幻砂迷宮 ― 第二層の主
轟音と共に、迷宮の奥が崩れ落ちた。
砂の壁が割れ、黒紫の瘴気が吹き荒れる。
僕は裾をぎゅっと握り、青い瞳を細めた。
「な、なんだ……これ……!」
ひび割れた大地から、巨大な爪が突き出た。
岩を砕くほど鋭く、金属のように黒光りしている。
続いて姿を現したのは、獅子にも似た巨体――だが翼は腐り、目は瘴気で濁っていた。
「……スフィンクス……?」
セレスが低く呟く。
「いや、違う……。本来は砂漠を守る守護神。その残骸だ。瘴気に蝕まれて、怪物に堕ち果てた」
巨獣の咆哮が迷宮を震わせた。
熱風と砂が吹き荒れ、細い肩が揺さぶられる。
「……ぐっ!」
僕は思わずよろめき、裾を握る手に力を込める。
「勇者を……試す……」
低く濁った声が、瘴気の中から響いてきた。
それは言葉というより、魂をすり潰すような響きだった。
「知恵なき者は砂に還れ。勇気なき者は血を流せ」
フィオナが青ざめた顔で呟く。
「……試練……。この迷宮自体が、“勇者の心と力”を量るために造られてるんだ……」
リィナが剣を構え、鋭く叫ぶ。
「そんなの関係ないわ! ナギを脅す存在なら、全部斬り伏せるだけ!」
「おうよ!」
ドランも大剣を肩に担ぎ、笑った。
「こいつぁ骨が折れそうだが、やりがいがある!」
けれど――巨獣の濁った瞳は、まっすぐ僕を射抜いていた。
「勇者姫よ……」
「ち、ちがっ……勇者“姫”じゃなくて、僕は……!」
思わず裏返った声を上げた瞬間、巨獣が翼を広げ、瘴気を撒き散らした。
――砂漠の守護神は、勇者を喰らうために牙を剥いたのだ。
瘴気を纏ったスフィンクスが、低く唸った。
その声は、迷宮全体を震わせるように響き渡った。
「問おう……勇者姫よ」
「ひ、姫じゃないからっ!」
思わず裏返った声を上げる僕に、仲間たちが苦笑する。だが巨獣はお構いなしに続けた。
「三つの問いに答えよ。答えられぬなら――砂に還れ」
セレスが目を細め、低く呟いた。
「……やはり来たか。“知恵比べの儀”。スフィンクスは問いで魂を量る。正しく答えねば、容赦なく喰われる」
「なにぃ!? じゃあ間違えたら即アウトってことか!」
ドランが剣を握り直す。
フィオナは不安げに僕を見た。
「ナギ君……大丈夫?」
「ぼ、僕なんかに……そんな……!」
裾をぎゅっと握りしめ、青い瞳を揺らす。
巨獣の口が開き、低く響く。
「第一の問い――
“勇者にとって、最も必要なものは何か”」
空気が張り詰める。
仲間たちが息を呑み、視線を僕に向けた。
「えっ、えぇぇ!? そ、そんなの……!」
頬が熱くなり、声が裏返る。
「……力か? 勇者なら力だろ!」
ドランが答えようとするが、セレスがすぐに制止した。
「軽々しく答えるな。これはナギ自身の心を試す問いだ」
僕の胸がぎゅっと締め付けられる。
(……勇者に必要なもの……僕なんかが答えられるの……?)
青い瞳が揺れ、細い肩が震えた。
その時、ブレードさんの声が鋼のように響いた。
『ナギ、偽るな。お前が信じているものを、そのまま答えろ。勇者は己の心を示す者じゃ!』
胸が熱くなる。
僕は唇を噛み、小さく震える声を絞り出した。
「……ぼ、僕にとって一番必要なのは……仲間、です」
「強さも勇気も、ひとりじゃ持てない……。でも、みんながいるから僕は立てるんです……!」
その言葉に――スフィンクスの濁った瞳が、一瞬だけ揺らいだ。
瘴気の壁が震え、低い声が響く。
「……一つ、正解」
安堵の吐息が漏れた瞬間――巨獣の爪が砂を抉った。
「うわっ!」
僕たちはとっさに飛び退いた。
「おい! 正解したのになんで攻撃してくんだよ!」
ドランが叫ぶ。
「……瘴気に蝕まれている。理を保てないのだろう」
セレスが低く言う。
「正答を重ねても、結局は戦いを避けられない……!」
リィナが剣を抜き、鋭く前に躍り出る。
「上等じゃない! ナギを守りながら答えればいいのよ!」
巨獣が翼を広げ、次なる問いを放とうと口を開いた――。
瘴気を纏ったスフィンクスが、再び低く唸った。
翼を広げると、黒い砂が竜巻のように巻き上がる。
「第二の問い……“勇気とは、何だ”」
声が迷宮に響いた瞬間、巨獣の尾が鞭のように振り下ろされた。
砂煙が爆ぜ、石の床が砕ける。
「くっ!」
リィナが刃を閃かせ、衝撃を受け流す。
