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豪快なる兄貴分、ドラン

 雨上がりの山道は、ぬかるんで滑りやすかった。

 僕とフィオナは息を整えながら歩き、胸に抱えた聖剣エルセリオンが時折、淡く光を漏らしていた。


『勇者姫よ、歩き方が実にたおやかだな。舞うようで可憐である』

「た、たおやかって……! 僕は男だよ!」

 思わず声を張り上げると、フィオナが横でくすりと笑った。

「でも可愛いから、間違えられても仕方ないんじゃない?」

「か、可愛くなんか……っ」

 裾をぎゅっと握りしめ、俯いて頬を赤らめる。


 そのとき。

 森の奥から、低いうなり声が響いた。

 次の瞬間、巨体のオークが数体、ぬかるんだ道を踏みしめて姿を現す。


「うそ……!?」

 フィオナが小さく息を呑む。僕の手も冷たく強張り、聖剣を握る指がかすかに震えた。

 胸の奥がきゅっと縮み、逃げたいのに足が動かない。


『勇者姫よ、剣を振れ』

「む、無理だよ……僕なんかに……!」


 オークの棍棒が振り下ろされる。

 反射的に僕は、声を張り上げて剣を振った。


「や、やめてよっ……!」


 その瞬間――。

 エルセリオンの刀身が強い光を放ち、オークの動きが一瞬鈍る。まるで見えない壁に阻まれたかのように。


「な、何これ……?」

 フィオナが目を見開く。僕自身も、手の中の剣を呆然と見つめるしかなかった。


『ふむ……可憐な掛け声であったな。勇者姫よ』

「か、掛け声じゃない! 今のはただ必死で……!」

 顔が真っ赤になり、思わず裏返った声を上げる。


 けれどオークたちは再び吠え、こちらへ迫ってくる。

 僕の心臓は早鐘のように鳴り、足はまだ震えたままだった。


「ナギ!」

 フィオナが僕の腕を掴む。

 でも、足はすくんで動けなかった。喉の奥がきゅっと締まって、声を出そうとしてもか細い息しか漏れない。


 オークが棍棒を振り上げ――。


 その瞬間。


「おりゃあああああッ!!」


 雷鳴のような叫びとともに、巨大な斧が横から飛び込んだ。

 ずしん! と地面を揺らす衝撃音。オークの巨体が一撃で吹き飛び、泥にめり込む。


「……へ?」

 僕は目を瞬かせた。


 現れたのは、大きな背と分厚い腕を持つ男。

 乱れた黒髪に豪快な笑みを浮かべ、斧を肩に担いでいる。


「ははっ! 間一髪だったな、お嬢ちゃん!」


「お、お嬢……っ! ち、違う! 僕は男だよ!」

 裏返った声に、顔が一気に熱を帯びる。裾を握る手が震えて、余計に女の子っぽい仕草になってしまう。


 男は一瞬ぽかんとしたあと、腹の底から大笑いした。

「がははっ! 悪い悪い! だって、どう見ても可憐な娘にしか見えねぇんだもんよ!」


「か、可憐……っ!」

 頬まで真っ赤になり、思わず俯いた。


 フィオナがくすくす笑いながら説明する。

「この子はナギ。聖剣に選ばれた、本物の勇者なの」


「ほお? そいつは驚いた!」

 男は豪快に頷き、斧を地面に突き立てた。

「俺はドラン。力しか取り柄のねぇ、ただの戦士だ。だが縁だ、しばらく一緒に行こうぜ!」


『ふむ、なかなか豪胆な男であるな。勇者姫よ、どうだ?』

「ど、どうだって……!」

 僕は真っ赤になったまま剣を抱きしめ、言葉を失った。


 その夜。

 僕たちは山道脇の小さな洞窟に身を寄せ、焚き火を囲んでいた。

 火の赤が壁に揺れ、湿った外套を乾かしながら、ドランが豪快に肉を焼いている。


「おう、できたぞ! ほら食え!」

 分厚い肉を枝に突き刺し、僕とフィオナの前に差し出してくる。

