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影の刺客

 夜のリュミナス城は、昼間の輝きが嘘のように静まり返っていた。白亜の塔は月光を反射し、石畳の庭に長い影を落としている。

 王から与えられた客間は広く豪奢で、しかしその分だけ落ち着かない空気が漂っていた。


「ふわぁ……広すぎて逆に眠れねぇな」

 ドランが大きな欠伸をしてベッドに転がる。鎧を着けたままの姿に、リィナは呆れ顔で剣を手放さず窓辺に立った。


「せめて鎧くらい外しなさいよ。それに……静かすぎる」

 彼女の声には警戒の色があった。


 ナギはベッドの端に座り、裾をぎゅっと握る。青い瞳は揺れ、胸の奥には昼間の書庫で見た不吉な記録が焼き付いている。

(“勇者姫、世界を覆す”……僕のこと……?)


 そのとき、隣に座ったフィオナが小さく手を握ってきた。

「ナギくん。記録がどうであれ、歩んできた道が本物だよ」

 柔らかな声に、ナギはわずかに肩を緩めた。


 だが次の瞬間、窓の外から小さな錠の外れる音が――。


 カチリ、と乾いた音が響いた瞬間、リィナが剣を抜いた。

「……来るわよ!」


 窓の外から影がすべり込み、部屋の中に黒い霧が広がった。仮面をつけた者たちが数人、音もなく床へ降り立つ。


「やっぱり……“第三勢力”か!」

 セレスの低い声が闇を裂いた。琥珀色の瞳が影を睨み、杖の先に魔力を宿す。


 ナギは裾をぎゅっと握り、青い瞳を大きく揺らした。

「ぼ、僕なんかを……わざわざ……!」

 足が震える。頭に浮かぶのは昼間の記録の一節。

(やっぱり僕は……世界を覆す存在だから……狙われてる?)


 影の一人が低く告げた。

「勇者姫よ。存在を正すために来た。偽りの勇者に、未来は不要だ」


「ふざけんな!」

 ドランが雄叫びを上げ、大剣を振りかぶった。しかし刃は影をすり抜け、空を切る。

「な、なんだと……!?」


 すかさずリィナが前に出て、剣閃を走らせる。

「ナギに触れるなぁ!」

 だが仮面の者は無造作に手を振り、黒い糸のようなものが走って剣を絡め取った。


「くっ……!」

 リィナが歯を食いしばり、膝をつく。


 フィオナが慌てて癒しの光を広げたが、闇が押し寄せて光をかき消す。

「光が……効かない……!」


 ナギの呼吸が荒くなる。裾を握る手に力が入りすぎて、爪が食い込む。

(僕なんかじゃ……守れない。震えてるだけで、何もできない……!)


 そのとき、聖剣が淡く光った。

『震えてもよい。だが、進め』

 刃の奥から響いた声が、ナギの胸を打った。


 聖剣の光が仄かに部屋を照らし、ナギは裾をぎゅっと握ったまま立ち上がった。

「……僕は、消されない」


 青い瞳が大きく見開かれ、震えながらも影をまっすぐに見据える。


「勇者姫よ、何を気取る」

 仮面の者が冷笑する。黒い糸がさらに広がり、リィナやドランを絡め取ろうと迫った。


「させるかぁ!」

 ドランが必死に大剣を振るうが、闇はまるで沼のように刃を飲み込み、返って圧を増していく。


 その刹那、ナギは聖剣を高く掲げた。

「震えてても……僕は進む!」


 刃から蒼光が爆ぜ、部屋全体に広がった。

 闇の糸が光に触れた瞬間、弾け飛び、リィナとドランの身体が解き放たれる。


「なっ……この光は……!」

 仮面の者が後ずさる。


『女のごとき心よ。恐れも涙も、強さに変えよ』

 ブレードさんの声が響き、ナギの心臓を突き動かす。


「僕は……震えてても、仲間を守りたい!」

 聖剣を握る細い腕に、確かな力が宿る。


 光が奔り、黒い仮面に直撃した。

 その表面が軋み、ひび割れ、黒炎の霧が一気に散っていく。


「ぐっ……勇者姫……やはりお前が……」

 呻き声を残し、影の一人が崩れ落ちた。


 残る者たちは一瞬怯み、霧のように退いた。


「……すごい」

 フィオナが震える声で呟いた。

「ナギくん……今のは……」


「はぁ……はぁ……」

 裾を握る指はまだ震えていた。けれど、ナギの青い瞳は迷わず仲間を見ていた。

「僕は……勇者姫なんかじゃない。でも……聖剣が選んでくれた意味を、絶対に掴む」


 リィナは剣を立て直し、わずかに笑みを浮かべた。

「……全く。震えながら言うんだから、余計に本物に聞こえるわ」


 黒い影の気配が完全に消えると、部屋にようやく静けさが戻った。

 だが、解放されたばかりの空気はまだ重く、仲間たちの息も荒いままだった。


「……大丈夫か?」

 ドランが肩を回し、リィナを気遣う。


「別に。ちょっと締め付けられただけよ」

 強がりながらも、その頬には赤い痕が残っている。


「治癒しますね」

 フィオナが素早く駆け寄り、手をかざすと柔らかな光がリィナを包んだ。


「……ふん。ありがと」

 リィナは顔を逸らしたが、耳がほんのり赤い。


 一方、ナギはまだ聖剣を握りしめていた。震えた指先を隠すように、裾をぎゅっと握りしめる。

「……僕なんかに、本当にできるのかな」


 その呟きに、ブレードさんが軽く笑った。

『勇者姫よ、できるできないではない。震えながらでも歩み続ける者だけが“女のごとき心”を持つのだ』


「……勇者姫って呼ぶな!」

 顔を真っ赤にして振り返るナギに、ドランが豪快に笑った。

「ははっ! でもよ、勇者姫って呼び名、案外似合ってるぜ?」


「ち、違うっ! 僕は男だってば!」

 裏返った声が部屋に響き渡り、重苦しかった空気を破った。


 リィナが小さく肩を震わせる。

「……ぷっ、ふふ……。確かに、あんたが姫様なら魔王も困るでしょうね」


 仲間たちの笑い声が広がる中、ナギの胸の鼓動はまだ速かった。

 それでも、不思議と心は温かい。

 ——この仲間たちとなら、闇に立ち向かえる。


 聖剣の青白い光が、まるでその決意を祝福するように、やさしく揺れていた。


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