06-15. 欺瞞と偽善
俺はタナさんの手を握り直した。タナさんは少し口角を上げる。
「どっちも地獄って言うのなら、この際だ。エリザ女公爵とやらの顔でも拝みに行きたいねぇ。だろう、エリさん」
「だな。でも、そしたらこいつをどうにかしないと」
俺は長剣を手繰り寄せる。が、タナさんは首を振る。悪魔はなおも言う。
『我々と手を結ぶか。汝らを我々に捧げるか。道は二つに一つ』
「むちゃくちゃだな」
俺は肩を竦める。タナさんも「うんうん」と頷いている。
「アタシたちの答えはね、どっちもやなこった、だよ、悪魔。あんたらには無限の時間があるんだろう? だったら、こんなところに慌てて出てこないでさ、黙って見てなよ。魔女と悪魔の子。教会やあんたたちには、アタシたちは特別な何かなんだろ?」
『いかにも』
案外律儀な悪魔である。
『ゆえに、こうして手を差し伸べたに過ぎない』
「要らないねぇ」
タナさんはそう言うと、いきなり俺の肩を抱いた。それは実に男らしい所作だった。
「アタシはね、この男を最高に幸せにするために、そのためだけに今、生きている。出来得る限り最高に幸せにしてやるって。そしてそれがね、アタシが生きる唯一の目的なのさ」
『積み上げたその髑髏の数でそれを言うか』
「百も承知さね。アタシたちに幸せになる権利なんてないと思う。だけど、その中でももがいてあがいて、大切な誰かを、幸せにしてやろうと努力することまで禁じられる道理はないはずさ」
それにね、と、タナさんは続ける。
「だからこそなのさ。アタシたちの罪や過去はいい。ずっと重荷だったそれを、アタシはこの人と分け合えた。十分なのさ、それで」
『ならば――』
「せっかちは嫌われるよ、悪魔」
タナさん圧勝である。
「これから何が起きるか、推して知るべしさ。エリザが何をやらかすか。いや、何をやってきているか。だから、アタシたちはそれを少しでも止める。怒りや悲しみを少しでも止める。それがアタシたちなりの、罪の利息の払い方さね」
『それでは汝らが罪の負債は永遠に――』
「く・ど・い」
再びタナさんは言った。
「それでね、あんたらと手を組んで何かを為したとする。でもね、それでアタシたちの罪が消えることはないのさ。罪の瘧ってのはね、アタシたち自身の内に溜まるもの。世界が背負っているものなんかじゃない。アタシたちがアタシたちなりの幸せを掴む、そのスタートラインに立つためにはさ、誰かに何かをしてもらったところで意味なんてない。アタシたち自身が、アタシたち自身の心の中を清算してやらなきゃならないのさ!」
「そうだ、悪魔」
俺が言う。
「終わらない悪夢は、もうたくさんなんだ」
たとえ悪魔がその罪を全て持っていったとしても、仮に俺たちの記憶を書き換えたとしても、悪夢は続くだろう。
『よかろう。汝らの理屈は理解した』
四枚の銀の翼が広げられる。
『エリザと会うが良い。会えるのならば――』
意外と物分りがいい。俺はタナさんを見る。タナさんは悪魔を無表情に見上げていた。
『そして思い知るが良い。汝らが行為が、また新たな呪いを生むことを』
「それには地獄でごめんと言うさ」
タナさんは少し表情を緩める。
「アタシたちにできることは、この手の届く範囲を護り続けることだけ、なのさ」
『全てを救わずして――』
「悪魔。あんたに理解出来るかはわからないけどさ。アタシはね、今はたったの三人、護れればそれでいい。世界をとか人々をとか、そんな大きな目的語は聞きたくないのさ。ダサいことこの上ないのさ。主語はアタシ、目的語は家族、動詞は護る。それだけでいい」
ナイフのように鋭く、しかし、言い聞かせるようにゆっくりと、タナさんは言葉を紡いだ。俺は頷いて聞いているだけだ。時々タナさんが手を握り直してくるのを感じながら。
『欺瞞と偽善に満ちた魔女よ』
「魔女じゃない、元魔女さね」
『……魔女の血は』
「くどいねぇ。しつこいねぇ」
タナさんは肩を竦めた。悪魔すら黙らせるその舌鋒に、俺は改めて畏れを覚える。
「エリザに伝えな、悪魔。必ず、お前の剣でお前を葬ってやるってね」
『……よかろう』
悪魔が羽ばたく。濃密な闇が金色に染まった。瞬間、タナさんが動いて、俺の剣を引き抜き、地面に突き立てた。
「!?」
あまりの展開の速さについていけてない俺。
だが、タナさんのその行動の意味は、金色の空が消えた後にすぐに分かった。
世界が、割れたのだ。
大地震と大火事が同時にやって来たかのように。
広場の周囲の建物は、砂の城のように崩れ、燃えた。どの方位を見回しても無事な建物はなく、中心部に建っていた巨大な煙突の姿もない。
だが、俺たちと噴水は、ガルンシュバーグの生み出した力場で護られていた。
「衝撃波の置き土産とはね」
タナさんが舌打ちする。
「この空間にあった魔力を全部衝撃波に変換して行きやがった」
「呪いの力が俺たちを護った、か」
「あの悪魔なりの洒落だろうね」
タナさんは目を閉じて呟いた。
「リヴィは? ウェラは?」
「……わからない」
タナさんの黒褐色の瞳は、鋭く輝いていた。




