初めての共闘、光の守り手
小さな村の広場は、どこか沈んだ空気に包まれていた。
畑に広がる作物は荒らされ、柵は壊され、村人たちの顔には疲れと恐怖が刻まれている。
「森から魔物が……夜になると家畜を襲い、子どもたちまで危険なんです」
年老いた村長が必死に訴え、頭を下げる。
「任せとけ!」
ドランは胸を張り、豪快に頷いた。
「俺の斧でまとめてぶった斬ってやる!」
フィオナも柔らかな笑みを浮かべる。
「私も癒しの術で支えます。安心してください」
その横で、僕は裾をぎゅっと握りしめた。
胸に抱えた聖剣がずしりと重く感じ、足元から不安がせり上がる。
「……僕も……やるよ」
小さな声でそう言うと、村長の目が潤んだ。
『ふむ……勇者姫よ、裾を握りしめるその姿は、凛々しくも可憐だな』
「か、可憐じゃない! 僕は男だってば!」
真っ赤になって叫ぶと、村人たちが驚いた顔を向ける。
フィオナは慌てて笑いながら説明した。
「見た目は女の子みたいですけど……ちゃんと勇者なんですよ、この子は」
「お、お嬢ちゃん……じゃなかった、ナギ……本当に大丈夫か?」
ドランが少し心配そうに言う。
「だ、大丈夫……だと思う。僕だって、勇者なんだから……」
そう言いながらも、声が震えていた。
それでも――村人たちの必死な瞳を見ていると、逃げるわけにはいかなかった。
森の中は昼でも薄暗く、湿った土の匂いが立ち込めていた。
僕たちは枝葉をかき分けながら進み、緊張で息を潜める。
「気をつけろよ。気配が濃くなってきやがった」
ドランが斧を構え、鋭い視線を森の奥へ向けた。
その瞬間――。
茂みを揺らして、巨体のオークが姿を現した。
黄色く濁った瞳、棍棒を振りかざす腕。その背後からは、牙を剥いた狼型の魔獣までぞろぞろと現れる。
「っ……!」
思わず息を呑み、裾をぎゅっと握る。
肩が震え、視線は地面に落ちそうになる。
「来るぞ!」
ドランが咆哮し、斧を振るって一体のオークを叩き伏せた。
フィオナはすぐに詠唱に入り、僕の背に回って支援の光を放つ。
だけど、僕の足はすくんだままだった。
聖剣を構えても、細い指は震え、力強さなんてどこにもない。
「や、やめて……こっちに来ないで……!」
声が裏返る。
次の瞬間、エルセリオンの刀身がかすかに光を帯びた。
『ほう……勇者姫よ、よき掛け声だ。実に可憐であったぞ』
「か、掛け声じゃないってば!」
真っ赤になって叫ぶけれど、魔物はなお迫る。
オークの一撃がフィオナに向かう。
僕は思わず前へ飛び出し、震える声を張り上げた。
「だ、誰にも……触らないでっ!!」
刀身が眩しく閃いた。
僕の声が森に響いた瞬間――。
聖剣エルセリオンの刀身が眩い光を放ち、空気が震えた。
次の瞬間、目に見えぬ壁のような光が仲間の前に広がる。
オークの棍棒がその障壁に叩きつけられ、轟音と共に弾き返された。
狼型の魔獣も牙を突き立てたが、火花のような光が散り、近づけない。
「な、なんだこれは……!?」
ドランが目を見開き、思わず後退る。
フィオナも呆然と立ち尽くし、僕の背に視線を向けていた。
「ナギ……今の、あなたが?」
「わ、わかんない! 僕、ただ……必死で……!」
顔が熱くなり、涙がにじむ。
細い指が剣の柄を震えるように握りしめ、声も裏返る。
『ふむ……実に麗しき悲鳴であったな。勇者姫の心、そのまま剣に響いたのだ』
エルセリオンが愉快そうに囁く。
「ひ、悲鳴じゃない! 僕は、ただ……守りたくて……!」
必死に叫ぶと、障壁がさらに強く光を増した。
その光に怯んだのか、魔物たちは一歩二歩と後退りする。
森の奥で不気味な唸り声を上げ、やがて闇へと引き下がっていった。
……残されたのは、焚き火のように明滅する剣の光と、荒い僕の呼吸だけだった。
「ナギ……」
フィオナの瞳が揺れ、驚きと安堵が入り混じった声が落ちる。
「すげぇ……! 今のは間違いなく勇者の力だ!」
ドランが豪快に笑い、僕の肩をばんと叩いた。
衝撃で体が揺れ、頬に張りついた黒髪がふわりと揺れる。
『姫よ、誇るがよい。可憐なるその声が、仲間を守ったのだ』
「か、可憐とか言わないでよぉ!」
思わず耳まで赤く染まり、裾をぎゅっと握りしめた。
魔物が去り、森に静けさが戻った。
僕は剣を抱きしめるように握ったまま、その場に膝をついた。胸は高鳴り続け、喉がひりつく。
「ナギ、大丈夫?」
フィオナがすぐそばにしゃがみ込み、濡れた前髪をそっと指で払ってくれる。その仕草に、心臓が跳ねた。
「う、うん……。僕なんかでも、守れた……かな」
かすれる声で言うと、彼女は柔らかく微笑んだ。
「“なんか”じゃないよ。あなたがいなければ、私たちは今ここにいない」
その言葉に、喉の奥が熱くなる。
裾をぎゅっと握る手が震え、どうしても視線を合わせられなかった。
「ははっ! まさかこんな細っこい体から、あんな光が出るとはな!」
ドランが笑いながら僕の背を叩く。あまりの力強さに前のめりになり、裾を押さえる仕草まで女の子みたいに見えてしまったのか――彼は照れたように頭をかいた。
「悪い、つい加減を忘れちまった」
僕は慌てて首を振る。
「い、いいの! でも……本当に僕でよかったのかな」
そのとき、エルセリオンが低く囁いた。
『姫よ。お前がそう思う限り、この剣は輝き続ける。己を卑下するな。世界はまだ、汝の心の深さを知らぬ』
その声に背筋が震えた。
勇者なんて、とても名乗れない。けれど……仲間を守れた。
その事実が、胸の奥に小さな灯をともしていた。
──同じ頃、王都。
玉座の間で報告を受けた勇者クライドは、机を拳で叩き割らんばかりに叫んだ。
「ありえん! あの女みたいな役立たずが聖剣を抜いただと!? 嘘だ、絶対にありえん!」
リディアは蒼白になりながら震える声を上げる。
「勇者様の隣に立つべきは、あなたなのに……!」
セリオスは唇を噛み、低く呟いた。
「理屈では説明できん……。女の心、か……。本当に、あやつが……」
ガルドは拳を握り、苦々しげに顔を背けた。
「すまねぇ、ナギ……。もしかして、本当にお前が……」
その声は、誰にも届かない。
ただ、遠く離れた森の中で、僕は仲間の傍らに立っていた。
細い肩にまだ雨粒が滴り、長い睫毛を震わせながら――世界に必要とされる存在になりかけていた。