迫る黒き軍勢
夜明け前――。
荒野を渡る風がざわめき、地平線の向こうに黒い影が広がっていった。
「……あれは」
セレスが杖を掲げ、目を細める。
「魔王軍。幹部クラスが、直々に来ている」
砂煙を巻き上げ、進軍する魔族の群れ。
その先頭には――巨躯の将軍グロスが立っていた。
黒鉄の鎧を軋ませ、戦斧を担いだその姿は、ただ歩くだけで地面を震わせる。
「勇者姫ってやつはどこだぁ! 弱そうな小僧じゃねえだろうな!」
怒号が轟き、魔族の兵がざわめいた。
その背後では、仮面をつけた参謀ヴァルターが冷静に足を進めていた。
「作戦を乱さないでいただきたい。目的は勇者の排除。感情的になるのは――」
「会議じゃねぇんだ、戦場だ!」
グロスが唾を吐き捨て、戦斧を肩に叩きつける。
そして、その二人の間をすり抜けるように、小悪魔侍女ルナがひらひらと舞い出た。
手には――自作の「ナギ様ファンクラブ」旗。
「勇者姫~! 会いに来ましたよぉ! 今日もかわいいって叫びに来ましたぁ!」
「な、なんだあれ……」
リィナが思わず額を押さえる。
「本気なの? 魔王軍の幹部って……」
「ははっ、笑ってる場合じゃねぇ」
ドランが大剣を担ぎ直し、荒野に立った。
「来やがったな……! 今度は本気でぶつかるぞ!」
フィオナは祈りを紡ぎ、ナギの背に光を宿す。
「大丈夫。ナギさん……私たちはここにいます」
ナギは裾をぎゅっと握り、震える指で聖剣を抜いた。
「……魔王軍。ついに、来たんだ」
蒼光が荒野を切り裂き、夜明けの光と交わる。
勇者と魔王軍――運命の衝突が、今始まろうとしていた。
荒野に緊張が走った。
魔王軍の兵が後方に控え、幹部三人が前へ進み出る。
「さぁ――勇者姫。お手並み拝見といこうか」
ヴァルターの声は冷徹で、砂の上に響いた。
その瞳は冷たく計算を刻み、杖の先から黒い数式の光が漏れる。
「はっはっは! 勇者姫だぁ? どこが姫なんだよ!」
グロスが戦斧を振り上げ、地面に叩きつけた。
轟音と共に砂煙が弾け、衝撃波が仲間たちを襲う。
「きゃっ!」
フィオナが祈りで光の障壁を張り、必死に耐える。
「これ……力が強すぎる!」
「はっ、まだ序の口だぜ!」
グロスは笑いながら突進し、ドランが大剣で迎え撃つ。
ガァン!
大斧と大剣がぶつかり合い、衝撃で荒野が裂けた。
「ぐぬぅぅ……!」
「へへっ、悪くねぇな!」
その横で、リィナがすばやく剣を振るい、ヴァルターに切り込む。
だが――。
「浅い」
ヴァルターが指先で印を刻むと、周囲の空間が歪んだ。
ナギの青い瞳に「仲間が倒れる未来」が映り込む。
「やめろ……!」
ナギが裾を握りしめた瞬間――。
「勇者姫~~!♡」
ルナが割り込んできて、突然ナギに花束(自作)を差し出した。
「この日のために夜なべして作りましたぁ! はい、推し活グッズ第1号!」
「なっ、なんで戦場でそんなもん持ってくんだよぉ!」
ナギが顔を真っ赤にする。
「はぁ!? ふざけてるのか!」
リィナが剣を振り回しそうになるが、ヴァルターがため息を吐いた。
「……戦場を遊び場にするな。会議を進めさせていただきます」
「だぁーっはっは! いいぞ! 俺は戦えればなんでもいい!」
グロスが笑い、大斧を振り回す。
荒野は戦火に包まれ、蒼光と瘴気がぶつかり合う。
ナギは必死に聖剣を構え、仲間の声を背に受けていた。
「ナギ! 怯むな!」
「ナギさん! 私たちが支えます!」
「震えてても構わねぇ! 進めぇぇっ!」
――勇者と魔王軍幹部。
ついに、決戦の幕が上がった。
「はぁっ……はぁっ……!」
荒野を駆け抜ける衝撃波。斧と剣のぶつかり合う轟音。
僕の足は震えて止まりそうになる。裾を握る指が汗で濡れて離れない。
(僕なんかが……勇者だなんて……!)
