03-10. 形見と呪い
給仕は目を伏せ、そのペンダントを軽く掲げた。東の窓から差し込む光を、宝石がキラキラと反射する。
「これはあなたのお母様の形見。そして、今は私の命の源でもあります」
「命の源?」
リヴィは俺たちを見回し、タナさんで視線を止める。
「その給仕は、死んでるのさ」
タナさんは疲れたような声を発した。
「いわば、生きている死体みたいなもの」
「そうなん!? 全然普通の美人さんに見えるけど」
「三年前、私はあなたのお母様からこれを託された。たまたま一緒の牢にいただけの私に、病気で死にかけていた私に、生きなさいと」
給仕の告白に、俺たちは絶句する。
「でも、これは貴重なもの。ですから私は、あなたにこれを返さなくてはなりません」
「そないなことしたら――」
リヴィが言う。給仕はニコリと微笑んだ。
「良いのです、これで」
給仕はそのペンダントをリヴィに向かって突き出した。タナさんはウェラの手を握ったまま動かない。俺も何を言うべきか、正直困っていた。
「あのな、ええと――」
「ジェノスと申します」
「ジェノスさん。あのな、ウチ、それは受け取れん」
「なぜですか。これはあなたのお母様の形見です。あなたが持つべきものです」
「せやろか?」
リヴィは首をかしげた。
「ウチ、確かにおかんのことは大好きやった。せやけど、おかんが生きろ言うたんやろ? 結果としてあんたも死んでしまったんかもしれへんけど、おかんのそのペンダントのおかげで、今こうしておるんねやろ?」
「そうです。ですが、時は来たのです」
「違うと思う」
リヴィは明確に言った。
「ジェノスさんは、今が辛いんか? 生きるのをやめてしまいたいくらいに、今に絶望してるん?」
「それは……」
「もしな、ジェノスさんが今すぐ死にたいっていうくらいに辛い言うなら、ウチはそれをジェノスさんの形見として受け取る。せやけど、そないでもない、まだ生きてても良いかなって……ちょーっとでも思っとる言うなら、ウチはそれを受け取れへん」
「ですが、ここを出たら二度と会えない……」
「それならその時やない?」
リヴィはゆっくりと言った。
「ウチはおかんとの楽しい思い出は山ほど持っとるんや。それが辛かったりもするんねんけどな、せやけど、ウチはおかん成分に不足は感じてないんねや」
「リヴィさん……」
「ジェノスさんはな、今、紛れもなく生きとる。いや、生きとる死んどる、そないなこと、本当のところなんてどうでもええ。せやけど、今こうして話ができてる人に、今すぐここで人生終わってくれなんて殺生なことを言うなんてのは、ウチにはできひん」
リヴィの言葉は、少女のものとは思えないほどに重たかった。
「もしな、これから生きることが辛くなったら、自分でそのペンダントを山の中にでも捨ててくればええ。ウチはな、おかんの形見なんかより、おかんの言葉の方を大事にしたいんねや。おかんは、ジェノスさんに生きて欲しいと言うたんねやろ?」
「は、はい」
「ほなら、ウチがそれを終わらせるのは筋が通らん。ウチをその理由にされるのも筋が通らんよ。違う?」
リヴィの言葉に対して、俺たちは沈黙をもって応える他にない。
「ジェノスさん、さっき言うたよな? ガナートのおっさん、これから厳しくなりよるって。そんならなおのことや。あんたはガナートのおっさんを護る仕事があるんちゃうか? そういう生き方もあるんちゃうか?」
リヴィはそう言うと、ジェノスの右手――ペンダントが乗っている――に自分の右手を重ねた。そして目を閉じる。
「ああ、そうやな……」
リヴィは小さな声でそう言った。彼女はペンダントから何かを感じたらしい。
「ジェノスさん」
「はい」
リヴィの青い瞳に見上げられたジェノスは小さく喉を鳴らした。
「おかんが、すまんねって」
「なぜ……」
「生きろなんて言って、ごめんやでって」
「そんな……」
ジェノスの目から涙が溢れ出した。リヴィも一筋、涙を流した。そんなリヴィの肩に、タナさんが手を置いた。だが、タナさんにしては珍しく、唇を噛み締めて何も言わない。
「おかんは最期までその事を悔いていたのかもしれん」
「そんなこと――」
ジェノスはがっくりと膝を折る。その目からはとめどなく涙が流れている。リヴィは片膝をつくと、ジェノスの肩に触れる。タナさんはその後ろで、どこか遠くを見るようにして立ち尽くしていた。ウェラは視線をあちこちに彷徨わせている。