「ナギ、答えなさい! 私たちが抑えるから!」
「わ、わかんないよ……!」
僕は裾をぎゅっと握り、青い瞳を揺らした。
勇気なんて、僕には――。
『ナギ!』
ブレードさんの声が鋭く胸を打つ。
『勇気は“恐れを抱いたまま進む力”じゃ! お前はもう示してきた!』
仲間の顔が浮かぶ。
ドランの大声、リィナの鋭さ、フィオナの祈り、セレスの冷静な眼差し。
みんなの声が、震える僕を支えてくれる。
「……勇気は……怖くても、一歩を進めることです!」
「僕なんか弱いし、震えてばっかりだけど……それでも進む気持ちを、勇気って呼びたいんです!」
スフィンクスの濁った瞳が揺れ、低く唸った。
「二つ、正解……」
その直後、巨獣が大口を開き、瘴気の咆哮を吐き出した。
黒い衝撃波が一気に広間を薙ぎ払う。
「ナギ君、下がって!」
フィオナが両手を広げ、祈りの光で結界を張る。
淡い光が瘴気を押し返し、僕の細い肩を包んだ。
「……ナギ君なら、答えられる。信じてるから!」
その声に背中を押され、僕は息を呑む。
巨獣の影が迫る中、最後の問いが響いた。
「第三の問い……“勇者とは、何者か”」
ドランが剣を振り払いながら叫ぶ。
「ナギ! お前しか答えられねぇ!」
リィナも歯を食いしばり、声を張り上げる。
「アンタが勇者なんでしょ! 迷うな!」
セレスの冷静な声が、鋭く突き刺さる。
「定義を問われているのではない。お前自身がどう在りたいかを示すのだ」
僕は唇を噛み、裾をぎゅっと握った。
胸が熱くなり、青い瞳が揺れる。
(……勇者って……僕なんかにふさわしくない言葉だと思ってた。でも……!)
「……勇者は、強い人じゃない!」
「勇者は、震えてても仲間を守りたいって願う人!」
「僕は勇者にふさわしくないかもしれない……でも、みんなのために戦う僕を、“勇者”だって呼んでほしい!」
その瞬間、聖剣エルセリオンが蒼光を放った。
迷宮全体が震え、瘴気が後退していく。
「三つ、正解……!」
スフィンクスが絶叫し、濁った瞳に一瞬だけ澄んだ光が戻った。
だが同時に、瘴気が暴走する。
巨体が崩れ、闇の奔流が広間を覆い尽くした。
「まだ……終わってない!」
僕は細い腕で聖剣を掲げ、仲間たちと共に突き進んだ――。
闇の奔流が押し寄せる。
瘴気が牙のように広間を裂き、仲間たちを呑み込もうとしていた。
「うわああっ!」
僕は裾をぎゅっと握り、震える腕で聖剣を掲げる。
『恐れるな、ナギ! 今こそ答えを剣に刻め!』
ブレードさんの声が胸を貫く。
「……みんなを、守りたい!」
細い肩が震えながらも、青い瞳がまっすぐ前を見据える。
蒼光が刀身から溢れ、闇と正面からぶつかり合った。
轟音が広間を揺らし、砂壁が砕け散る。
「ナギ君、がんばって……!」
フィオナの祈りの光が重なり、僕の身体を包む。
「さぁ行けぇぇぇっ!」
ドランが大剣で瘴気の渦を切り裂く。
「後ろは私が守る! 進め、勇者!」
リィナが背を預け、鋭い刃で襲いかかる影を弾いた。
セレスは杖を掲げ、冷静に呪を紡ぐ。
「勇者の答えを、この地に刻め……!」
仲間の声が重なり、胸が熱くなる。
「僕は――勇者じゃないかもしれない! でも、勇気を選んで進む僕は……絶対に負けない!」
叫びと共に、聖剣が爆ぜるような閃光を放った。
蒼白い刃が瘴気を切り裂き、スフィンクスの胸を貫く。
「……あ……」
巨獣の濁った瞳から、最後に澄んだ光が零れた。
『……勇者よ……よくぞ答えた……』
低い声が、安らぎに満ちて響いた。
次の瞬間、スフィンクスの巨体は砂となり、風に溶けて消えていった。
静寂。
迷宮を覆っていた瘴気も、まるで嘘のように消え失せていた。
「……終わったのか」
ドランが荒い息を吐き、大剣を下ろす。
「ええ、終わったわ」
リィナが剣を収め、額の汗を拭う。
「ナギ君……すごかったよ」
フィオナが微笑み、癒しの光で僕の震える腕を包んだ。
「……勇者とは“己を示す者”か。悪くない答えだな」
セレスが静かに頷いた。
僕は聖剣を見つめ、裾をぎゅっと握った。
「……僕は勇者じゃないって、まだ思ってる。でも……勇気を選んで進む僕を、仲間が見てくれるなら……」
『それで十分じゃ、ナギ』
ブレードさんの声が、やわらかく響いた。
僕は小さく笑い、青い瞳を上げた。
砂漠の星空から差し込む光が、迷宮を淡く照らしていた。




