05-03. 肩を揉む
タナさんはベッドの真ん中まで移動すると、俺に背を向けて帯を外した。そしてするりと肩をはだけさせる。頼りないランプの炎が、タナさんの白い背中に嫋やかな影を落とす。外はもうすっかり暗い。月すらないのではないかと思えるほどに、小さな嵌め込みガラスは闇を照り返していた。
「タナさん、一応言っておくけど、俺だって」
「男だよ」
タナさんは俺の言葉を盗んだ。俺は何も言えなくなる。
「あんたは男。大事な、アタシにとって世界一大切な男さ」
「俺はこの忌々しい腰痛を、今初めて本気で恨んでる」
「それは本末転倒さね、エリさん」
タナさんはゆっくり俺を振り返った。胸がドレスからこぼれ出そうになっている。揺蕩う灯りに照らされた、その全てが――あまりにも美しすぎた。俺は目を逸らすこともできず、否、逸らそうとさえできず。
「腰が痛くないあんたになんか、アタシは惚れなかったと思うよ」
「それは……」
「あんたがあの町で、暴漢どもをバッタバッタと薙ぎ倒していたら、その場で礼を言って、はいさよならだったかもしれないよ」
「……だったら腰痛には感謝しろって?」
「それもこれも、運命。縁というものの力だよ、エリさん。エリさんもわかってるじゃないか。過去の何か一つが欠けても、現在には至れないんだってことをさ。それはどんなことであっても――罪も然り、腰痛も然り、さ」
そしてタナさんはうつ伏せになった。白い背中がますます眩しかった。
俺もその広いベッドに上がり、タナさんの背中に触れる。やはり石……いや、鋼のように硬い。どころか、あらゆる箇所が熱を持っていた。
「タナさん、かなり熱が出てるんじゃ」
「だろうね」
こんなので今まで平気な顔をしてたのか? まったくもって信じられない。
「エリさん、温泉だけは絶対入るよ、アタシ。あんたと一緒に入りたい」
「……わかった」
色々言いたいことはあったが、黙っておくことにした。きっと俺が言うまでもなく、タナさんはわかっている。
「ねぇ、エリさん。変なこと訊いていいかい?」
「ん?」
「アタシの身体、どう思った?」
「美しいと思った」
俺は迷いなくそう答えた。タナさんは小さく笑う。
「はは……美しい、か」
タナさんの声に力がない。俺は黙ってタナさんの背中をさする。
「ああ、エリさん。優しいねぇ……」
「タナさん、大丈夫なのか? その、呪いの返しとか、そういうのは……」
「わからない」
タナさんは静かに言った。
「でも、あんたが、こうして優しくしてくれれば、多分大丈夫さ」
「……わかった」
俺は頷く。タナさんに何があろうと、俺は――いや、俺に何ができる?
「言っただろ、エリさん。あんたがいてくれるだけで、アタシは強く在れるって。それは何も、あの時だけの話じゃないのさ」
俺の言葉を先回りして、タナさんはそう言った。俺はタナさんの背中に両手を当てる。揉むとかそういう次元の硬さではなかったからだ。
「タナさん、どうして弱音を吐かないんだ?」
「買い被り過ぎさね。アタシだって弱音くらい吐くよ」
「でも、だったら、こんな――」
「これはね、特別さ。それにユラシアの呪いを引き受けたことについてはさ、アタシはこれっぽっちも後悔してないんだよ、エリさん」
静かな言葉を聞く俺は、ただただタナさんの背中をさするだけだ。あまりの発熱に、俺の方まで熱くなってくる。
「アタシは、あんたたちを護れたことを誇りに思っている。ユラシアを安らかに逝かせてやれたことにもね。アタシは間違いなく他人の役に立てた。こんなアタシでも、誰かを助けられるんだ――そう思って、今は胸がいっぱいなのさ」
「でも、それでこんな」
「あの時、アタシはアタシの出来ることをした。これ以上ないくらい、やれることをやれた。こんなに嬉しいことはない。違うかい?」
圧倒的な、そして非の打ち所のない善意だと、俺は思った。だが――。
「タナさん、俺、自己犠牲は認めたくない」
「ごめんね、エリさん」
タナさんは小さい声でそう言った。聞き逃してしまいそうなほどの、小さな声だった。
「アタシは、でも、あんたがいてくれたから、こんな事ができたんだ」
「いや、タナさんならあんなのに遭遇したら、俺なんかいなくたって何かしたよ」
「買い被り過ぎさね。アタシは別に、正義の味方なんかじゃない」
タナさんは身体を起こして、俺を振り返り、そして両手で俺の頬を挟んだ。
「アタシはただ、自分の生き方を肯定したいだけ、なのさ」
「タナさん」
「なんだい?」
俺はタナさんを抱きしめた。そして、唇を奪う。タナさんは一切の抵抗をしなかった。タナさんの、熱に火照る呼吸。それが俺の意識すら侵していく。
「はは、エリさん。素敵だよ……」
「どうしようもなくキスしたくなった」
「いつでもどうぞ」
タナさんは少し上気した顔で笑った。
「ねえ、エリさん。アタシの正義とあんたの正義が、もし、もしね、相容れないものになったら、どうする?」
「そうだなぁ」
そういうことだってこの先出てこないとも限らない。正義とやらは、その時その時で簡単に色を変える。だが――。
悩み始めようとしたその瞬間に、俺の中で澄んだ音が響いた。
「タナさん」
「うん?」
「簡単過ぎる問題だよ、それ」
「えっ……?」
タナさんが目を丸くする。珍しい表情を見た気がした。




