08-01. 腰痛剣士と肩凝り魔女
第八章:腰痛剣士と肩凝り魔女
それ以降、特にこれといった襲撃もなく、俺たちは進んだ。小さな村を三つばかり通過したのだが、人の気配は感じられなかった。皆、家の中で息を潜めているのか、あるいは――。
幸いにして食料や水の余裕はまだまだあったから、俺たちは宿も取らずに村々を通過したのだった。
「もう冬が来るのに、食料の蓄えもなさそうだな」
どこを見渡しても、土地は乾き、荒れ果てていた。所々に見えるのは黄色い雑草ばかり。畑のようなものも馬車から見ることはできたが、何かが実った後のようには見えなかった。飢饉の際にはその土地の領主が蓄えを放出するのが普通だが、このカルヴィン伯爵領ではそれすら滞っているようだった。
ぱら、ぱら、と、幌に雨が落ちてくる。それを聞きつけて、タナさんが息を吐く。
「雨も久しぶりだろうに。それが氷雨とは、また、死者に鞭打つような行為さね」
「この雨は何を意味するんだろうな」
「なにも。せいぜい、涸れ井戸を湿らせるだけさ」
タナさんは吐き捨て、首を振る。
「作物は実らず、疫病に怯え、絶望的な気分になった所で魔女狩り。飢えと病魔と疑心暗鬼の三点セット。それは負のサイクルを作り出すのさ。エリザをどうこうしたって、これはしばらくは続くだろうねぇ」
「……エリザ、何を企んどるんやろね。戦争起こしたりするかもしれへんのやろ?」
「そうだねぇ」
「そんだけ人の命を奪うようなことして、何したいんねやろ?」
リヴィの疑問はもっともだ。俺はふと思い出す。
「ドミニアは人の進化がどうとか言ってたなぁ」
「人の進化……そないなことのために、人を殺しまくるんか」
「選別――」
タナさんが短く言った。俺たちの視線がタナさんに集まる。
「命の選別かもしれないねぇ」
「命の選別……?」
俺とリヴィの声が重なる。タナさんは「うん」と頷く。
「エリザやドミニアの言う進化の、最初の段階くらいはもう終わりかけているのかもしれないねぇ」
「たくさん死んでる――」
ウェラが前触れもなく呟く。
「人がたくさん死んでる」
「どうした……?」
「精霊さんが、おかしくなってる」
狂った精霊――あの黒い姿が意識をよぎる。ウェラは震えながら頷く。
「精霊さんが人を殺してる」
「精霊が……」
タナさんが舌打ちしそうな表情を見せている。
「精霊か……確かにエリザなら、精霊を狂わせることなんて造作もないさね」
「でも、止められないよ」
ウェラが泣きそうな顔をしている。
「パパ、ママ! 狂った精霊さんがみんな助けを求めてる。言葉はわからないけど、わかる。みんな泣いてる……」
「ウェラ」
はっと気が付いたように、タナさんが硬い声を発する。
「その声に耳を貸すんじゃないよ」
「えっ……?」
「それは、精霊の声なんかじゃない」
タナさんの断定に、ウェラは目を丸くする。
「どうして? でも」
「アタシたちは今までに二回、狂った精霊に遭遇してる。その時はウェラにも何言ってるかわからなかったよね?」
「う、うん」
「なんで今になってそれがわかるんだい。それに、どうしてここら一帯の狂った精霊の声が突然聞こえるようになった?」
「それは――えっと……」
「しかもどうして狂った精霊だけがあんたに助けを求める?」
矢継ぎ早のタナさんの言葉に、ウェラは小さくなっていく。
「いいかい、ウェラ。アタシは一応これでも、アタシがなんと言おうが、本質は魔女だ。魔女は万能感を知っている。だから言えるのさ。一方的な情報だけが入ってくるなんて、ありえないってことをね。あんたの友達の火の精霊はなんて言っている? 水の精霊は? 風は? 地は?」
「……聞こえない」
「そんなことが今までにあったかい?」
「ない」
明快な回答。タナさんはゆっくり頷いた。
「いよいよ、エリザの支配領域に入ってきたっていうことさね。いいかい、ウェラ。その声は自分の内なる悪魔の囁きみたいなもの。今はとにかく、よくないものに耳を貸しちゃいけない」
「わ、わかった」
ウェラは頷く。リヴィがウェラの肩を抱きながら鋭い視線を飛ばしてくる。
「エリザには、ウチらのこと見えてるんやろな」
「とっくに、だろうな」
「ウチは負けへんで」
「頼りにしてる」
「まかしとき」
リヴィは頷いた。だが、そこにいつもの笑顔はない。それはもはや戦士の顔だった。そのリヴィを押しのけるようにして、ウェラが俺たちに近付いてきた。
「ウェラも、もうだいじょうぶ」
「良い子だ」
俺はその緑がかった金髪を撫でる。ウェラはニッと笑う。
「エリザにお仕置きしたら、今度はパパとママのお世話をしなきゃならないからね!」
「お世話……」
思わず真顔になる俺。タナさんが「おやおや」と笑っている。
「介護の話はまだしばらく先の話だよ、ウェラ」
「かいご?」
ウェラが首を傾げる。そこにリヴィが口を挟む。
「せやけど、パパの世話はママがするんやろ?」
「世話とか――」
俺は真顔のまま言い返そうとしたが、「世話だってさ」というタナさんの声に何も言えなくなる。それでウェラはパッと顔を輝かせた。――いや、ちょっと待ってもらっていいかな?
「そっか! パパは腰が痛いもんね。うん、そうだ。腰痛剣士だ」
「ひでぇ。ひどい称号だぞ、それ」
言いながら、思わず笑ってしまう。剣を抜けない剣士。魔女と悪魔の子――そもそも人間ですらない。俺という存在はいったい何なんだろうなと改めて思う。
「腰痛剣士、ええやん。ほなら、ウェラ、ママはなんやろか?」
「えーっとねぇ……うーん。そうだ! 肩凝り魔女!」
「魔女は引退したよ、アタシは」
「でも……ママは魔女より強いよ?」
ウェラは真剣そのものの表情でタナさんを見ている。タナさんも思案顔でウェラを見ている。少し緊張感が漂っているように感じる。十かそのくらい数えた頃になって、タナさんは肩を竦めた。
「まぁ、いいさね。しっかし、腰痛剣士と肩凝り魔女、か。頼りになるのは娘たちだけってのがなんか良いね」
「むぐ」
タナさんの舌鋒が俺に突き刺さる。
そうこうしている内に俺の腰が悲鳴を上げ始めた。不本意ながら、俺の腰痛が我慢ならなくなる寸前が、野営準備開始の頃合いとなっている。そしてたいてい、俺の異変にはタナさんが最初に気付く。そしてなぜか、その頃になると決まってタガート隊長が馬車の後ろにつけている。
「タガート隊長、時間っぽいよ」
「了解しました」
タナさんの言葉を受けて、馬車が止まった。




