森の奥の学者
小さな宿場町の広場は、朝日を浴びてにぎわっていた。
露店の並ぶ通りを抜ける途中、ドランが聞き込みをして戻ってくる。
「おい、ナギ。ちょっと面白ぇ話を仕入れてきたぞ」
「え、な、なに?」
僕は荷物を抱え直しながら首を傾げた。
「この先の森に“古代遺跡を研究してるエルフの学者”がいるらしい。長生きのエルフなら、聖剣のことも何か知ってるんじゃねぇかってよ」
「エルフの学者……」
フィオナの瞳がぱっと明るくなる。
「それはぜひ会ってみたいですね! きっと聖剣の手がかりが得られます」
リィナは腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「学者? また変な奴を増やす気? どうせ気取った理屈屋に決まってるわ」
僕は少し戸惑いながらも、心のどこかで期待が膨らんでいた。
聖剣エルセリオン――ブレードさんの力を、もっと知りたい。
もしそのエルフが本当に古代の知識を持っているなら……。
『ふむ、ようやく私の偉大さを理解する学者に会えるのか。楽しみだな、勇者姫よ』
「だから勇者姫って呼ばないでってば……!」
思わず声が裏返り、近くの商人にくすっと笑われた。
「お嬢ちゃん、森に行くのかい? 危ないから気をつけなよ」
「お、お嬢ちゃんじゃないです! ぼ、僕は……!」
慌てて否定するけれど、また顔が真っ赤になってしまう。
リィナが横で吹き出して笑いをこらえているのが余計に悔しい。
こうして僕たちは、森の奥――“エルフ学者セレス”を探す旅路へと足を踏み出した。
森の奥はしんと静まり返っていた。
高く伸びた木々の間から、崩れかけた神殿跡が顔をのぞかせている。
苔むした石柱の間を抜けると、そこには一人の影があった。
長身のエルフが、本を片手に石碑へ何やら記録をつけている。
銀緑色の髪が肩まで流れ、琥珀色の瞳が冷ややかに光っていた。
衣服は旅装備というより学者のローブで、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「……なるほど。人間が聖剣を抜いたという噂、まさかと思っていたが」
彼は顔を上げ、僕たちをじろりと見た。
「おや、なるほど。想像以上に“か弱そうな少女”が勇者だとは」
「しょ、少女じゃないです! 僕は……!」
思わず声を裏返すと、彼はくすりと笑った。
「声まで愛らしい。いやはや、聖剣の選択は実に興味深い」
皮肉たっぷりに言いながら、本を閉じる。
「名はセレス。エルフ族の学者だ。……で、君が噂の“勇者姫”というわけか」
『ふん、学者風情が随分と偉そうに吠えるな』
エルセリオンが柄から低く響き、僕は慌てて両手で剣を押さえた。
「ちょっ、黙っててよブレードさん!」
「ほう……剣が喋るか。面白い。いや、“喋る”のではなく“会話している”……? ますます興味深いな」
リィナが眉をひそめ、低くつぶやく。
「……感じ悪いわね、このエルフ」
「うふふ……でも知識は確かそうですよ」
フィオナが笑って取りなすが、ドランは豪快に肩をすくめた。
「理屈屋っぽいが、戦力になるなら歓迎だぜ!」
セレスは顎に手を当て、僕を観察するように見つめていた。
「なるほど、“女の心を持つ勇者”……か。噂は半信半疑だったが、実物はそれ以上に不可解だ」
僕は視線を逸らし、裾をぎゅっと握りしめた。
「……僕なんか、よく分からないままここにいるだけです」
「その“分からなさ”こそが、最大の研究材料になる」
セレスの瞳が知識欲で光り、ぞくりと背筋が震えた。
僕たちが神殿跡の奥へ踏み込んだその時――。
地面が低く震え、古びた石像がぎしりと音を立てて動き出した。
「なっ……!」
リィナが剣を抜き、フィオナが慌てて後退る。
