02-10. 使い魔の襲来
翌日の夕方、まもなく夜になろうかという頃になって、俺たちは大きな街に入った。この都市の真ん中に、ガナートとその父の――即ちベラルド子爵家当主の邸宅がある。
「なぁ、ガナート」
すっかり観念しているガナートの拘束は、もうすっかり解いてやった。ただし、俺とウェラが馬車の中で監視している。ちなみにタナさんは、ガナートの馬を悠然と駆っている。なお、あの最初の町を出てからの付き合いになっている馬は、ウェラに妙に懐いており、今も馬車の後ろにピタリと付けてウェラを見つめていた。
「あんたは何でそこまで魔女を嫌うんだ」
「魔女は……」
ガナートは首を振る。
「俺は、五年前に妻と娘を死なせてしまった」
「疫病か?」
確かその時期に非常に性質の悪い風邪が蔓延していた記憶がある。街道沿いの大きめの村にでさえ、埋葬待ちの死体が無造作に転がされていたのを何度も見た。
ガナートは苦い表情で頷く。ウェラは俺の隣で神妙な顔をしていた。
俺は腕を組んだ。
「だから、それが魔女の仕業だと?」
「それ以外ないだろう。王国内だけでも何万人死んだと思っている」
確かに、あの時期はひどかった。だが、あまりに状況が酷すぎて、魔女狩りの起きる余地もなかった。どこの領地も、それ以上の混乱は避けたかったのだろうと、俺は思っている。
「それがよしんば魔女の仕業だったとしてもさ、悪事を為したわけでもない人間を裁こうってのは間違えてると思うぞ」
「誰かが死んでからでは遅いだろう」
「だからといって誰かを殺していいわけでもない」
俺は溜息を吐いた。互いの正義がぶつかりあった結果としての刃傷沙汰ならばともかくとして、ガナートがやっていたことは単なる弱者虐めだ。俺に言わせてみれば臆病で卑怯なやり方だ。
「異端審問官の裁きがある。俺は何も、女達を皆殺しにしようとしているわけではない」
「異端審問官ねぇ。あいつらの判断が絶対に正しいと?」
「それは……だが、彼らは魔女に関しては――」
「どうだか」
俺は異端審問官を何人も知っている――俺が知っている異端審問官は皆、もうこの世にはいないが。だが、彼らが正しいと思ったことなど一度とてないのだ、俺は。
百人、あるいは千人の無実の女を拷問して殺す過程で、たまたま一人二人、本物の魔女がいる。つまり奴らは「女を狩るお墨付き」をもらっただけの頭でっかちに過ぎない。二十年前から最近までほとんど動きはなかったはずだが、カルヴィン伯爵領で大規模な魔女狩りが始まってからというもの、息を吹き返しつつあるのだ。異端審問官といえば、王都でも幅をきかせている教会の一大勢力であり、王家や貴族連中とも懇意の超エリート集団であるとも思われている。
「……お前はそれで満足なのか、ガナート」
「どういう意味だ?」
「お前は妻子を疫病で失った。だが、お前が拉致した女達にも、夫や親、あるいは子どもがいたかもしれない。それについてはどう釈明するんだ」
「それは――」
「魔女だったら何倍もの悲劇が生まれるから、とか言い出すんじゃないだろうな?」
俺は幾分低めの声で尋ねる。ガナートは唇を噛み締めている。
「人間は数じゃない。戦争屋ならともかく、為政者が考えていいことじゃない」
「だが――!」
その時馬車が急停止した。すぐに馬車の後ろに、馬に乗ったタナさんが姿を見せる。
「お二人さん、盛り上がってる所、悪いんだけどさ」
「何があった?」
俺はタナさんとウェラを交互に見た。ウェラは難しい顔をして、馬車から出ていこうとしている。
「どうした、ウェラ」
「風が変なんだ、パパ」
「風が?」
