06-14. 向こう百年、黙ってな!
白銀の翼を持つ白い悪魔は咆哮した。それは俺の頭の中で跳ね回り、やがて意味を持ってくる。
「なんだこれ」
「圧縮言語」
タナさんが早口で応じてくる。
「今の一声で、こいつはありとあらゆる会話パターンをアタシたちの中にぶち込んできたのさ」
「どうしてわかる?」
「圧縮言語自体は珍しい魔法じゃないさね。竜族の賢者にも使う者がいたって話があるしね。アタシも使おうと思えば使える。まぁ、数パターンだけだけど」
「へぇ」
この白い悪魔はこう言っているのだ。我々と契約せよ、と。そうしたら、この世界は思うがままだと。
「ははは。さっきも聞いてたんだろう、あんた。残念ながら、アタシたちは世界みたいな巨大な負債を抱える気はないさね」
『汝も魔女なら――』
「魔女は引退したっつってんだろ」
タナさんが吐き捨てる。この巨大過ぎる悪魔を見ても、タナさんは頬杖すらついている。
「確かにね、アタシは自分のエゴのために魔女になった。なっちまった。けどね、だからといって世界まで憎んでるわけじゃないさね。世界を滅ぼすだの変えなきゃだの、そんなことは芥子の実一つほども思っちゃいない」
『なれど、汝が魔女と化したのは、魯鈍にして智慧無き者どもの愚行ではないか。汝の罪はそこにはない』
「そりゃどーも」
やる気のないタナさん。
「だけどさぁ、悪魔さん」
タナさんはぼそっと言う。
「罪は罪なんだよ。アタシはあの地獄から抜け出すために、確かにあんたらの囁きに耳を貸しちまった。この手で何人も絞め殺し、村一つ、一人の例外もなしに焼き殺した。それをね、アタシたち人間は、罪って呼ぶんだ」
『我々はあの時、汝を救うために力を授けた。その強烈な生への渇望を感じて。ゆえに、この世界を変えられる可能性を感じて』
「ふぅん」
タナさんのツレない態度に、俺のほうがドキドキしてしまう。
『エリザ・レヴァティン――』
おっと、ここでその名前が出てくるか。俺は身構える。しかし、悪魔はこう言った。
『我は汝らに、あの魔女を駆逐する力を与えられる』
「要らない。あんたたちの助力なんてね」
タナさんはそっけなく首を振る。
「そもそも悪魔の力で魔女を駆逐してどうするんだい。結局あんたら悪魔の自作自演みたいなものじゃないさね」
『しかし、汝らは十分な代償を――』
「それを取り崩すつもりはないな、俺たちは」
俺はタナさんを見ながら言った。タナさんも頷く。
「仮に俺たちがエリザをも超える代償を、そして力を持っているとしてもだ。俺たちはもう誰も殺さない。殺させもしない。自分たちを護るため――以外にはな」
『それだけの罪を重ねておいて、今更それを言うのか?』
「だからこそ言うのさ、悪魔」
俺は少し腰を浮かせて座り直す。冷たく硬い石に座っていると、腰に来る。
「後悔と懺悔の積み増しはもう十分だ。今の利息の支払いだけで、気持ちは手一杯さ」
『その全てを我らの力で清算できるとしても?』
「あんたらの力で清算する気もない」
そもそも許されようとは思っていないし、許されるようなことでもないと知っている。そして許してくれるかもしれない人たちも、そのほとんどはもうこの世にはいないのだ。たとえこの悪魔がそれらを全てなんとかしてくれたとして、だからといって俺たち自身の咎人の念は消えない。一生背負い続けていくものだという覚悟はできている。
『……なぜだ?』
悪魔が動揺しているのか。そのグロテスクな顔が俺を見た。
『汝はいわば我らが純血種――ヴァルナティの子の再来』
「純血種だってさ、エリさん」
「俺がそんな大層なもんだったとはねぇ」
まるで世間話をしているかのようなタナさん。畏怖すべき存在を前にしても、タナさんは全く揺らがない。いっそのこと、神々しいとさえ言えるほどだ。
「まぁ、たしかに。俺は悪魔そのものと呼ばれた時期もあったよ」
「なんせあの『血のエライアソン』だからねぇ?」
「……ああ」
俺はタナさんの手を握った。タナさんも握り返してくる。
「アタシたちがね、幸せになっていい道理はないのさ。あまりに多くの罪を重ねすぎた」
『なればこそ、世界を変え――』
「く・ど・い」
タナさんはゆっくりとそう言った。
「いいかい、アタシがあんたに願うとしたらね、金輪際人間と関わるなってこと」
『叶わぬ。我らは常に人とともに在る。精神であり、概念である。人間が続く限り、我らもまた続く』
「ならさ、向こう百年黙ってな。それでいいさ」
『百年――?』
俺も悪魔と同じように心の中で繰り返した。タナさんは頬杖をついたまま「そうさ」と言う。
「その先のことは、その時代の人間たちの仕事。アタシたちの管轄じゃぁ、ないさね」
『無責任とは――』
「悪魔に責任論を語られるとはねぇ」
タナさんはクックッと笑う。
「でも、答えは同じだよ、悪魔」
『なれば、我々はエリザと共に世界を変えよう』
「そうくる?」
俺とタナさんは同時に言った。そのあまりのシンクロ具合に、俺たちは顔を見合わせる。タナさんは小さく笑い、また、悪魔に気だるい視線を送った。
「どうする、エリさん?」
「行くも地獄、帰るも地獄か」
「丁度いい旅路さね、アタシたちには。地獄ってのがいいよ、実にいい」
アタシの体験してきた地獄を超えるかねぇ?
――タナさんの声が聞こえた気がする。




