命令が間髪入れず飛ぶ。敵急降下爆撃機からの攻撃を回避する常道――敵機の方へ舵を切り下に潜る針路を取る命令だ。操艦にかけては日本帝国海軍随一の腕前を持つ兄部少将にとってはいろはに等しい戦術行動である。
予め取り舵に当て舵を当てておいたお陰で、普通なら一杯に舵を切っても三〇秒以上は旋回しないこの戦艦「長門」でも、するすると艦首を左に振り始めた。
やがて降下してきた敵機、アメリカ海軍急降下爆撃機SB2Cヘルダイバーの一群が、鯱みたいな奇異なスタイルを見せ付けるかのごとく長門に食らいつき、腹に抱いてきた一〇〇〇ポンド(四五四キロ)爆弾を次々に投下していく。
基準排水量三万九一二〇トン、全長二二四,九四メートルもの巨体を誇る「長門」の後方の海面に次々と爆弾が吸い込まれ、高々と水柱を吹き上げる。離脱していくヘルダイバーに向けて、右舷の高角砲、機銃が撃ちまくるが、しかしこちらも全く当たらない。
大したもんだと、艦橋で仁王立ちになりながら的確な回避運動を行い続ける兄部少将を見て、佐竹長一主計一等兵は思った。今の時刻は一三四五時(一三時四五分)、今日の空襲が始まった一〇二六時から数えて、三度の空襲をすべて無傷で切り抜けている「長門」。操艦が上手い艦長だという噂は聞いたことがあったが、帝国海軍の最下層に位置する兵の立場ながら、内心惚れ惚れする気分だった。
「ただいまの爆撃、全弾回避」
後方の見張り員から報告が上がってきた。佐竹は未だ童顔という括りが抜け切らない顔を引き締め、報告を戦闘記録のノートに記入する。彼の任務は、戦闘中の記録を取っておくことだった。主計という役職は、港に入っている時は仕事だらけであるが、戦闘時はすることがない。彼ら主計の任にある者たちは、戦っている最中はこうして記録係りを命ぜられることが慣習となっていた。
「大尉。現在までのところ、本艦が回避した爆弾三五発、魚雷二九本、撃墜した敵機三機であります」
佐竹はノートに記入していた記録を読み上げた。傍にいた中曽根主計大尉が「うん」と頷くと、空襲が落ち着いて一段落ついている様子の兄部少将の元へ歩み寄っていった。
兄部少将は中曽根大尉の報告を受けると、
「よぉし、中曽根君、ご苦労さん」
と笑みを疲労の濃い顔に浮かべて言い、中曽根を下がらせた。
戻ってきた中曽根は佐竹に言った。
「大丈夫だよ」
「何がでしょうか」
「艦長がああして無理にでも笑っていられるうちは、まだまだ『長門』は大丈夫だよ」
鼻が高く、妙に構えた表情をしている中曽根が少し格好を崩して言ったのを見て、佐竹は上に立つ人間とはみんな大変なんだなと思った。この大尉は海軍兵学校出の純粋培養された士官ではなく、短期現役士官といって、大学や専門学校を卒業して海軍に入隊し、二年間だけ現役で士官を務め主に後方任務を担当するべく集められた「娑婆っ気を残す」士官のために、佐竹のような下っ端の兵隊ともまともな口の聴き方をする。
「『武蔵』の方はだいぶ手荒くやられてとるようだが……」
中曽根が顔を艦橋右側後方の防弾ガラスの外へ向けた。佐竹もそちらへ視線を向ける。
窓の外には、本来ならばそこにいるはずの巨艦の姿がなく、かなり後方にずれた位置に、よろめくように進む「武蔵」が小さく見えた。この「長門」を遥かに上回る超戦艦として建造された大和型戦艦二番艦「武蔵」――基準排水量六万五〇〇〇トンもの艦体に、四六サンチ砲を九門搭載する、紛れも無く世界最強の彼女が、敵機に蹂躙され、確実に戦闘能力を喪失しつつあった。
この日――太平洋戦争開戦三年目まで二ヶ月を切った一九四四年(昭和一九年)一〇月二四日、日本帝国海軍聯合艦隊はフィリピン・レイテ島に上陸を開始したアメリカ軍を撃滅するため、残存する艦船のほとんどすべてを投入する捷一号作戦を発動、シブヤン海を突破しようとしていた。
「長門」は本作戦の主力を成す第一遊撃部隊(指揮官栗田中将の名をとり栗田艦隊と呼ばれる)の第一部隊に属し、「武蔵」やその姉である「大和」と共に、レイテ島に襲来した米軍をその巨砲群で殲滅することだけを胸に、味方航空機の援護がない海域を突き進んでいた。アメリカ海軍の空襲はもっぱら「大和」「武蔵」そして「長門」に集中したが、「大和」艦長森下信衛大佐や「長門」の兄部少将は操艦が抜群に上手く、今のところ被害を局限に抑えている。しかし「武蔵」艦長猪口敏平少将は諸外国から「キャノン・イノクチ」と名を知られているほどの砲術の大家ではあるが、操艦の方は並みであった。そして上空から見て「武蔵」の巨体は嫌が応にも目立つ。この時すでに「武蔵」は爆弾一一発、魚雷九本を食らい一六ノット(時速約三〇キロメートル)にまで速力が低下していた。
