ツンデレ魔法剣士リィナ
森を抜け、僕たちは小さな街へとたどり着いた。
雨はすっかり上がり、夕暮れの光が赤い屋根を照らしている。
石畳を歩くたび、水たまりがきらりと揺れて、濡れた黒髪が頬に貼りついたままの僕は、どうしても人の視線を集めてしまう。
「見て、あの子……」
「女の子……? いや、男?」
「でも聖剣を持ってるぞ……」
ひそひそ声が耳に届くたび、裾をぎゅっと握ってしまう。
ブレードさん――いや、エルセリオンを背負っているせいもあるのだろうけど、やっぱり僕なんかが勇者に見えるはずもない。
「ナギ、大丈夫?」
フィオナが横で声をかけてくれる。
「……うん。僕なんかでも、歩いていれば、街に入れるんだなって」
無理に笑ってみせると、ドランが大声で笑い飛ばした。
「ははっ! 勇者様のお通りだ! もっと胸張れって!」
彼の声に周囲がさらにざわつき、僕は肩をすくめるしかなかった。
そんなときだ。
宿屋の前で腕を組み、僕たちを睨んでいる少女がいた。
赤い髪を高く結い、腰には長剣。鎧の隙間から覗く身のこなしはしなやかで、ただ者じゃない気配を放っている。
彼女の鋭い瞳が真っすぐ僕を射抜いた。
「……その剣、あんたが抜いたの?」
挑発するような声。
僕は思わず目を逸らし、細い指先で外套の裾を握りしめた。
「ぼ、僕……な、なんとなく……」
「なんとなくで聖剣が抜けるかっ!」
彼女は歩み寄り、僕の胸倉を掴む。
顔が近づきすぎて、思わず頬が熱くなる。
「私はリィナ=フェルステッド。剣も魔法も使える魔法剣士よ。勇者を名乗るなら――私に勝ってみなさい!」
街の空気が一瞬で緊張に包まれた。
ツンと澄ました声とは裏腹に、彼女の頬もわずかに赤く染まっているのを、僕は見逃さなかった。
広場の真ん中に人だかりができた。
夕焼けに照らされた石畳の上で、僕とリィナが向かい合う。
観衆は息を潜め、誰もが聖剣と新顔の少女に注目していた。
「……準備はいい?」
リィナが腰の剣を抜き、魔力を帯びた刃が赤くきらめいた。
彼女の姿は凛としていて、まるで絵画の中の戦乙女みたいだった。
僕は喉を鳴らし、背中の聖剣エルセリオンを両手で抱えた。
細い指が柄に触れると、かすかな鼓動のような温もりが伝わる。
『勇者姫よ、臆するな。今こそ“掛け声”を』
耳の奥に響く、ブレードさんの呑気な声。
「か、掛け声なんて僕にあるわけ……」
『女の心は、言葉からも滲むものだ。お前が思うように叫べばいい』
……恥ずかしいけど、やるしかない。
僕は小さく息を吸い、濡れた黒髪を払いのけながら剣を構えた。
「――い、行くんだからっ!」
裏返った声に、観衆がざわめき、リィナが目を丸くした。
「な、何その声……っ」
「ぼ、僕だって勇者なんだよ……!」
頬を赤くしながらも、一歩踏み出す。
裾を翻し、華奢な肩が震えているのに、それでも剣先だけはまっすぐ彼女を捉えた。
「……ふん、笑わせるじゃない」
リィナが駆け出した。剣と剣がぶつかり、火花が散る。
リィナの剣は重く速い。普通の僕なら押し負けていたはずだ。
けれど――。
エルセリオンから淡い光が滲み、僕の腕を支える。
細い手首が砕けそうになる瞬間、まるで剣がそっと添えるように力を貸してくれる。
「えっ……押し返してる……?」
観衆のどよめきが広がる。
リィナが驚きの表情を浮かべ、剣を押し下げた。
「くっ……! なんであんたみたいなひょろひょろが……!」
彼女の叫びに、僕は必死に答えた。
「ひょ、ひょろひょろじゃないっ! 僕は――勇者なんだから!」
その声に呼応するように、聖剣が一瞬だけ強く光を放つ。
リィナの剣をはじき返し、石畳に小さな亀裂が走った。
観衆が息を呑み、静寂が広場を包む。
僕は肩で息をしながら、まだ震える腕を必死に支えていた。
リィナは剣を握り直し、僕を鋭く睨んでいた。
だが、その瞳の奥には明らかな動揺が宿っている。
