02-04. 精霊使いのおともだち
しかし、その矢は俺に突き刺さることはなかった。
どこにも痛みはない。ウェラも無事だ。
「何を呆けてるのさ、エリさん。きょうび、自己犠牲なんてまったく流行りゃしないよ」
「何をした?」
魔法?
と思ったら、タナさんは俺の傍らにある木を指差した。幹にナイフが突き刺さっている。どうやら、ナイフの投擲で矢を撃墜したらしい。信じがたい技術だった。
「す、すげぇ!」
思わず俺は長剣を振り上げ――悶絶した。言葉にできないこの痛み。冷たく鋭い痛みが、腰から脳天まで駆け上がった。そんな俺に、三人の男たちが一斉に向かってくる。これはちょっとしたピンチだ。
「火の精霊さん! 守って!」
ウェラの悲鳴じみた声が響き渡る。その瞬間、男たちの足がピタリと止まった。初夏にふさわしくない熱風が周囲を包む。タナさんは「ほほぅ!」と声を上げ、俺は腰痛で苦しんでいる。
男たちは同時に腰を抜かした。無理からぬ事だ。突然人の二倍以上もの大きさのある炎の巨人が出現したのだ。どう考えても常人が戦える相手ではない。
「う、うわっ、逃げろ!」
と言いつつ、真っ先に逃げ出すリーダー。部下二人は完全に腰を抜かしている。影で狙撃のチャンスを伺っていた四人目の気配もいつの間にか消えている。
『こいつら、食って良いのか?』
炎の巨人がウェラを見下ろしていた。目があるわけではないが、多分そういうことだろう。
「だめだめ! 追い払えばそれでいいの!」
『なら対価を寄越せ。もうタダでこんな大仕事はしないぞ』
「ええっと……」
ウェラがそう言っている間に、残りの二人は武器を捨てて震えながら抱き合っていた。一件落着、か?
と、思ったら、火の精霊は俺の方へ向き直った。
『なれば、そこの人間を食う』
お、俺――!?
「だめだよぉ、おじさんはウェラのパパなんだよ!」
『ならば奴らを食う』
「人を殺しちゃだめー!」
男たちの方へ向かい始めた精霊の前に出て、ウェラは両手を広げる。
「まったく」
タナさんがそんなウェラの隣に並んだ。
「あんたにゃ人情ってやつがわからないのかい」
『おれはヒトではない!』
「怒鳴られても言うことを聞かないヒトもいるってことを学習しな、精霊。とにかく、ヒト様の話は最後まで聞きな」
『……』
精霊が黙った。タナさん、マジで半端ない。
「あんたが腹減ってるのは、百歩譲ってそうだとする。だけどね、あんたがヒトを殺したら、そりゃこの子があんたを使って殺させたってことになるんだよ」
タナさんはウェラをひょいと抱き上げた。俺にはできない芸当だ。
『しかし――』
「こんな子に、そしてあんたらの無二の友人である精霊使いに、無為な人殺しをさせるってのかい」
『おれは、ただ、対価を求めているだけで』
「最初からそう言いな」
タナさんは少し空に視線をやった。
「ヒトの命にこだわっているわけじゃないんだろう?」
『うむ、その必然はない』
火の精霊がそう言った瞬間、男たちはどことなく安心した表情を見せた。
ちなみに俺は棒立ち。何もすることがない。でもあれだな! 俺が腰痛じゃなかったら、この男たちはとっくに皆殺しだったな! よかったな、お前ら!
