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街での休養とドレス騒動

 魔王との大混乱から数日後。

僕たちは砂漠を抜けた街に腰を落ち着け、しばしの休養を取っていた。


「やっと……普通のベッドで寝られる……」

 僕は宿のシーツに顔をうずめ、心からの安堵を漏らした。


「お嬢ちゃん、顔がとろけてるぞ!」

 ドランが豪快に笑いながら、背中をバンバン叩いてくる。

「お、お嬢ちゃんじゃないってばぁ!」

 僕は情けない声を上げながら、裾をぎゅっと握ってしまう。


 そこへリィナが呆れ顔で手を振った。

「ほら、あんた。せっかく街に来たんだから、装備の点検も兼ねて買い出しに行くわよ」


「そうですね」フィオナがにっこり微笑む。

「せっかくだから……ナギ君に似合う服も探しましょうか」


「え、服!? ぼ、僕は今ので十分だよ!」

 僕が慌てて手を振ると、セレスが冷ややかに口を挟んだ。

「鎧や布は消耗品だ。おまけに君はすぐに裾を握る。なら、替えが必要だろう」


「そ、そんな理由で!?」

 僕の抗議など誰も聞き入れず、あっという間に仲間たちは市場へ向かって歩き出した。


 市場の一角、豪華な仕立屋の前でリィナがドレスを掲げる。

「ほら、これ! 勇者様らしくていいじゃない!」


「えぇぇぇ!? こ、こんなの着られるわけ――」

 細い肩に押し付けられる絹の感触。長い睫毛が震える自分の姿が鏡に映って……

「ち、違うっ! 女の子じゃないからぁぁ!」


「……勇者姫、よく似合っておる」

 聖剣の声が無慈悲に響いた。


「ちょっ……み、見ないでぇぇ!」

 僕は裾をぎゅっと握りしめ、鏡の前で必死に身を縮めていた。

 肩まで落ちる黒髪に、絹のドレス。華奢な首筋がさらされ、宝石のように青い瞳が強調される。


「お、おおぉぉ……!」

 ドランが感極まったように両手を広げる。

「立派なお姫様だな! いや、勇者姫か!」


「勇者姫!」

「勇者姫!」

 店の使用人たちまで便乗して拍手し始める。


「ち、違うからっ! 僕は男だってばぁ!」

 声が裏返ってしまい、顔は茹で蛸みたいに真っ赤。


 リィナはにやにやしながら顎に手を当てた。

「ふふん。これで敵に“お嬢ちゃん”って呼ばれても否定できないわね」


「ち、ちが……っ!」

 涙目になった僕の肩に、フィオナが優しく布をかける。

「でも……すごく似合ってますよ、ナギ君。勇気をもらえるくらいに」


「そ、そんなこと言われても……っ」

 胸がどくどくと高鳴り、視線を逸らすしかできなかった。


「……無駄に映えるな」

 セレスが淡々と呟いた。

「だがその羞恥と覚悟が、“女の心”の証かもしれない」


「証じゃなくて罰ゲームだからぁぁ!」

 僕の悲鳴は、店中の笑い声に飲み込まれていった。


 笑い声と拍手で賑わう仕立屋を後にし、僕たちは市場を歩いていた。

夕陽が差し込み、石畳に長い影を落とす。

さっきまでの赤面とからかいが嘘のように、胸の奥には妙なざわめきが残っていた。


『……ナギ』

 聖剣が低く囁く。

『街の空気に混ざっている。あの瘴気に似ているが……質が違う』


 僕はハッと息を呑み、周囲を見渡す。

行き交う人々は笑顔で買い物を続けている。

けれど――路地の奥。

黒い影がひとつ、陽炎のように揺れて消えた。


「……見たか?」セレスがすぐに目を細める。

「感じた」僕は小さく頷いた。


「おいおい、またか?」

 ドランが肩をいからせ、剣の柄に手をかける。

「休養どころじゃねぇな」


「気のせいかもしれませんよ……」フィオナが不安そうに口を押さえる。

「でも、もし本当に……」


 リィナは口を引き結び、鋭く路地を睨んだ。

「魔王の仕業じゃないなら……誰だっていうのよ」


 答えのない沈黙。

街の喧騒の裏で、確かに“何か”がこちらを窺っていた。


「ね、ねぇ……もう今日は宿に戻ろうよ」

 僕は小声で裾をぎゅっと握りしめた。

「ドレスのことも……その、忘れて……」


「忘れられるかぁ!」

 リィナが即ツッコミ。

「勇者様の麗しき姫姿は、私の網膜にしっかり焼き付いたわ」


「ふ、ふざけんなぁぁ!」

 僕の情けない叫びに、ドランが豪快に笑い、フィオナが困ったように微笑む。

「でも……本当に可愛かったですよ、ナギ君」


「かわ……っ!?」

 僕は耳まで真っ赤になり、思わず目を逸らした。


「……ふん。羞恥に耐えて仲間を守る、その姿勢だけは勇者らしいな」

 セレスの皮肉混じりの言葉に、僕はさらに縮こまるしかなかった。


 そうして笑い混じりに宿へと戻る一行。

 だが――その背を追うように、街の屋根の上で“影”が蠢いた。


 人とも魔物ともつかぬシルエット。

 夕陽に焼かれ、ゆらりと形を変えながら、低く囁く。


「……選ばれし勇者姫。観測開始」


 次の瞬間、影は闇に溶けるように消えた。

僕たちはまだ気づかない。

笑い合うその足元で、確かに“何か”が動き出していたことを――。


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