06-02. 世界の子
ウェラの祈りに応えて現れたのは、女性の姿をした精霊だった。全身が半透明――水の精霊だろうか。
『無論――』
精霊はそう言って、ウェラの手にしたカードを見た。
『対価は要らぬ、世界の子よ』
「え、でも……」
『我ら精霊にも、精霊の考え方がある』
水の精霊はそう言うと、俺の隣に並び、タナさんの額に触れた。何が起きたのかはわからないが、タナさんの表情が少し和らいだ気がした。
『我々はヒトの生命を操ることはできぬ。ただ、世界の子よ、お前がそこまで乞い願うこのヒトの命には、それだけの価値があるのだろう』
「ママは……ウェラの世界一大事な人なんだ。あ、パパもね」
ついでのように付け足されたが、今はそれでいい。
『我々精霊には、ヒトとヒトの間の情はわからぬ。なれど、世界の子よ、我々はお前を悲しませたくはない。故に、手を貸すのだ』
「ありがとう、精霊さん……」
『我々に出来ることは僅かなれど、心配は要らぬ。魔女の願い、我々もその一部を引き受けよう』
「えっ?」
俺たちは同時に声を出す。水の精霊は無表情だったが、少し微笑んでいるように見えなくもない。
『されどこれは生命の倫理を歪めることにもなる。それで、男よ。特別に私と会話する権限を与えよう』
水の精霊は俺を見た。冷徹とも言えるその表情は俺の仮面なんてとうに暴いているに違いない。
『この世の理を歪めることになったとしても、その結果、罪咎の負債が増えることになるとしても、仮に、お前の命が代償になるとしても、この魔女を救いたいか』
「あたりまえだ」
自然とそう言っていた。
「俺の罪が増えようが、命が削られようが、どうだっていい」
『お前の過去は赦されない』
「知っている」
俺は首を振る。そんな事、知っている。
「たとえ負債を払いきれなくても。その結果地獄に落ちるとしても。俺は、彼女を助けたい!」
『よかろう。その覚悟、しかと聞かせてもらった』
水の精霊は再びタナさんの顔に触れる。
『世界の子よ』
「なぁに?」
ウェラが俺の隣で首を傾げていた。
『良き縁を結んだな』
「うんっ」
水の精霊は、そう返事してはにかむウェラの頭に手を置いた。
『お前たちの目的は知っている。案ずるな。我々はいつでもお前の味方だ、世界の子よ』
「ありがとう、精霊さん」
ウェラはそう言ってまた微笑んだ。それは少し大人びた、憂いのある微笑みだった。
『我々に出来るのはここまでだ。我らは、即ち世界。故に理を曲げることはできぬ。これが最大限の譲歩だ』
「だいじょうぶ、ありがとう」
ウェラがそう言うと、水の精霊はふわりと消えた。
「精霊さん、本当にカード要らなかったのかな……」
「ありがたくとっておいたらええよ」
リヴィが言った。
「精霊さんたちには精霊さんたちの考えがある言うてたやろ。ウェラに恩を着せたつもりでおるで」
「精霊さん、そういうことするかなぁ」
娘二人がそういう会話をしている隙に、俺はタナさんの頬に触れてみた。
「熱が下がってる……?」
まだ完全だとは言えないが、さっきまでのお湯が沸きそうな程の状態とは雲泥の差だった。このくらいの熱なら、俺だってたまには出す。
「ほんまや、これなら大丈夫や」
リヴィもタナさんの額に触れて、明るい表情を見せた。
「パパの叫びが効いたんかな?」
「精霊だろ」
俺は少し気恥ずかしくなる。しかし、ウェラはそれには否定的だった。
「精霊さん、パパと直接話してたでしょ。パパ、魔力とかないのに」
「権限がどうとか?」
「うん。精霊さんって、魔力を使って喋るから、魔力がない人とは基本的に会話しないんだって、お母さんが言ってたよ。お母さんも魔力はなかったから」
そういうものだったのか。
「なのに、パパと喋った。それは――」
「パパの想いに打たれたっちゅーことやろか?」
「わかんないけど」
ウェラはソファに腰を下ろして小さくあくびをした。
「ママはもう大丈夫。ゆっくり休ませてあげたら、いつものママに……戻る……よ」
ぱたり、と、ウェラがソファに倒れた。一瞬焦ったが、すぐにただ眠っただけだとわかって胸を撫で下ろす。そんなウェラの身体に、リヴィが薄手の毛布をかけてやっていた。俺は完全に出遅れていた。
「さ、パパ」
振り返ったリヴィが目を細める。
「ママの隣で、寝てあげてな。あ、でも、今は仲良しはだめやで」
「するかよ」
俺は思わず笑ってしまう。リヴィも「にひひっ」と笑い、そして自分のソファに横になった。
「パパ、ちょっとだけ言わしてもろて、ええ?」
「ああ」
「ウチな、パパのこと、大好きやで」
「なんだよ、あらたまって」
「今、嬉しかった?」
「あ、うん。そりゃぁ」
「せやろ?」
リヴィはまた目を細める。
「何回言われても嬉しいやろ?」
「そ、そうだな」
「想いを口にして、伝えて、受け取ってもらって。そういうのを何回も何回も繰り返すんや」
「何回も?」
「せや。何回も、何十回も、何百回もや。自分にも他人にもな、嫌になるくらい、うんざりするくらい想いを伝えなならんねや。特にな、好きや、愛しとる、その言葉は何万回伝えたってええんや」
十六歳とは思えないその表情と言葉に、俺は完全に囚われている。
「想いをな、何億回伝えあったところで、いつかお別れの時は来る。せやろ? その時にな、お互いにきっと後悔するんや。もっと想いを伝えておけばよかったなぁって。せやけどな、一回しか好きや言わんかったのと、一億回好きやって言えたんとでは、持ってる思い出の数が違うんや。どんだけがんばっても、お別れの時の後悔はゼロにはならへん。せやけど、嬉しい思い出は増やせるんや。せやから、パパはママにたくさん好きって言うてや」
「リヴィ……」
「ウチもな、嬉しい。パパとママが笑いおうとるのを見るのが嬉しい。好きや好きや愛しとるー言いまくって、惚気まくっとる姿を思い浮かべるだけで、ウチは嬉しいんや。せやから、ウチらに遠慮とかくだらんこと考えんと、めちゃめちゃイチャついてたらええよ」
「ばか」
俺は思わずそう言って笑う。リヴィも笑っていた。
「パパはな、今んとこウチが世界で一番大好きな男の人や」
「あ……ありがとう」
「なぁ、この際やから一つ約束してもろてええ?」
「なんだ?」
「パパがウチにとって世界で二番目の人になったら、パパに泣いてもらいたいんや」
「……泣くかもしれない」
うん。本当に。
「おおきに。それでええよ」
リヴィはそう言って目を閉じた。