俺も痛む腰をおして馬車から降りる。タナさんが下馬して俺を手伝ってくれる。ちなみに俺は自分のとガナートの長剣を持っている。ガナートには、さすがに武器は持たせられない。
俺たちの馬車は、この都市の堀を通過した所だった。家々に明かりが灯り、メインストリートには多くの人々の姿が見えた。魔女狩りに病んでいる世界とは思えない、平和な眺めだった。
「馬が前に進まなくなってしまって」
騎士の一人が言った。確かに馬たちは横一線に並んだきり、前に進もうとしない。御者たちもまた、困った表情をしていた。
「動物は敏感さね。ウェラ、わかるかい?」
「風の精霊さん……と思うけど」
「元、風の精霊さ」
タナさんは上空を指差した。夜空に半分溶け込んでいて気付かなかったが、そこには人間がすっぽり収まるくらいの黒いキューブが浮かんでいた。
「あいつと意思疎通はできるかい、ウェラ」
「無理。何言ってるか全然わからない……」
「だろうね」
タナさんはそう言うと、俺からガナートの剣を奪って抜いた。
「アレはね、魔女の仕業さ。本物の魔女が精霊を使い魔にしたのさ」
「そんな……!」
ウェラの顔が悲痛に歪む。彼女にとって精霊は皆ともだちなのだ。
刹那、その黒い球体が激しく爆発した。馬たちが止まってくれたから良かったものの、進んでいたら巻き込まれていた――そんな絶妙な間合いだった。
「ほらほら、騎士たち! 仕事しな!」
タナさんが重たい長剣をブンブンと振り回しながら、ガナートの部下たちを動かしていく。ガナートも馬車から出てきていた。こいつはほっといても大丈夫だろうから、放置しておくことにする。
その黒いキューブの内側には、これまた黒一色のヒトガタがいた。それは舞い降りるなり、騎士たちに襲いかかってくる。だが、騎士たちもさすがはガナートが連れ歩く精鋭である。簡単にはやられないだろうというくらいに機敏な動きを見せていた。だがその一方で、騎士たちの攻撃もまるで通用しているようには見えなかった。
「影が先に動いてら」
俺はそれに気が付く。黒いキューブが動くほんの一瞬前に影が動くのだ。
騎士たちもそれに気付き始めたが、だからといって良い打開策が生まれるわけでもない。
「ったく、図体ばかりかい、あんたたち!」
「ママ、逃げたほうがいいと思う!」
「ここで逃げたら、この領地での魔女狩りは終わりゃしないのさ」
「でも……!」
ウェラはしゃがんで頭を守りながら訴える。だが、タナさんは時々長剣で何かを弾き返しながら、堂々と立っていた。戦の女神を彷彿とさせるような、そんな佇いだった。
「この精霊さんの怒りは強すぎるよ、ママ!」
「だからこそさ。これもまた縁だよ、ウェラ」
「でもっ!」
「女にはね、踏みとどまらなけりゃならない時ってのがあるのさ」
タナさんは突っ込んできた黒い精霊に向かって大きく踏み込んだ。その打ち込みは騎士もかくやと言わんばかりの鋭さで、俺も、俺の隣のガナートも息を呑んだほどだ。
だが、精霊の防御は相当に分厚いようで、ガナートの剣をもってしても大したダメージを与えることはできなかったようだ。そうこうしているうちに、都市から不安と好奇心をないまぜにした野次馬たちが集まってきてしまう。
「あの、その剣」
囚われていた少女の一人がタナさんに近付いた。タナさんは黒い精霊の攻撃を受け流しながら、その少女に言う。
「危ないよ、あんた」
「ウチも戦いたい。その剣、貸してくれへん?」
少女は燃えるような赤毛の持ち主だった。黄昏の中でもそうと分かるくらいに、明るい赤毛だ。
「戦いなんざ騎士たちに任せときな」
願う少女に対し、タナさんは鋭く言い放った。その黒褐色の瞳が、刃のように細められていた。




