05-02. 寄り添う影
例のナントカという飲み物が注がれるにつれて、俺のカップの内側が白から黒に染まっていく。
俺は香りを吸い込んでからカップに口をつけた。
「うへ、苦っ!」
吹き出しそうになるのをかろうじて堪え、俺はタナさんを見た。
「なんだこれ」
「だから言っただろ。苦いって。だけどそれがいいのさ」
やたらと香りの良い、苦い泥水――俺の感想である。食レポとしては落第かもしれないが、とにかく苦いのだから仕方ない。これの苦さをステーキソースで中和するという、なんだか不毛な食べ方になってしまう。
「あははは!」
タナさんは俺の肩を叩きながら明るく笑う。
「その顔! エリさん、三枚目が四枚目になっちまうよ」
「四枚目ってなんだよ」
俺はいささか憤然として応じる。そしてなんだか馬鹿にされた感じがしたので、意地でも飲み切ると決めて、カップを煽る。
ところが、だ。空になったカップをソーサーに置いた直後に、あろうことか注ぎ足されてしまった。俺は思わずその男性の給仕を見たが、給仕は「何か?」みたいな顔をして去っていってしまった。それを見てタナさんがまた笑う。
「二杯目、がんばっておくれ」
「マジかよ……」
「こんな上等な豆、めったに当たらないよ。味わって飲みなよ、エリさん」
「苦いよ、これ、ほんと……」
もりもり食べているリヴィと、キラキラしながらケーキを頬張るウェラを前に、俺だけが泣きそうだ。タナさんは助けてくれそうにないし。
それにしても、今日のタナさんはよく笑う。その笑顔のためなら、この飲み物の苦さなんて、代償としては安いくらいだ――などと思って油断していたら、結果として四杯も飲まされてしまった。そして最後まで、俺はこの味に慣れることができなかった。俺の腹はこの黒くて苦い何かで隙間なく満たされている。黒い海の中で、ステーキたちが泳いでいることだろう。
「ふぇぇ、おなかいっぱいー」
「ウェラは食べ過ぎや」
「リヴィに言われたくないよぉ」
目をこすりながらウェラが言う。それもそうだ。リヴィ、君はいったい何人分食べたのかね……。まぁ、俺の財布から支払うわけじゃないからいいのだが。
「せや! 温泉入らな!」
リヴィは「ごちそうさまでした」と手を合わせて、すっくと立ち上がった。アレだけ食べた後なのに、全くもって身が軽い。
「あっ、ウェラも行くぅ!」
「じゃぁ、ウチら温泉入ってくるで。パパとママは後で一緒に、やろ?」
にひっと笑いながらリヴィが言う。タナさんは「ウフフ」と笑う。
「それもいいねぇ」
「いいの?」
俺が訊くと、タナさんは「ダメなはずがあるかい」とちょっと怒ったような口ぶりになった。こういう時はタナさんを尊重するに限る。
「にひひ! ええなぁ、ええなぁ、仲良しやなぁ!」
リヴィはそう言いながら、ウェラと手を繋いで食堂から出て行った。給仕の一人が案内役としてついて行った。何かが起きるような心配はしなくていいだろう。
「何を心配してるのさ、エリさん。あの子たちは百人力さね。実働戦力外のあんたが心配することじゃないさね」
「タナさん、時々きついこと言うよね」
「愛情の裏返し。いつでもデレデレしてたらあんたも調子狂うだろ」
「そ、それはそうかもしれない」
俺はきっとそういうタイプだ。女性と深い付き合いをしたことがないからイマイチわかってはいないが、タナさんが言うからにはそうに違いない。
「それはそうと、タナさん。身体、痛いんだろ」
「さすがは騎士だねぇ。どうしてそう思ったんだい?」
「顔色が悪い。歩くときの重心がブレブレ。右手の薬指と小指が少し震えてる。あと、瞬きが明らかに多い」
「まいったね」
タナさんは髪をかきあげた。その際、少し顔を歪めた。
「頭痛もあるだろ?」
「うん、あるよ」
タナさんは痛みを隠すのをやめた。
「それって、魔法のせいか?」
「魔法は使ってないよ、アタシは。あれはユラシアが自らを代償として放った力。アタシはその触媒になっただけなんだよ。アタシを通じてなかったら、ユラシアの力がダイレクトに放出されてたら、この街全体が無事では済まなかったさ」
「そんなに……?」
「ユラシアには、幸か不幸か、力のある悪魔が宿っていたみたいでさ。アタシが噛まなかったらみんなまとめてキレイな消し炭になっちまうところだったんだよ」
「まさか、その力の反動……?」
「そういうこと。魔力の影響ももちろんあるけれどねぇ」
タナさんはテーブルに手をついて、ゆっくりと立ち上がった。
「やれやれ、本当に全身が砕けちまいそうさね」
「これ、すごいな」
俺も立ち上がると、タナさんの肩に触れてみた。首から肩にかけて、もはや石のように硬い。こんな状態で身動きできるなんて、いっそ尊敬に値する。
給仕の一人が扉を開けて、俺たちに頭を下げる。俺たちは「ごちそうさま」と声をかけて食堂から出る。一人が案内に付いてこようとしたが、俺たちは遠慮した。
そして二人で仄かに明るい廊下を歩く。
「あんたの掌は本当に気持ちいいねぇ」
寄り添ってくるタナさんである。悪くない。
「本当は剣なんて持つべきではない男の手だ」
「タナさん……俺さ」
「男のことはお見通し、さ」
タナさんは囁く。俺は言葉を続けられない。ゆっくりと歩いて、俺たちはさっきまでいた部屋に戻ってきた。
そこで気がついた。
「ベッドが一つ……」
「今気付いたのかい」
大きなソファが二つ、キングサイズのベッドが一つ。タナさんはどこか妖艶に微笑んだ。
「リヴィとウェラがベッド……かな?」
「何言ってるんだい。アタシとあんただよ」
「え……?」
「え、じゃない」
タナさんはピシャリと言う。
「さて」
タナさんはベッドに腰掛けた。そして俺を引き寄せる。
「……っ!」
腰に痛み――とか言っていられる状況ではなかった。これ、傍目に見たら、俺がタナさんを押し倒したように見えるじゃないか。
傍目、なんてありはしないのだが。
「ははっ! イイトシして、何をキョドってるんだよ、エリさん」
「……まずは肩でも揉もう」
そう提案すると、タナさんは俺の下でうっすらと微笑んだのだった。