リヴィはこれ以上ないくらいに静謐な声で、叙唱のように語りかける。
「な? ジェノスさん。あんたには生きる権利がちゃんとあるんや。それはな、確かに、偽りの命かもしれへん。ウチは、あんたのことをまだよう知らん。せやけど、おかんが生きて欲しいって願った人間やっちゅうことはわかる。せやからな、あんたはあんたの生き方をするべきやと思う。そのペンダントの魔力かてきっと永遠じゃないんねよ。せやから心配せんでもええ。あんたは、ちゃんとその時になれば死ねる」
「リヴィさん……本当に」
「くどいのは嫌いや。ウチはそう決めた。ウチは頑固なんや。やると言ったらやる。やらないと言ったらやらない。うちはな、ジェノスさん。あんたには重大な責務ってのがあるんとちゃうかと思うとる」
「重大な……責務?」
「せや」
リヴィはジェノスを立ち上がらせて、しっかりと抱きしめた。
「あんたには、こうして体温もある。ウチ、あんたみたいな人、好きや。そしておかんも多分、あんたのことが好きやってん。せやからな、あんたがおかんに続いてウチに出会ったのも縁とはちゃうやろか?」
「それは……」
「ウチがな、はっきりあんたに教えたる。あんたは、生きる以上幸せにならなあかん。もしなれへんかったら、あんたはおかんを裏切ることになるんねよ?」
「そんなことは、しかし……」
ジェノスはリヴィを抱きしめ返す。言葉が出ないのだろう。俺にだって何も言えない。
「幸せってなんやろな?」
リヴィはぽつりと訊いた――誰にともなく。だが、俺たちの誰も、それに応えられない。
「……わからんよね」
リヴィはタナさんを振り返る。タナさんは目を閉じて俯いていた。泣くのを堪えているようにも見えないではない。
「せやけど、それでええとウチは思う」
「――幸せじゃないって感じることは多いよ、リヴィ」
思わぬ声が挟まれる。ウェラだった。
「どんな幸せも、楽しかったことも、一つ二つの不幸せで簡単に吹き飛んじゃうんだ。楽しかったことが重荷になることもあるよ? 楽しくしなきゃ、幸せにならなきゃ――そういう思いって、ウェラは呪いみたいなものだと思うよ」
そう語るウェラの表情は、暗い。およそ見た目にそぐわない沈鬱さだった。しかし、リヴィは「それはそうかもしれん」と少し明るい声で応じた。
「せやけどな、それでええんや。幸せばかりじゃ心が麻痺してまうやろ? せやから、神様とかいうのが、時々次に来る大きな幸せをより大きく感じられるようにって与えるのが、不幸せってやつだと思うんよ、ウチは」
次に来る大きな幸せを大きく感じられるように――か。俺は息を吐く他にない。
「せやけど、みんなにウチと同じ考えをせぇなんて言えへん。けどな、こういう考え方や生き方もあるっちゅうことは……そりゃウチは一番年下やねんけどな、それでも誰かに伝えたくなったんや」
「リヴィさん」
ジェノスが少し声を張った。
「私は……まだ生きます」
「それでええよ」
リヴィは何でも無いことのように肯定した。
「まだしばらくはガナートのおっさんところにおるんねやろ?」
「クビになるまでは」
ジェノスは小さく笑った。リヴィも笑う。
「ほなら、ウチな、この旅が終わったら必ずここに戻る。そん時にな、また今みたいな豪勢な食事出して歓迎してもらえたら、ウチ、嬉しいなぁ」
「……必ず」
「おおきに! そん時までに偉くなっといてや」
「わかりました」
ジェノスは微笑み、ペンダントを内ポケットに戻した。
「これであんたは簡単には死ねへんよ?」
「死んでる場合じゃないですね」
二人は笑みを交わす。俺はタナさんの目尻がキラリと輝いたのを見てしまった。俺もタナさんとは同じ気持ちだったと思う。
その時、食堂の扉が開いて、騎士が一人駆け込んできた。ジェノスはゆっくりとその騎士を振り返る。
「ジェノス、この方たちを避難させてくれ」
「避難?」
俺が思わず尋ねる。騎士――ガナートと一緒にいた騎士の一人だ――は、頷いて、呼吸を整えてから言った。
「キース派の騎士たちが反乱した」
俺たちの平穏な時間は、こうして破られた。じっとりとした視線のようなものを感じて、俺は思わず窓の方を振り返った。太陽が、陰っていた。




