砂に眠る勇者姫伝説
王都を発って数日後。
馬車の窓から覗く景色は、果てしなく続く砂の大地に変わっていた。
熱風が頬を焼き、乾いた砂粒が頬に当たるたび、僕は思わず裾をぎゅっと握った。
「……あ、暑い……」
細い肩が汗でじっとり濡れ、黒髪が頬に貼りつく。青い瞳も眩しさに細められた。
思い返すのは出立の日。
王は玉座の間で、僕たち一行にこう命じたのだ。
「勇者ナギよ。北の雪国を救った功績、まことに大きい。だが今度は南の砂漠が危ういと報告が届いておる」
「古き神殿の封印が揺らぎ、瘴気が街を脅かしているという。勇者よ、どうか砂漠の民を救ってほしい」
臣下たちの前でそう告げられ、僕は緊張で裾を握りしめながらも、小さく頷いたのだった。
「ははっ! 灼熱の大地だな! 燃える筋肉にはこれぐらいがちょうどいい!」
今、馬車の上でドランは上半身裸になり、すでに暑さを筋肉アピールに変えていた。
「やめなさいよ! 余計に暑苦しいでしょ!」
リィナが額に汗を浮かべつつも、鋭くツッコミを入れる。
フィオナは掌に小さな光を浮かべ、涼しい風を起こしてくれた。
「これで少しは楽になるかな? ナギ君、大丈夫?」
「……う、うん……ありがとう」
僕は顔を赤らめながら答える。けれどその直後、御者台の兵士が声を張り上げた。
「見えてきましたぞ! 砂漠の都〈サリム〉!」
砂丘の向こうに、白い石造りの街が姿を現した。
巨大な城壁には太陽の紋章が刻まれ、砂塵に霞むその姿は蜃気楼のように揺らめいている。
街の門前には、豪奢な衣を纏った兵士たちが待っていた。
その先頭に立つ女性は、淡い金の髪をベールで覆い、琥珀色の瞳をこちらへと向けている。
「聖剣の勇者……ようこそ、我らが砂漠の都へ」
彼女は一歩前に進み、静かに礼をした。
その名は――砂漠の王女ライラ。
彼女の第一声は、涼やかに、けれど衝撃的なものだった。
「伝承に記されております。“聖剣の勇者姫”と……ようやくお会いできました」
「……えっ」
僕は目を瞬かせ、裾をぎゅっと握りしめた。
「ち、ちがっ……僕、姫じゃなくて男だからっ!」
広場が一瞬ざわめき、仲間たちはそれぞれ違う反応を見せる。
ドランは腹を抱えて笑い、リィナは額を押さえて溜息をつき、フィオナは困ったように微笑んだ。
そして、ブレードさんの声が刀身から響く。
『ふむ……“勇者姫”伝承、悪くないのう。正装はドレスにしてみるか?』
「やめてぇぇぇっ!」
僕の悲鳴が、灼熱の空に響き渡った。
砂漠の都〈サリム〉に足を踏み入れた僕たちは、すぐに宮殿へと案内された。
石造りの壁は白く輝き、天井から吊るされた水晶が陽光を反射して、涼やかな光を広げている。
謁見の間。
玉座に座る王は、深い皺を刻んだ顔を上げ、僕らを迎えた。
「遠き王国の勇者よ。よくぞ砂漠まで足を運んでくだされた」
その隣に控えるのは、先ほどのライラ王女。琥珀色の瞳をこちらに向け、真剣な面持ちで告げる。
「勇者ナギ殿。……実は我が国の砂漠神殿にて、封印の揺らぎが観測されております」
「封印……?」
僕は思わず声を漏らす。
ライラは静かに頷き、続けた。
「神殿には古より“瘴気を閉じ込める鏡”が祀られております。けれど、近頃は瘴気が溢れ出し、街に病が広がり始めているのです」
彼女の声が震えていた。
王も険しい顔で続ける。
「このままでは国が滅ぶやもしれぬ。ゆえに聖剣を携えし勇者に、神殿の瘴気を鎮めていただきたい」
――王命。
重々しい響きに、僕は裾を握る手を強くした。
「ぼ、僕で……本当に務まるんでしょうか……」
その時、リィナが腕を組んで一歩前に出る。
