05-06. あの時
俺の問いに、タナさんは「哲学の話かもね」と言い、俺の首に両手を回してきた。そして首筋に軽いキスを降らせてくる。
「なぁ、タナさん」
「なんだい?」
「あの時さ、俺たちが出会った時。もし、魔女狩りに遭わなかったら……どうするつもりだった?」
「ははは、ついに訊かれたねぇ」
タナさんは濡れた手で髪の毛を撫で付ける。そして、その頭を俺の肩に乗せた。
「終わりにしたかった」
短く吐き出されたその言葉に、俺は胸が詰まる。
「いい加減うんざりしてた。生きろと言われて、それに縋って、どんな惨めな思いをしてもひたすら耐えて、泥水すすって歯を食いしばって生きてきたけど。だけど、もうね、疲れちまってたんだ。何も得られない人生に。負債を払い続けるだけの人生に。あんな思いをして、ようやっと手に入れた自由は、結局、アタシを助けたりはしてくれなかった。アタシを助けてくれた魔女もいた。けれど、彼女もまた死んだ。その後はもう、砂漠のど真ん中に、着の身着のままで放り出されたみたいなもんだった」
あんな思い、か――。俺は沈黙で答える。タナさんは大きく息を吐いた。
「だからね、あの時さ、あんたに助けられなかったら……きっとそのままだっただろうね。足掻いて、結果ダメでしたって。そんな言い訳をしながらさ。でも」
「そこに邪魔が入ったって?」
「神様があんたを遣わしたのさ」
「冗談はよしてくれよ」
俺はタナさんの肩を抱き寄せる。タナさんはクックッと笑い、言った。
「案外、悪魔のしわざかもしれないねぇ」
「かもな」
なるほど、やっぱり。タナさんは気付いているんだ。
俺はしばし悩んでから、その件については沈黙することを選んだ。タナさんはその黒褐色の瞳で俺をじっと見つめていた。星降る夜空のようなその瞳に、俺は間違いなく魅了されている。
「エリさんもさ」
視線をそらして、タナさんは言う。
「案外あの時に救われたんじゃない?」
「そうだな」
俺はタナさんの首に触れる。驚くほど繊細で艷やかな肌だった。
「あんたの死相はまだ消えちゃいない。けど、あの時に比べりゃ百倍はマシさね。残りの瘧は、アタシがどうにかしてやるよ」
「頼もしいね」
「はは」
タナさんの頬が少し赤い。その顔に、俺の鼓動が少し早まる。
「エリさん」
「うん?」
「あんたはとにかくさ、アタシを救っちまったんだよ。責任はとっておくれよ?」
「わかってますよっと」
俺はタナさんを力いっぱい抱き寄せた。ちょっとだけ刺さるような痛みが腰に奔ったが、どうということはない――ないはずだ。
「責任とってもらえるようになるまでは、アタシがなんとかするからさ。敵はエリザだけじゃないさ」
「他にも魔女が?」
「クァドラなんて、本物の魔女の中ではまだまだ小物さ」
タナさんの言葉に戦慄する俺。アレ以上のものがいるのかと思うだけで、背筋が冷たくなる。
「もしかしたら、アタシだってその魔女になっちまう可能性は否定できないんだ」
「タナさんが?」
「ま、アタシは今でも魔女かもしれない。あんたという人間の魂に執着しているのだからねぇ」
「だけじゃないだろ?」
「え?」
「ウェラとリヴィの未来にも執着してる」
俺が言うと、タナさんはしばらく硬直した。その目は俺をぼんやりと見つめている。
「そう、か。そうだねぇ」
「だからね、タナさん。タナさんがもし魔女に現役復帰したとしてもさ、タナさんは絶対に悪い魔女にはならないさ」
「ありがとう、エリさん」
タナさんは静かに言って、今度は俺の両手をとった。
「あんたのこの両手に染み付いた血の臭いも、このお湯で洗い流せるといいのにねぇ」
「タナさん……」
俺が言葉を失っていると、タナさんは少し意地悪そうな笑みを見せた。
「アタシの罪の半分と、あんたの罪の半分。どっちが重たいと思う?」
「割に合ってない分は、俺が一生掛けて補填するさ」
「おやおや」
タナさんはお道化て笑う。俺の言葉の真意は伝わったかもしれない。でもこの言葉は、もう少しとっておこうと決めた。
タナさんはゆっくりと立ち上がった。そして俺を見下ろして言った。
「あんたは、今のあんたでいい。変わらないでおくれ」
「……努力するよ」
まいったねと、俺は頭を掻き、お湯を顔に叩きつけた。
「努力する、か。いいねぇ、エリさん。簡単にわかったと言わないところが、エリさんらしいよ。で、さ。もう一つお願いがあるのだけど」
「なんだ?」
俺も立ち上がり、タナさんと共に風呂から出た。
「部屋に戻ったら、さっきの続きをお願いできるかい?」
「わかった」
俺は意図的にそう答えた。タナさんは案の定、小さく吹き出した。
次回より第六章突入します!




