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腰痛剣士と肩凝り魔女  作者: 一式鍵


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04-08. ユラシア

「タナさん!?」

「ママ!?」


 俺たちの声が重なる。


 しかし、炎はタナさんを焼かなかった。炎がタナさんを()けていた。石畳を溶かすほどの炎だというのに、それはタナさんを傷付けない。絞首台はついに溶け落ち、少女はいま、地上に在った。


「なぁ、あんた」


 タナさんの静かな声が、炎の生み出す暴風を柔らかく引き裂いて届く。


「名前も知らないけどさ、あんた。ほんとうに、つらかったねぇ」


 その言葉を受けて、少女はゆっくりと顔を上げる。そして燃え盛る身体を、一歩、また一歩とタナさんに近付けていく。


 タナさんは退()こうとはしない。想像を絶する灼熱の中でも、タナさんは至って涼しい顔をしていた。


「心の中の悪魔と契約しちまうその気持ち。アタシには痛いくらい……わかる。わかるって言える。でもね、あんたに手を差し伸べてきた悪魔(そいつ)は、何もしちゃくれないんだ。あんたは今、自由になれたなんて感じてるかもしれないけれど、それは自由でもなんでもないんだ」


 静かな言葉が炎を()ぐ。


「犠牲の上に立つ人生――これほどきついものはないんだ。アタシにはそう言える。アタシが、そうだから。世界をぶち壊したいくらいの気持ちになったんだろう? 皆殺しにしてしまいたいくらいに憎んだんだろう? わかるよ。でもね、世界って、理不尽で傲慢で限りなく横暴でとんでもなく我が侭だけれどね、案外優しいんだ。それがたまたまそばに落ちているかどうか、それに気付けるかどうか。それだけなのさ」


 轟々(ごうごう)と、炎が俺たちにも吹き付けてくる。リヴィとウェラを背中にかばう。このくらいなら、お安い御用だ――と言いたいところだが、呼吸も難しいほどの熱気だ。タナさんがどうして無事なのか、さっぱりわからない。


 そのタナさんと、少女の距離は五歩分程度。もはや至近距離だった。


「アタシも最近知ったんだけどね。この世界だって、案外捨てたものじゃ、ないんだよ? もしかしたら……だけどさ。アタシたちがこうしてあんたと出会えたのも、世界とやらの(はか)らいなのかもしれないよ?」


 タナさんの顔は見えない。だけど、その青い(ほむら)に包まれた後ろ姿はいっそ神々しくもあった。


「あんたはね、その世界のこのわかりにくい優しさってやつに気付けなかったのかもしれない。もしかしたら、優しさはあんたに何もしてくれなかったのかもしれない。人間ってやつの小汚い部分ばかりを見せられたかもしれない。苦痛と汚辱を前にして、全てを呪うほどに絶望しちまったのかもしれない。まるで自分が汚穢(おわい)にまみれて、だから絶対に救われることなんてないなんて思っちまったのかもしれない」


 タナさんの言葉が青い焔を(しず)めていく。


「つらかったね。苦しかったね。アタシには、あんたにそう言う権利があるんだ」

「ママ……」


 ウェラの声が震えていた。俺の背中を支えているリヴィの手からも、少し震えが伝わってくる。


「あんたのその呪い。アタシが引き受けてやるよ。あんたをそこまで追い詰めた、本物の()に、あんたの怨嗟(えんさ)を全て返してやる!」


 タナさんの顔は見えないが、どんな表情をしているかくらいはわかる。


「パパ、ウチら、なんもできひん……?」

「今は、な」


 タナさんに任せるしかない。タナさんを、信じるしかない。覚悟は決まっている。


「ユラシアっていうのかい、あんた」


 タナさんと少女の意思疎通(かいわ)は続く。少女――ユラシアの声は、俺には聞こえない。


「わかってるよ。アタシはあんたのことを忘れない。だから、あんたの記憶を全部アタシに寄越(よこ)しな。全部、全部、引き受けてやるよ。あんたの痛みも、憎しみも、全部だ。そこにほんのちょっとの喜びを乗せてくれりゃ、なおいい」


 タナさんはそう言う。そして、燃え盛る少女を抱きしめた。


「タナさん!?」


 思わず前に踏み出しかけた俺だが、それは強烈な熱風で(はば)まれてしまう。


「あるだろう、喜びの記憶。楽しかった事。笑った思い出。あんたの人生じゃ、そんなにたくさんはないかもしれない。けど、あったはずさ。記憶の中の喜びを、数えてごらん?」


 雨が止んだ。炎がふわりと消滅した。熱風も何もかも、嘘のように消えた。


「ユラシア」


 タナさんは静謐な口調で尋ねる。


「あんたにも、一つ、二つ、大切な思い出が、あっただろう?」

『……うん』


 聞こえた。まだ幼さの残るその声が。


「その思い出は、あんたの流した涙の数だけ、重たくなるんだ。あんたの寄る辺になる。かけがえのないものになる。あんたを守ってくれる力になる」

『でも、私が……どうしてこんな思いを、痛みを……』

「そうだね、そう思うよね。寄る辺なんて本当は必要ない。そんなものが必要なほど追い込まれる必要なんてない。通り一遍の楽しい思い出だけで生きていければ人は十分幸せなんだから。だから、アタシの言葉はあんたへの慰めになんてならない。……ごめん」


 タナさんはユラシアを抱きしめる。強く抱いているのがわかった。


「どうして、なぜ。アタシもそう何度も叫んだ。叫ぶ気力もなくなるほど、泣き喚いたさ。でもさ、ユラシア。今のアタシを見てどう思う? あんたの目の前で、こういう話をしている女を見てどう思う? 不幸でボロボロになっているように見えるかい? 世界を呪っているように見えるかい?」

『……見えない』

「だろう?」


 タナさんは囁く。


「だけどね、アタシも過去に世界を恨んだ。憎んだ。滅べばいいのにって、何度も願ったんだ。目が覚めたら何もかも終わっていますように――眠る前には必ずそう祈っていたのさ。だけど、今はそんなことは思わない」

『……なぜ』

「それはね、あんたの来世で考えるんだよ」

『来世……』

「そんなものがあるかどうかは知らない。けど、次に生まれるときはね、今よりはマシな人生が待っている。どのくらいマシになるかはわからないし、保証も約束もできない。けどね」


 タナさんは俺を振り返った。俺はゆっくり頷いた。


「けどね、最期に一つだけスカッとさせてやるよ、ユラシア。あんたに最後に囁いたのは、誰だい?」

『クァドラ……そう名乗った』

「わかった」


 頷いて、深く息を吸う。


「魔女クァドラ! さっさと出ておいで!」


 タナさんの怒声が、静寂(しじま)を破り裂いた。


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