「勇者はナギよ。瘴気程度、私たちで片付ければいいの。ね?」
ドランも胸を張って笑う。
「おうとも! 砂漠だろうが嵐だろうが、俺の筋肉に任せろ!」
フィオナは祈るように胸の前で両手を組み、やわらかく笑った。
「ナギ君。あなたがいるから、私たちはきっと大丈夫」
……みんなの言葉が、胸に染みていく。
弱さに押し潰されそうな僕を、いつだって仲間が支えてくれる。
「……わかりました。神殿に向かいます」
そう答えると、ライラ王女は深く頭を下げた。
「ありがとうございます……勇者姫――いえ、勇者ナギ殿」
「だから姫じゃないってば!」
僕の慌てた声に、謁見の間にくすくすと笑いが広がった。
けれどその笑いの裏で、僕は感じていた。
瘴気の源――ただの偶然ではない。
聖剣が選んだ僕を、再び試す何かが待ち構えている。
翌朝、僕たちは王宮を後にして、砂漠神殿を目指した。
果てしなく続く金色の砂丘が、容赦なく陽光を跳ね返す。
熱風が肌を刺し、汗が背中を伝った。
「うぅ……あっつい……!」
僕は裾を握り、息を荒くしながら砂に足を取られつつ進む。
「おい勇者、顔が真っ赤だぞ!」
ドランがひょいと大きな水袋を差し出す。
「ほら飲め。砂漠じゃ油断したら命取りだ」
「ありがとう……」
僕は震える手で受け取り、口をつけた。ひんやりとした水が喉を潤す。
一方リィナは腕を組み、涼しい顔で前を歩いていた。
「情けないわね。砂漠の一つも耐えられなくて、勇者が務まると思ってるの?」
「うぅ……ごめんなさい……」
僕がしゅんと肩をすくめると、フィオナが慌てて割って入る。
「リィナさん! そんな言い方しなくても……ナギ君、ちゃんと頑張ってますよ」
「ふん……」
リィナは顔をそむけつつも、歩調を落として僕の隣に並んだ。
――その仕草が、少しだけ優しさに見えてしまう。
やがて夕暮れ。
僕たちは小さなオアシスに辿り着いた。透き通る水面が星空を映し、涼やかな風が吹き抜ける。
「ここで一晩休もう」
セレスが静かに告げ、火を灯す。
炎が揺れ、砂漠の夜を照らした。
「うぅー、涼しいぃ……」
僕は水辺にしゃがみこみ、頬に冷たい水を当てる。
その瞬間、水面に――何か黒い影が揺らめいた気がした。
「……っ!」
思わず後ずさる僕。
『……近いぞ、ナギ』
腰に帯びた聖剣が低く告げる。
『この砂の下、眠りから目覚めようとしているものがある』
「な、何が……?」
青い瞳が揺れる。
ドランが剣を抜き、仲間たちが身構える。
砂の下から、わずかに瘴気が立ちのぼった。
――砂漠神殿に近づくほど、瘴気は強まる。
これからが本当の試練だと、僕は思い知らされた。
砂漠神殿の大扉を押し開けた瞬間――
熱気ではなく、異様な冷気が流れ込んできた。
中は広大な回廊。だが床も壁も砂で埋もれ、ひび割れた石像が無数に並んでいる。
それは兵士の姿を模した像――いや、像ではなかった。
「……これ、全部……人間?」
僕は青ざめて呟いた。
砂を纏った兵士たちが、ぎぃ……と首を動かし、炎のような眼を灯したのだ。
「生き埋めにされた古代兵士……砂に喰われて“砂像兵”となったんだ」
セレスが冷ややかに告げる。
兵たちが一斉に剣を掲げる。
「勇者は……我らを見捨てた」
「救いを与えぬ者に……聖剣を持つ資格はない」
その声に、僕の胸は締め付けられた。
青い瞳が揺れ、思わず裾を握る。
「ぼ、僕は……そんな……!」
『ナギ、惑わされるな!』
聖剣ブレードさんの声が鋭く響いた。
『奴らは幻影に過ぎん。だが、お前の心の隙を突いてくるぞ!』
その瞬間、砂像兵の剣が一斉に振り下ろされた。