「大丈夫でしょうか、『武蔵』は……」
佐竹は不安そうな声で言った。まだ一七歳の若造に過ぎない彼にとり、あんな巨艦があそこまで痛めつけられる戦闘というものに、言い知れぬ恐れを感じていた。
「時間からして、あともう二回は空襲があるだろう。それさえ乗り切れば――」
中曽根が言い終わらぬうちに「対空戦闘!」の号令がかかった。
途端に艦橋の空気が一変する。兄部少将は刻々と入る見張りの報告を受け、その都度指示を下していく。
数分もしないうちに、本日四度目の敵機の爆音が耳に入ってきた。「面舵!」という兄部艦長の号令、「敵機降爆六機、右三〇度高度四〇!」との報告、やがて右に旋回を始める「長門」。「突っ込んで来ます!」見張り員の声に被せるように「面舵一杯!」と大音声で下令する兄部少将。
佐竹はその時、兄部少将が、
「いかん、当たる」
と呟いたのを聞いた。
直後、今まで感じたことのない衝撃が下から突きあがって来た。
「お爺ちゃん、お爺ちゃん」
孫娘の呼ぶ声と、身体を揺する振動で佐竹は目が覚めた。
「うん、なんだい」
「もう着くってお父さんが」
「そうか、ありがとう」
佐竹はそう言って早苗の頭を撫でた。早苗は、自分はもう小学六年生になるんだからいい加減小さい頃みたく扱わないで欲しい、という気恥ずかしさの混じった抗議の視線を祖父に向ける。
いつの間にか寝ていたらしい。歳をとると電車の揺れ心地がたまらなく気持ちよくなる。軽く頭を振り眠気を散らす。
久しぶりに昔の夢を見た。もう六七年も前の、まだこの国に、軍隊というものがあった頃の夢だ。
「次は、横須賀中央駅、横須賀中央駅です。お出口は左側です」
アナウンス通りに電車は横須賀中央駅に停車し、佐竹と、息子の武一と孫娘の早苗の三人は駅に降り立った。
改札を抜けた中央駅前の大交差点は、土曜日であるのに閑散としていた。無理も無い話しだった。前日――二〇一一年三月一一日に東北地方の太平洋沖でマグニチュード八,八(翌日九,〇へ上方修正)の巨大地震が発生し、岩手、宮城、福島の沿岸部は大津波により壊滅的な被害を受けていた。ここ神奈川県横須賀市も震度五強の揺れを観測している。死者・行方不明者は、かつて阪神淡路大震災がそうであったように、時間が経つにつれて加速度的にその数字を激増させている。一万のオーダーを超えるのではないかという声さえ聞かれ始めていた。
日本中が、この近代史上四番目の規模の超大規模地震の情報を得ようと、外出を控え、テレビやインターネットに齧りついている。出歩く人々の数が異様に少ないのはそのためであった。
佐竹は三月一一日の地震発生時、横須賀郊外の自宅に家族と共にいた。妻を五年前に亡くして以来、彼は長男夫婦と孫たちと暮らしており、元々、この土日を利用して、博物館や美術館に行って簡単なレポートを書くという早苗の春休みの宿題を手伝うために、佐竹は早苗と出かける約束をしていた。
地震発生後、佐竹は息子の武一や義理の娘であり武一の妻である幸恵の、またどこで地震と津波が起こるか分からないという至極当然な反対を押し切って、横須賀市街地へ出かけることにした。とうの早苗はというと、地震は怖かったがお爺ちゃんと一緒なら大丈夫だから、と特に嫌がる素振りは見せず、結局のところ武一も折れ、自分も念のためついていくと同行してきた。家には大学生になる早苗の兄正雄がいるので大丈夫だろう。
佐竹は、あの地震が起きた時から、もう八四を数える身体を引き摺ってでも、「そこ」へいかねばならぬという気持ちに支配されていた。長い間見た記憶のないシブヤン海海戦の夢を見たのも、その非論理的な感情が原因なのだと佐竹は考えた。
思えばあの戦いが、自分と戦艦「長門」の数奇な、そして半世紀以上に及ぶ長い関わりの始まりだった。
横須賀市街地を息子と孫娘と共に歩く佐竹の脳裏に、溢れるようにして、自分と、彼女の記憶が蘇ってきた。