02-06. 子守歌
それから数時間は眠ってしまっただろうか。未だ真夜中の様子ではあった。タナさんの柔らかな歌声が仄かに聞こえてきていた。俺は薄目を開けて様子を見る。と、タナさんはウェラに膝枕をしていて、その髪を撫でていた。歌っているのは子守唄だろうか。時々しゃくりあげるような声が聞こえる。ウェラが泣いているのだろうか。
「心配いらないさ、ウェラ。あんたはもう一人じゃないんだからさ」
抑えた声音。だが、それはとても柔らかくて、脳の中に溶け込んでくるような声だった。
「でもね、あの、パパとママは、出会ったばかりなんだよね……?」
「そうさ。まだほんのちょっとだけ。でもねぇ、人の縁ってやつは不思議なものなのさ」
縁、か。俺は目を閉じた。俺の出る幕ではなさそうだ。
「アタシはエリさんに助けられて、助けられたからこそ、今ここにいる。あんただって、エリさん一人で歩いていたなら声はかけなかったはずだ。違うかい?」
「ちがわない……。ママと二人で楽しそうにしていたから、だいじょうぶかなって思った」
「だろ?」
タナさんは静かに言う。
「それがね、縁ってやつなのさ。アタシたちは出会うべくして出会ったのさ。それはそうと、ウェラ」
「うん?」
「アタシたちが悪人に見えるかい? ウェラをまた一人ぼっちにしそうな人間に見えるかい?」
「ううん! みえない!」
「ふふ、そうだろ。エリさんはいい男さ」
「マッサージがうまい?」
「そうだね」
そこかよ――心の中で突っ込む俺。
「アタシたちはね、似た者同士なのさ。痛みを知っているから、相手の痛みが理解できるのさ。傷の舐めあいかもしれない。でもね、アタシたちにはそれが必要なのさ。アタシたちは、お互いに同じ形のピースを失っているんだ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「どうしてかねぇ。魔女だったから、かねぇ」
「ねぇ……ママ」
「うん?」
「もし、そのピースが一つしか見つからなかったら、どうするの?」
ウェラの鋭い問いかけ。俺は思わず息を呑んで答えを待った。
「一つしかなくてもいいじゃないか。いや、一つでいいじゃないか。それがね、パパとママっていう関係なんじゃないかい?」
「でも、完成しないよ、パズル」
「自分のパズルが完成しちまったら、誰の助けも必要としなくなっちまうだろう?」
「それじゃだめ、なの?」
「人を頼る理由がない人生てのは、寂しいもんさ。助けてもらわざるを得ない――それでいい。もし、一生補い合える相手と出会えたとしたらね、そういう縁のことを仕合せというのさ」
仕合せ、か。
俺はふっと息を吐き、もう一度寝ようかなと考えた。今起きだすのは、さすがに空気が読めてない。
いや、待て。
何か変だ。
俺は地面に耳を当て、音を探る。このあたりは平原で、見晴らしが良い。そして俺たちは火を炊いている。遠くからでも見えるはずだ。
馬車の音か。小さな振動が聞こえてくる。一直線に街道をこちらに向かってきている。
「エリさん、起きな。ていうか、起きてるんだろ」
「どんな洞察力だよ」
俺は「よいしょ」と気合を入れて起き上がる。さすがに野宿は腰に来る。少し硬めの(腰に優しい)ベッドを所望する。
「こんな時間に馬車が複数かい。ただ事じゃないねぇ」
「ママ、火は消したほうがいい?」
「いや、どうせもう見つかっちまってる。コソコソしてやる必要はないさね」
魔女狩りの横行するこのご時世に、ここまで気丈に振る舞える女性はそうそういないだろう。
「ママ、パパ、馬車が五台。あと、馬に乗った人がたくさんいるって精霊さんが」
「便利だな、それ」
俺は言いつつ、長剣と、懐に仕込んだ短剣を確認する。とはいえ、多勢に無勢。何ができるとも思えない。タナさんはウェラを見下ろして訊く。
「馬車は、幌付きだね」
「精霊さんはそう言ってる」
「やっぱりか。こんな時間に幌付き。穏やかな連中じゃないさね」
遠くからにぎやかな金属音が聞こえてきた。ということは、先導しているのは騎士か。ますます敵う相手じゃない。
「タナさん、ウェラ、隠れてたほうが良い」
「冗談じゃないさね」
「冗談なんかじゃない。二人なら逃げられるだろう」
俺は腰の都合上逃げられない。だが、タナさんは動いてくれなかった。
「アタシはね、エリさん。命の恩人を見捨てられるほど落ちぶれちゃいないのさ」
「俺には、タナさんもウェラも守れないんだぞ!?」
悔しい――久しぶりに本気で悔しいと思った。
「これはね、縁の問題さね。あんたとアタシ、そしてウェラは出会ってしまったのさ。出会うべくしてね。だからもう、そういう犠牲だ献身だとか言ってられる関係じゃないのさ。死なば諸共、アタシはそう思ってる」
「でも、それじゃぁ」
「ウェラ、カードは用意しておきな。いざという時には、躊躇いなく使うんだ。ただ、自分の身を守るためだけに使うんだ。アタシやエリさんを守るためになんて、使っちゃいけない。誰かのために人を殺しちゃいけない」
「わ、わかった、ママ」
「よしよし、いい子だ。さ、エリさん、覚悟決めなよ」
「わかってる」
俺は頷いた。やって来たのは完全武装の騎士が十名、幌馬車が五台。中からは女子供のすすり泣くような声がきこえている。
「貴様らは何者か!」
馬上から騎士が誰何してくる。ならず者の類ではないことはわかったが、もっと面倒な手合だということもわかってしまった。俺は(さりげなく)剣を杖にして、騎士を睨みつける。
「お前たちこそ何者だ。騎士ならば、まずは己が名乗るべきだろうが」
「そこの女は? それに子ども。怪しい奴らだな」
騎士は俺の言葉を完全に無視した。炎に照らされた騎士の馬飾り、甲冑につけられた紋章を見るに、ベラルド子爵家の者のようだ。その昔、仕事のつながりで関係がなくもなかったから、なんとなく覚えている。俺の記憶が確かであるのならば、奴らは厄介な連中だ。
ベラルド家はこの辺境一帯を牛耳っている貴族の名門だ。隣国との長い長い国境線を護るという任務を与えられたベラルド家は、この数年でその武力を激しく増しているという噂も聞こえていた。先々代の頃からベラルド家はその強引な手法で王家に近付いて、急速に勢力を強めてきた家系だ。俺が現役だった頃の王都にも、べラルド家の横暴ぶりは聞こえてきていた。
「さてはお前たちも魔女だな? でなければこんな時間に出歩いているはずがない」
「薄弱な根拠だな」
俺は長剣の柄を握り直した。確かに腰は痛いが、頑張れば一人くらいは仕留められるかもしれない。
「出歩くだけで罪だというなら、その触れを出してからの逮捕になるだろう。さもなくば、ただの狩りだ」
「ただの狩りでも結構。魔女は悉皆狩られなければならないのだからな!」
「はん!」
タナさんが俺の半歩前に出た。
「黙って聞いてりゃ良い気になりやがって!」
タナさんの表情は影になっていてよく見えない。
「アタシにはね、あんたらのほうがよっぽど醜い《《悪魔》》に見えるさ!」
その啖呵に合わせたかのように、ごう、と、強い風が吹いた。勝ち鬨のように、騎士たちの馬が嘶いた。




