06-03. エリさんの正体
それからほぼ三日間が経過したが、タナさんはほとんど寝たきりだった。時々意識が戻ることはあったが、たいていは朦朧としていて会話にはならなかった。旅館の従業員も看病を手伝ってくれた。医師については都市の被害が大き過ぎたために、ここまで手が回らない――と、あの役人が伝えに来た。
「申し訳有りません」
「頭を下げないでいただきたい」
俺は別室で役人と向き合って座っている。俺はハーブティ、役人はあの憎き黒い飲み物を飲んでいた。
「今は執政官、あなたも多忙なはず。都市の被害はいかほど?」
「判明しているだけで、死者三千」
負傷者はその数倍ですかな、と、役人は無表情に言った。
「ところで執政官。俺はあなたの名前を聞いていない」
「本名も明かさぬ旅の者に、私の名前を知らせる必要もありますまい?」
「俺は――」
「いえ。ただの意地悪ですよ、エリソンさん」
役人は悠然とした態度を崩さない。タダモノではないなと改めて思う。
「あなたと出会ったのはかれこれ二十数年ぶり。懐かしい話です」
「二十数年……? というと、俺がキンケル伯爵領に留学してた時あたりか?」
「左様」
頷く役人。
「変わられましたな、殿下」
「……思い出したぞ!」
俺の記憶がその「殿下」という発音を受けて活性化した。瞬間的に頭の中の時間が巻き戻り、十六歳の頃の俺に戻る。この役人は、当時は教師だった。二十一年も昔の事だから、当然この役人も若かった。
「あの頃の殿下は、飢えた獅子のようにギラギラしておられた」
「それは、そうだな。クライン先生」
俺はわざと「先生」と強調してみせたが、クラインは涼しい顔で受け流した。
「私はもう教師ではありませぬ。しかし、あの殿下がと思うと、胸が熱くなりますな」
「俺は腰が痛いだけだ」
「それは実に災難ですなぁ」
笑うクライン。その遠慮がちな笑顔も、昔のままだ。彼は手に負えなかった俺を本気で黙らせた唯一の人物でもある。なぜかはわからないが、当時の俺もこの人間に逆らってはいけないと本能で悟っていたのかもしれない。
「今となっちゃ、この腰痛にも感謝しているくらいだ」
「それはあの方――タナ様との関係が?」
「おおありさ。彼女に出会ってなければ、俺は今頃、ただの温泉巡りのおっさんだ」
「ははは。しかし、まさか殿下が生きておられたとは」
「……この件は、秘密にしておいてもらいたい」
「もちろん」
クラインはカップを置きながら頷いた。
「我々とてまさか本物の殿下を匿っていたなどという濡れ衣は着せられたくありませんからな」
「その回りくどさも健在じゃぁないか、クライン先生」
「ははは!」
クラインはひとしきり笑ってから、カップを空にする。俺はハーブティの香りを一嗅ぎしてから訊いた。
「先生はこの都市でもお偉いさんなんだろ? いいのか、こんなところで油を売っていて」
「トップに立つ者が現場に出ると、ろくなことがありません。この前は異端審問官がいたから前に出たに過ぎませんよ」
「結果として、俺たちは助かった」
「偶然ですよ、殿下」
肩を竦め合う俺たち。昔からこの辺りの息が合うというか――だんだん思い出してきた。
「我々執政官の仕事は、部下も含めて、人々の生活をいかに楽にするか、便利にするか。それに腐心することです。いわんや、戦争、内乱は以ての外」
クラインの視線が俺に突き刺さる。
「今回は教会に屈してしまったのが痛恨……。我々執政官の失策ゆえの大損害です。あの娘、ユラシアには――」
「だがこの都市では、もう魔女狩りは起きなくなるだろう?」
「約束しましょう。評議会の意見は未だ二分しておりますが」
「あんな事があったのに、まだ魔女狩りを?」
「恐れているのです、みな、等しく」
首を振るクライン。
「私もまた、魔女は怖い。教会は魔女を悪と断じていますし、我々もそう教わってきた。しかし、教会は同時に、裏の機関では魔法の研究も行っています」
「魔法の研究って……魔導師とかいう?」
「左様」
クラインは苦々しい表情で肯いた。
「あいつら、教会に目の敵にされてるんじゃ?」
「表向きというやつですよ。私も彼らの裏の繋がりを、この立場になるまでは知らなかった。彼らは魔女という強大な力を恐れ、同時にその便利な部分だけを教会のために利己的に使おうとしているのです」
「そのための魔女狩りだと?」
「そうです。研究と間引きの両方を実現するため。彼らは恣意的に魔女の実数を操作しようとしています」
「それは……」
絶句する俺に、クラインはゆっくりと告げた。
「殿下が思う以上に、教会という組織は強大なのです」
「そんなの、魔女より厄介じゃないか」
「それが人の業ですよ、殿下。ヴァルナティの言葉より教会が作り出されてから早一千年。教会という組織には、人々のありとあらゆる業が凝縮されている。払拭には何百年とかかることでしょう。もし誰かがやる気になったとしても」
「そして魔女狩りも終わらない、と」
「教会は、教会への不満が生まれれば、その目を外に向けさせる」
クラインは溜息を吐く。
「罪とか悪とか、その手の抽象的な言葉で織ったドレスを誰かに着せて、言いなりの羊たちに礫を投げさせる。教会は斯様にして権勢を保ってきた」
「つまり――」
俺は一呼吸置く。
「魔女がいなくなるのは……不都合、と」
「左様。そして、魔女が例外なく恐ろしい存在であり続けることもまた、不可欠なのです、殿下」
その時、ドアがノックされた。顔をのぞかせたのはタナさんだった。