ヴァルターの冷たい視線が突き刺さる。
「勇者姫。お前の震えは――未来の崩壊を呼ぶ」
空間が歪み、僕の目に「仲間たちが倒れる幻影」が映し出された。
「リィナ……! ドラン……! やめろぉっ!」
声を張り上げるが、幻影は消えない。
その瞬間、ルナの声が割り込んだ。
「ナギ様ぁぁ! 震えるのも尊いですけど、ここで立ったらもっと尊いですよぉぉ!」
「う、うるさいぃぃ!」
僕の叫びは情けなく裏返った。
だが、その声に――仲間たちが応える。
「ナギ! 剣を掲げろ!」
ドランが斧を受け止めながら叫ぶ。
「お前が前に出なきゃ、俺たちは守れねぇ!」
「……震えてても構わない」
リィナが剣を血に濡らしながらも睨みつける。
「それが勇者って証よ!」
「ナギさん!」
フィオナが祈りを込めて光を放ち、僕の背を照らした。
「私たちは、あなたを信じています!」
胸が熱くなる。喉が詰まる。
裾をぎゅっと握り、青い瞳を見開いた。
「僕は……!」
聖剣が震え、刀身が脈動を始める。
『震えてもいい――進め、勇者姫』
ブレードさんの声が刃の奥から響いた。
「僕は勇者だ! 震えてても、“女のごとき心”で進む勇者なんだ!」
蒼光が荒野を照らし、僕の震える腕から奔流となって放たれる。
グロスの巨斧を押し返し、ルシュラの幻影を砕き、ヴァルターの術式すら揺らした。
「なっ……!? この光……!」
ヴァルターの顔がわずかに歪む。
「勇者の資質……いや、それ以上……!」
「ぐぬぅっ! 力で押されるだと!?」
グロスが斧を構え直す。
「ほら見ろ! やっぱりナギ様は最強勇者姫なんですぅぅ!」
ルナの叫びが荒野にこだました。
僕は涙目で叫んだ。
「だから姫って呼ぶなぁぁぁぁっ!」
――けれど。
震えながらも前に出る勇者の姿は、確かに仲間の背を押していた。
魔王城――黒曜石の尖塔の上、血のように赤い月が浮かんでいた。
大広間には幹部たちが集まり、黒衣の参謀ヴァルターが淡々と告げる。
「……境界の均衡が破られました。勇者姫ナギは“外”に踏み込み、なお生き延びています」
ざわめきが広がる中、武断派の将軍グロスが机を叩いた。
「なら話は早ぇ! 次は俺たちが潰す番だろ!」
「……会議を進めさせていただきます」
ヴァルターが冷ややかに言葉を重ねるが、その横で小悪魔侍女ルナがぴょこんと手を挙げた。
「ナギ様が境界を越えたってことは、もう花嫁修業済みですね! 私、ファンクラブの会報つくってきます!」
「黙れぇぇ!」
ヴァルターとグロスが同時に怒鳴り、広間にため息が渦巻く。
その混乱を断ち切るように、玉座の魔王が立ち上がった。
白磁の肌、性別を超越した美貌が赤月の光に照らされる。
「――我が勇者姫。震えながらも剣を掲げる姿……至高……!」
その瞳は恍惚に揺れ、声は大広間を支配する。
「進軍だ。次は我が手で迎えに行く。勇者姫を、永遠に我が傍らへ」
「……魔王様ぁぁ!」
幹部たちの嘆きとルナの歓声が交錯する中、魔王軍の旗が揚がった。
闇の大軍が地を揺らし、砂海の彼方へと進軍を開始する――。
◇ ◇ ◇
その頃。
勇者一行は境界を抜けた荒野で焚き火を囲んでいた。
風は冷たく、砂漠の夜は静まり返っている。
「……魔王軍が動いた、か」
セレスが杖を見つめ、低く呟いた。
「境界の崩壊は、奴らにとって合図となったのだろう」
リィナは剣を磨きながら唇を噛む。
「来るなら受けて立つだけよ。私の剣は絶対に折れない」
ドランは大剣を背に倒れ込み、笑い声を上げた。
「いいじゃねぇか! 勇者らしくなってきたぜ!」
フィオナは胸の前で祈りを捧げ、仲間の顔をひとりひとり見渡した。
「怖いです……でも、大丈夫。私たちは一緒にいるから」
ナギは裾をぎゅっと握りしめ、青い瞳を焚き火に映した。
震える心臓。乾いた喉。
けれど、仲間たちの言葉と炎の温もりが、確かに背を押していた。
「……僕は勇者だ。震えていても、“女のごとき心”で……次は魔王軍に立ち向かう」
その言葉に応えるように、聖剣エルセリオンが蒼光を放ち、夜空を裂いた。
荒野に吹く風は――戦いの始まりを告げていた。