「……信じられない」
彼女の声は震えていた。
「私の剣を受け止めただけじゃなく、押し返すなんて……」
僕は荒い息を整えながら、ただ聖剣を胸の前で抱きしめる。
光を帯びた刀身が淡く揺らぎ、まるで僕を励ますように震えていた。
『姫よ、その横顔……実に愛らしい。敵の心まで揺らしておるぞ』
「ちょ、ちょっと黙っててよブレードさん!」
思わず裏返った声が出てしまい、観衆から小さな笑いが漏れた。
僕は耳まで真っ赤になり、スカートの裾を握るみたいに外套をぎゅっと掴んだ。
リィナの頬がぴくりと動く。
「……なに、その声。ほんと女の子みたいじゃない」
「ち、違うっ! 僕は……!」
必死に否定するけれど、声は震えてさらに高くなってしまう。
観衆の中からもざわめきが広がった。
「女の子みたいだな……」
「いや、でも聖剣に選ばれたのは本当だぞ」
「勇者様って、ああいう雰囲気なのか……?」
人々の視線が突き刺さる。
そのどれもが嘲笑と畏敬の狭間に揺れていて、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……っ!」
リィナが一歩下がり、剣先を下げた。
その唇がかすかに震えている。
「負けたわけじゃない。ただ……認めざるを得ないだけ」
彼女は悔しげに目を伏せた。
「……あんたに、聖剣が力を貸したのなら……それが答えなんでしょうね」
ツンとすました顔を取り繕ってみせるけど、耳が赤く染まっているのを僕は見逃さなかった。
「リィナ……」
思わず声をかけたけれど、彼女はそっぽを向いてしまう。
「勘違いしないでよ! 私はまだ、あんたなんか認めてないんだから!」
叫んでから、彼女は観衆の中へ駆け戻っていった。
残された僕はただ、剣を抱えたまま呆然と立ち尽くす。
頬に張りつく濡れた黒髪を払いのけながら――胸の奥に、ほんの少し温かいものが灯っていた。
観衆がざわめきながら散っていく中、僕はまだ聖剣を抱いたまま広場に立ち尽くしていた。
光を帯びていた刀身は徐々に落ち着きを取り戻し、ただ静かに脈動している。
『見事だったぞ、姫よ。掛け声も、涙声も、すべてが可憐であった』
「う、うるさいよブレードさん……!」
思わず小さく抗議すると、また周囲に笑いが漏れ、顔がますます熱くなる。
裾をぎゅっと握りしめ、うつむいた僕は耳まで真っ赤だった。
そのとき。
背後から足音が近づき、リィナが立っていた。
夕陽に照らされて、彼女の金の髪が赤く染まって見える。
「……あんた、やっぱり変な奴ね」
腕を組み、つんと顔をそむけながら言う。
「でも……今日の戦いで分かったわ。少なくとも“勇者”の名は、否定できない」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
僕なんかが、勇者だなんて。
でも――リィナの瞳は本気だった。
「で、でも僕……まだ全然強くなんかなくて……!」
慌てて言い返すと、彼女は小さく鼻で笑った。
「分かってるわよ。だからこそ……目を離せないってこと」
そう言い残して、彼女は背を向ける。
その耳先がほんのり赤く染まっているのを、僕は見てしまった。
「……リィナ」
呼びかけたけれど、振り返らないまま彼女は去っていった。
その横顔を見送っていたとき――。
ドランが豪快に肩を叩き、フィオナがにこやかに微笑む。
「ははっ! いい仲間ができそうじゃねぇか!」
「ナギさん……少しずつ、形になってきていますね」
僕は聖剣を胸に抱き、こくりと頷いた。
濡れた黒髪が頬に張りつき、震える唇から小さく声が漏れる。
「……僕なんかでも……本当に仲間になれるのかな」
『姫よ、迷うな。女の心とは、矛盾を抱えたまま歩み出す強さだ。お前はもう、第一歩を踏み出したではないか』
エルセリオンの言葉に胸を押されるようにして――僕は小さく笑った。