05-05. 月が綺麗だね
浴場への途上で、ウェラを背負ったリヴィとすれ違った。
「ウェラってば、お風呂で限界きてもうてな。浴槽でうつらうつらし始めたもんやから、慌てて引き上げてきた」
「おつかれ、リヴィ」
「おおきに、パパ」
そう言いつつ、リヴィは俺たちの事をニヤニヤと見つめている。
「なぁなぁ、パパ。ママの服、めっちゃ乱れてるやん? なぁにしてたぁん?」
「あのなぁ、リヴィ――」
「リヴィ」
タナさんが割り込んでくる。
「後でじっくり聞かせてあげようかねぇ?」
「え? えっと、あの……?」
露骨に戸惑うリヴィ。その背中では、ウェラがヨダレを垂らしながら眠っている。
「どこまで話そうかねぇ」
「ええっと、あの、ママ?」
「なかなか濃密な時間だったよ、リヴィ」
「ええっとあの、あのっ、や、やっぱりええわ! ウチ、めっちゃ恥ずかしくなってきた! そこまで言われたら、めちゃめちゃ想像してまうやろ!」
そう言うリヴィの顔は真っ赤だ。どうやら良からぬ想像をしているらしい。
「う、う、ウチら、ソファで寝るからな、パパとママはベッド使てや!」
そう言い捨てると、リヴィは脱兎のごとく逃げ出した。
「タナさん、もう!」
「あはは! あの子には刺激が強かったかねぇ」
タナさんはまた歩き始める。しかしやっぱり、足取りが覚束ない。俺は隣に並んで腕を組んだ。
「リヴィは十六だっけ。確かに興味がある年頃だよな」
「そうだねぇ。いい時代を過ごさせてやりたいよ」
タナさんの声のテンションが少し下がった。もちろん、タナさんが何を思い起こしたのかくらい、俺にだってわかる。タナさんは静かに続ける。
「あの子が強い子でよかったと思うよ」
「タナさんのおかげもあるんじゃないか?」
「そんなことはないんだよ、エリさん」
タナさんは俺に少しだけ体重を預けてきた。
「人間の強さなんて、生まれてから死ぬまで変わりはしないのさ。強い子、弱い子、大別すれば人間どちらかに属してて、一生そこから変わることはないのさ」
「でも、それじゃ――」
「ううん。弱さは決して罪なんかじゃないよ、エリさん。そして強さも即ち美徳とはいえないしね」
「それはわかる」
「だろう? だから、他人の心を強くしてやろうとか、そういうのって、アタシは傲慢な親切心みたいなもんだと思っているよ」
タナさんの静かな言葉が、少しだけ俺の心に刺さる。タナさんはそうだとわかってそう言っている。そうとわかっていながらも、そう言っているのだ。
「リヴィが強くなったように見えるのだとしたら、それはあの子自身の力のおかげだよ。アタシは何もしてないし、そもそも、何もできない。腰の悪いあんたと同じさ」
「タナさん……」
「だけどね、エリさん」
浴場の扉を開く。脱衣所独特の空気が漂ってくる。この香りはヒノキだろう。
「だからといって、アタシたちがあの子たちにとって無価値だとは思わない。アタシが自分の足で立つためにエリさんを必要とするように、あの子たちの成長のためにはアタシたちが必要なのさ」
「……何もできなくても?」
「そうさ」
タナさんは手早く服を脱いだ。たちまちその艶やかな白い裸身が薄明かりの下に晒される。タナさんの裸体は、やはりというか、当然というか、美しかった。これ以上の美というものがあるというのなら、是が非でも拝見したいものだというくらいに。
裸のタナさんが、俺の服に手をかける。俺は「いやいや」とやんわり断って、自分で脱いだ。タナさんは俺の背中に触れながら、囁く。
「エリザを調伏して、少しはマシな世の中にすることが、今のアタシたちの義務さね」
「そのご褒美の前払いかな、今って」
俺の問いに、タナさんは俺の背中にその身体を押し付けてきた。
「ご褒美に値するかい?」
「そりゃもう十分に」
俺たちはそうして互いに背中を流しあった。浴場には俺たち以外、誰の姿もない。それもそうだ。こんな真夜中に風呂に入る客などはそうはいないだろう。
「今日のアレで家を失った人も大勢いるだろうねぇ」
石造りの巨大な浴槽に浸かりながら、タナさんは呟いた。巨大な浴場は露天風呂だ。空には無数の星が瞬いていて、浴場の壁からはヒノキの良い香りが漂ってくる。この露天風呂の設計者は、よほど温泉が好きらしい。よくわかっている。
「それは俺たちの手に余るよ、タナさん」
「そうだね。確かにアタシたちの仕事じゃない。役人や異端審問官の仕事だと思う」
「ああ」
彼らには彼らの役割があるし、第一にあの初老の役人がいれば、この都市は大丈夫な気がする。そういえば、俺は彼の名前を知らない。なんとなく既視感はあるのだが――。
「エリさん」
「うん?」
「月が、綺麗だねぇ」
「え?」
月なんてどこにも見えない。俺は空を隅々まで観察して、そしてタナさんを見た。タナさんは笑いを噛み殺している。
「これ、愛してるっていう意味なんだってさ」
「何がどうしてそうなるんだ」
俺は苦笑しながらそう応じた。