石像は人型を模していたが、三倍はある巨体。赤く光る眼孔がこちらを睨みつける。
「罠だな」
セレスが冷静に呟き、本を開いた。
「古代人は遺跡を荒らす者を防ぐため、守護者を仕込んだんだ。……弱点は胸部の刻印。だが通常の剣では届かん」
「じゃあどうすれば……」
僕が問うと、彼はにやりと笑った。
「答えは簡単だ。“聖剣を使え”。それができるのは、君しかいない」
『うむ、ここは私の出番だな! 姫よ、堂々と声をあげよ!』
「で、でも……! 僕なんかに、あんな大きい相手……!」
肩が震え、足がすくむ。
濡れた黒髪が頬に張りつき、唇はかすかに噛みしめられていた。
だけど――後ろには、仲間たちがいる。
リィナは歯を食いしばって構え、フィオナは必死に祈りを紡いでいる。
ドランは盾を掲げ、石像の攻撃を必死に受け止めていた。
「僕が……やらなきゃ……!」
胸の奥から小さく勇気が湧き上がる。
両手で聖剣を構え、声を振り絞った。
「――い、いっくよぉっ!!」
裏返った声が広間に響き渡り、石像すら一瞬動きを止める。
刀身が光を帯び、温かい力が腕に宿る。
僕は跳ねるように前へ踏み込み、胸部の刻印めがけて剣を振り下ろした。
――眩い閃光。
石像は苦悶の叫びを上げ、粉々に砕け散った。
静寂が戻る。
僕は息を切らしながら剣を抱きしめ、よろけそうな足を必死に踏みとどめた。
「……や、やった……の?」
震える声が広間にこだまする。
セレスが目を細め、面白そうに頷いた。
「……なるほど。剣が力を貸すだけじゃない。“心の震え”すら力に変えているのか。これは研究しがいがある」
粉々になった石像の残骸が、薄い煙を立てていた。
広間はしんと静まり返り、仲間たちは一斉に僕の方を見ていた。
「ナギ……すごい!」
フィオナがぱっと顔を輝かせ、両手を合わせて微笑んだ。
「お、おう……! あんなデカブツを吹き飛ばすとはな!」
ドランが豪快に笑い、僕の背中をばんと叩く。
その衝撃で体が揺れ、頬に張りついていた黒髪がふわりと揺れ落ちる。
「へっ……調子に乗らないことね」
リィナはそっぽを向いたまま腕を組んでいたが、耳の先が赤く染まっているのを僕は見逃さなかった。
『姫よ、見たか? この喝采! まるで舞台の上のプリンセスのようであったぞ』
「ぷ、プリンセスって言わないでよぉ……!」
耳まで真っ赤になり、僕は外套の裾をぎゅっと握りしめた。
そんなやりとりを冷ややかに眺めていたのは、セレスだった。
彼は本を閉じ、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
「なるほど。聖剣の選択は間違いではなかったらしいな」
その声は皮肉混じりだが、どこか興味と期待に満ちていた。
「……私も同行しよう」
「えっ……!」
思わず声が裏返り、目を瞬かせる。
「君とその剣を観察し、記録する。それが私にとって最高の研究になる」
セレスの琥珀色の瞳が光を帯びる。
「心配するな。戦力としても役に立つさ。理屈ではなく、成果で証明してみせよう」
「け、研究って……僕、人じゃなくて実験動物みたいに言わないでよ!」
顔を真っ赤にし、裾を握りしめて抗議する。
セレスは口の端を上げ、静かに笑った。
「安心しろ。私は“壊す”つもりはない。むしろ守る。……興味深いサンプルは、大切に扱うからな」
「サ、サンプルって言ってるじゃない!」
涙目になって声を裏返す僕に、リィナが「ほんと感じ悪いわね!」と食ってかかる。
一方でフィオナとドランは顔を見合わせ、うなずき合っていた。
「……仲間は多い方がいいですし」
「おう! 知識があるのは助かるぜ!」
こうして、皮肉屋のエルフ学者――セレスが僕たちの仲間に加わった。
不安もあるけれど、それ以上に……胸の奥で小さな期待が芽生えていた。