などと妄想をしつつ、落ち込む気分を持ち直す。
「ならさ、火の精霊。こいつはどうだい?」
タナさんは馬の背にくくりつけられていたカバンの中から、小さな箱を取り出した。タナさんはその蓋を開けて、一枚のカードを取り出す。俺は物珍しさに負けて訊いた。
「カード? 占いに使うやつかい?」
「もう何年も使っちゃいないよ、こんなもの。水晶玉もあったりするけど、それはちょっとご褒美にしちゃ過剰かねぇ」
「ま、ママ。そんな大事なもの……」
「魔女は引退したんだよ、アタシは。だからこんなもの、無用の長物さね」
タナさんはあっけらかんとそう言った。確かに未練のようなものはこれっぽっちも感じなかった。
『それで手を打――』
「待った」
精霊の言葉に割り込むタナさん。
「今全部くれてやるってわけじゃぁないよ。ここには全部で七十八枚のカードがある。そのうちの二十二枚はそれだけでヒトを呪い、あまつさえ殺められる力を持ってる」
『……それで?』
「この子があんたを呼び出すたびに、この二十二枚の方を一枚ずつ食わせてやる」
それってあと二十一回も召喚できるってことなのか。すごいな。
『……承知した、魔女よ』
「魔女は引退したんだよ、アタシは」
『ならばなぜ……』
「魔女はね、辞めましたって言って、それに纏ったものをサクッと捨てられるもんじゃないのさ。魔女の道具って奴はね、それ自体が魔女の血だし、魔女の呪いなんだ。……そんなことより、結果として役に立つのだからそれでいいじゃないさね」
タナさんはそう言うと、カードを一枚、火の精霊に向かって放り投げた。それはまたたく間に燃え上がり、灰も残さずに消えた。その様子を見届けて、ウェラがタナさんを見上げた。
「いい、の……?」
「このカードはあんたのもんだよ、ウェラ。大切に使うんだ、いいね」
「う、うん、わかった。ありがとう、ママ」
「改めて言われるとくすぐったいねぇ、ママかい」
タナさんはそう微笑み、そして、震え上がっている男二人に「さて、あんたたち」と、人差し指を突きつけた。
「誰かを殴りに来る時はね、殴り返される覚悟をしてからおいで! そんな覚悟も度胸もないくせに、誰かを傷つけようとするような人間が、アタシは一番嫌いなのさ! わかったらアタシの気分が変わらないうちに、さっさと失せな!」
男たちは「ひぃ」と情けない声を上げて、武器を拾いもせずに逃げ出した。
「タナさん、ああいう連中はもっと痛めつけといたほうが良いんじゃないのか?」
「どうしてだい?」
「相手を変えて、今度はもっと弱い人を相手に、またやるぜ?」
「そうさねぇ」
タナさんは木の幹に刺さったままだったナイフを回収して、目を細めて俺を見た。
「その論理だと、悪事をなした人間は、決して赦されないことになっちまうねぇ」
「でも、奴らは現にこの子をどうにかしようとした」
ぶっ殺しちまったほうが、よかったんじゃないかと思う。第二、第三の被害者が出るのを防ぐためにも。
「確かにね」
タナさんは頷く。そして直後に、「でもね――」と首を振った。
「今のあいつらはそうじゃない。三日もしたらケロリかもしれないけれどさ、でも、今そうじゃない人間まで責めちまうってのは、どうにも救いがないと思わないかい?」
「それは……そうだけど」
「正義なんだ、エリさんの言うことは。まったくもって正義。だけどね、どんな理由があっても、どんな相手であっても――他人を傷つけるものになった瞬間に、その正義ってやつは、正義の顔をしたただの暴力ってやつになっちまうのさ」
正義の顔をした暴力――か。
俺は胸の奥に痛みを感じて、無理矢理に大きく息を吸い込んだ。
「第一さ、エリさん。罪が永遠に赦されないなんて、悲しいだろ?」
「そう……かもしれないな」
口の中が苦かった。タナさんは少しだけ目を細めて俺を見た。微笑みを作ったのだろうか。俺は首を振って、ウェラの緑がかった金髪を見下ろした。ウェラはカードの収められたケースを両手でしっかりと握りしめていた。
「善は急げ、か。ウェラ、行こうか」
「うん、パパ!」
ウェラは俺の腰にしがみついた。
……死ぬかと思った。いや、腰は実際に死んだ。
その後俺たちは、より大規模な魔女狩りに遭遇することになる――。