 香ばしい匂いが広がり、思わずお腹が鳴った。


「わぁ……美味しそう!」

 フィオナは嬉しそうに受け取り、ぱくりと齧る。

「んっ……すごい、ジューシー……!」


 僕も恐る恐るかじった。

 口いっぱいに肉汁が広がり、冷え切っていた体に温かさが染み込んでいく。


「どうだ? 肉は力の源だ! 勇者ならガツガツ食え!」

 ドランは豪快に笑い、かぶりついた肉の骨をぽいと投げた。


 僕は少し視線を落とす。

 ドランの腕は丸太のように太く、笑う声も大地を揺らすみたいに力強い。

 それに比べて、僕は――。


 細い指先、華奢な肩、裾をぎゅっと握りしめる仕草。

 どこから見ても女の子にしか見えない。


「……僕なんか、やっぱり……」

 ぽつりと零れた言葉は、火の音にかき消されそうに小さかった。


 フィオナがすぐに気づいて、僕の隣に座り直した。

「そんなことないよ、ナギ。あなたが勇者なんだから」


 ドランも大きな手で僕の肩をばんっと叩いた。

「そうだ! 勇者ってのはな、力じゃなく心で決まるもんだ。お前が選ばれたんなら、それで十分だ!」


「心で……」

 胸の奥がじんわりと熱を帯びる。


 そのとき、腕に抱えていた聖剣エルセリオンがかすかに光った。


『姫よ、肉をもっと食え。痩せてしまっては嫁に行けぬぞ』


「な、なななっ……! 誰が嫁に行くのさ!」

 僕は顔を真っ赤にし、裏返った声を上げた。

 フィオナとドランが目を丸くしたあと、堪えきれず笑い出す。


「ふふ……ナギって本当に可愛い」

「がはは! 勇者姫って呼ばれるのも案外似合ってんじゃねぇか!」


「やめてよぉ……!」

 僕は裾をぎゅっと握り、肩まで赤く染めながら俯いた。

 でも――胸の奥は、不思議と少し温かかった。


 夜が明け、僕たちは山道を下りて小さな村へ向かっていた。

 朝露に濡れた草が足元で揺れ、鳥の声が遠くで響く。


「ははっ! いい天気だな! 今日は肉でも探して焼くか!」

 ドランは朝から豪快で、斧を肩に担いで笑っている。

 フィオナも隣でくすりと笑い、そんな二人を見ていると胸が少し軽くなった。


 僕は胸に抱えた聖剣エルセリオンを見下ろした。

 刀身は静かに光を反射しているだけなのに、昨日のあの瞬間――オークが怯んだ光景が頭から離れない。


「……あれは、なんだったんだろう」

 小さく呟くと、剣から声が返る。


『姫よ、深く考えるな。可憐な叫び声が剣を震わせた、それだけのことよ』


「か、可憐って……! もうやめてよぉ……!」

 思わず耳まで赤くなり、フィオナが横で笑いを噛み殺している。


 ――だがその頃、王都では。


「探し出せ!」

 勇者クライドの怒声が広間に響き渡っていた。

「聖剣は俺のものだ! あの気持ち悪い小僧に渡してなるものか!」


 リディアは顔を強張らせながらも頷き、セリオスは眼鏡の奥で冷たい光を宿す。

「“女の心”……くだらん。だが真実なら、あの子は確かに資格を持つ。ならば……排除するしかない」


 ガルドは苦しげに眉を寄せ、拳を握りしめたまま黙り込んでいた。


 王都を覆う暗雲は、やがて山を越え、僕たちの旅路に迫ってくる。


 胸の奥で、言い知れぬざわめきが渦巻いた。

 僕は思わず聖剣を抱きしめ、俯きながら呟いた。


「……僕、本当に勇者なんて、務まるのかな」


『務まるとも。姫よ、お前の心がある限り』


 ――その声は優しくも意味深で、僕の鼓動を強く揺さぶった。


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