市場の勇者姫さま
王都の市場は、朝から賑わいを見せていた。
露店には香ばしい肉串、甘い蜜菓子、色鮮やかな果物が並び、行き交う人々の声が石畳に響いている。
「おぉ、久々に文明の匂いだな!」
ドランが肉串を三本も掴み取り、店主に金貨を叩きつける。
「見ろナギ! これぞ王都の肉だ!」
「ちょ、ちょっと多すぎじゃ……」
僕は裾をぎゅっと握りながら後ずさる。
そのとき、子どもたちの声が響いた。
「勇者姫さまだ!」
「ほんとに聖剣持ってる!」
「ひっ……!」
青い瞳が見開かれ、頬がかぁっと熱くなる。
「ち、違うから! 僕は姫じゃなくて……!」
「お姫さまみたいに綺麗だ〜!」
「声も優しい!」
「う、うぅ……」
僕は真っ赤になり、裾を握る手を震わせた。
リィナが横でにやりと笑う。
「市場でも勇者姫。もう完全に定着ね」
「諦めなさいナギ、人気者だぞ!」
ドランが肉串を頬張りながら豪快に背を叩く。
「か、勘弁してよぉ……!」
裏返った声に、周囲の人々からどっと笑いが起きた。
その喧騒の中、フィオナが露店で花飾りを買い、僕の頭にそっと載せる。
「ふふ、似合うよ……勇者姫さま」
「や、やめてぇぇ!」
青い瞳がうるみ、僕は必死に裾を掴んだ。
市場はさらに笑いに包まれ、祝祭のような空気に変わっていった。
市場の喧騒を離れると、王都は広く静かな通りもあった。仲間たちは自然と別行動になり、それぞれの“日常”に溶け込んでいった。
◆
「ふむ、やはり人間の文献は穴だらけだな」
セレスは大図書館の書棚で、分厚い羊皮紙を広げていた。
「勇者伝説と魔王伝説、どちらも記録が意図的に歪められている……。誰かが裏で書き換えたのだろう」
彼の瞳がわずかに光り、皮肉な笑みを浮かべる。
◆
「おらぁ、もっと腰を落とせ!」
ドランは訓練場で、子どもたちに木剣を振らせていた。
「ナギの剣は軽やかだが、芯がある! 真似してみろ!」
子どもたちは笑顔で剣を振り、ドランは豪快に笑った。
「ははは! お前らの未来は明るいぞ!」
◆
「ちょっと待ちなさいよ、袋持つのはあんたの役目でしょ!」
リィナは両手いっぱいに戦利品を抱え、赤くなった顔で僕を睨んだ。
「ご、ごめん! つい……!」
慌てて袋を受け取ると、彼女は小さく舌打ちして視線を逸らす。
「まったく……勇者姫が荷物持ちとはね」
けれど、その横顔は少しだけ柔らかかった。
◆
「ナギさん、これ食べてみて」
フィオナは小さなパン屋の前で、焼き立てのハーブパンを差し出してくれた。
「ん……美味しい」
「えへへ、ナギさんが喜んでくれると嬉しいな」
僕は顔が熱くなり、つい裾をぎゅっと握りしめた。
◆
そうしてそれぞれの時間を過ごした後、夕暮れが王都を金色に染めていく。
聖剣を腰に下げた僕は、ふと胸の奥にざわめきを覚えた。
——誰かが、この日常の裏で動いている。
そんな気配を、聖剣が静かに震えて教えていた。
夕暮れの王都。市場の喧騒も静まり、石畳に長い影が伸びていく。
僕たちが宿へ戻る途中、腰の聖剣がわずかに震えた。
「……ブレードさん?」
心の中で呼びかけると、剣から低い声が響く。
『気を抜くな。今夜、この街に“外の手”が入り込む』
「外の手……?」
思わず立ち止まった僕に、リィナが眉をひそめる。
「どうしたの、勇者姫?」
「な、なんでもないよ……!」
慌てて笑ってみせるが、剣の震えは止まらなかった。
そのころ、大図書館の屋根の上。
黒いローブを纏った影が、王都を見下ろしていた。
「……やはり、聖剣は抜かれたか」
その声は冷たく、風に溶ける。
「ならば、我らの計画も早めねばなるまい」
影は軽やかに飛び降り、闇に紛れて消えた。
宿の灯りが近づくころ、フィオナが心配そうに囁く。
「ナギさん……顔が青いよ? 大丈夫?」
「う、うん……ちょっと疲れただけ……」
僕は裾をぎゅっと握りしめた。
だが心臓の鼓動は速く、青い瞳には不安が映っていた。
日常に溶けたはずの王都に、確かに忍び寄る影がある。
——それは魔王軍とも違う、別の何者かの足跡だった。
その夜。宿の一室で、僕は眠れずにいた。
窓の外では王都の灯が揺れ、遠くから祭囃子のような賑わいが微かに届く。
「……外の手、って……」
呟いた瞬間、窓辺の影が揺れた。
カサリ、と乾いた音。
反射的に裾をぎゅっと握りしめる。
「だ、誰……!?」
そこに立っていたのは、一人の黒衣の影。
その顔は布で覆われており、瞳だけが鋭く光っていた。
「勇者姫。聖剣に選ばれし者よ」
低く響く声に、僕の心臓が跳ねる。
「な、なんで……僕のこと……!」
「警告だ。この王都には“お前たち以外”の勢力が蠢いている。魔王軍でも、王国でもない——第三の手だ」
「……っ!」
青い瞳が見開かれる。聖剣が腰で淡く光を放った。
影はそれ以上名乗らず、窓から闇へと消えていった。
残されたのは、ただ冷たい夜風と胸に残るざわめきだけ。
「第三の……勢力……」
僕は肩を震わせ、裾をぎゅっと握りしめた。
こうして王都の日常の裏に潜む“新たな影”が、確かに姿を現し始めていた。




