亡者騎士団
瘴気狼の群れを突破した僕たちは、さらに峡谷の奥へと足を踏み入れた。
雪に覆われた道は次第に岩肌がむき出しとなり、やがて大きな洞窟の口が口を開ける。
黒ずんだ岩壁には古びた旗が裂けたまま突き刺さっており、風が吹くたびに擦れ合っては不気味な音を立てていた。
「……ここは」
リィナが険しい目を向ける。
「兵士の陣地の跡……でも、人間のものにしては古すぎる」
ドランは松明を掲げながら眉をひそめた。
「まるで墓場だな。骨の一本でも転がってそうだ」
「不思議ね……」
フィオナが小さく呟く。
「誰かの祈りが、ずっとここに残ってる気がするの。とても、悲しい祈りが」
僕は無意識に裾をぎゅっと握った。
洞窟の入口から流れ出る冷気は、ただの寒さじゃなかった。
――背筋に、怨嗟の声が触れるような感覚。
セレスが指先を掲げ、淡い光を放つ。
「……瘴気が濃い。しかも“人の残滓”と結びついている。おそらく中には、死してなお縛られた者たちが眠っているのでしょう」
ごくりと唾を飲み込む僕。
その瞬間、聖剣が淡く震えた。
『ナギ、怯えるな。だが、油断もするな。ここは“勇者の影”が刻まれた場所だ』
勇者の……影?
僕の青い瞳が大きく揺れる。
震える指で裾を握りしめながら、一歩――暗闇の中へと踏み出した。
洞窟の奥へ進むほどに、空気は重く淀んでいった。
松明の炎は小さく縮こまり、足音さえも岩壁に吸い込まれていくようだ。
やがて――。
「……来るぞ」
リィナが剣を抜いた瞬間。
青白い光が、暗闇の奥から浮かび上がった。
甲冑をまとった影が十、二十……いや、それ以上。
錆びた鎧に朽ちた剣。だがその瞳だけは鮮烈に光り、僕たちを射抜く。
「勇者……」
「勇者……裏切りの勇者よ……」
声が、重く洞窟に響き渡る。
どの騎士の口から発せられているのか判別できない。
けれど確かに僕を指していた。
「え……ぼ、僕が……裏切り……?」
細い肩が震え、視線を逸らす。裾をぎゅっと握りしめる手に力がこもる。
亡者騎士の一人が前に進み出て、剣を突き立てた。
「かつて我らは勇者に仕えた。しかし勇者は我らを見捨てた! 民を見捨てた! お前も同じ血脈、同じ罪を背負う者だ!」
耳の奥に、鋭く突き刺さる言葉。
胸がざわめき、呼吸が乱れそうになる。
――氷狼のときの恐怖が蘇る。僕はまた、何もできず震えるだけなのか。
そのとき、仲間の声が闇を裂いた。
「ふざけるな!」
リィナが剣を振り抜き、霊の剣撃を受け止める。
「ナギはお前たちの言う“裏切り者”じゃない! 私の知ってる勇者は、決して仲間を見捨てたりしない!」
「ナギ君、大丈夫!」
フィオナが祈りを紡ぎ、光が僕の背を包む。
「あなたの歩みは間違ってない。胸を張って」
ドランも叫ぶ。
「お前ら幽霊に何が分かる! ナギはちゃんと俺たちと前に進んでる! 仲間を見捨てるような奴じゃねぇ!」
仲間の声に、胸の奥で小さな火が灯る。
それでも亡者の群れは一斉に叫びを上げ、剣を掲げて襲いかかってきた。
僕は息を呑み、震える手で――聖剣を抜いた。
亡者騎士団が一斉に剣を振りかざした。
鎧の軋む音と、氷のように冷たい殺気が洞窟を満たす。
「くっ……!」
リィナが鋭く剣を打ち払い、フィオナが後方で光を散らす。
ドランは大剣を振るい、数体を弾き飛ばしたが、亡者たちは霧のように再び形を取り戻す。
『ナギ、耳を貸すな! 奴らは“声”でお前を縛ろうとしている!』
ブレードさんの声が頭の奥で響いた。
だが、耳にこびりつく声は消えない。
「勇者は民を裏切った」
「勇者は仲間を見捨てた」
「お前も同じだ……お前も必ず裏切る……!」
頭の中に黒い霧が広がり、剣を握る手が震えた。
僕なんかが勇者でいいのか。
本当に仲間を守れるのか。
また……誰かを傷つけてしまうんじゃないか。
胸が苦しくなり、膝が崩れそうになった。
「ナギ!」
リィナの叫びが、現実へ引き戻す。
剣を振り下ろそうとする亡者の一撃が迫る。
思わず僕は――目をつむり、聖剣を掲げた。
その瞬間、刀身が震え、青白い光が迸った。
聖剣が僕の心に直接語りかける。
『お前は裏切り者ではない。震えながらも、守ろうとしている。それこそが“勇者の心”だ』
「勇者の……心……」
唇が震え、涙がにじんだ。
けれど、不思議と胸の奥が少しだけ軽くなる。
光が爆ぜ、亡者の剣を弾き飛ばした。
その光に怯むように、霊たちの影が一瞬揺らぐ。
僕は細い肩を震わせながら、前を見据えた。
「……僕は……裏切らない! 僕は、仲間と共に進む勇者だ!」
声が洞窟に反響し、光がさらに広がっていった。
聖剣の光は洞窟を満たし、亡者たちの甲冑を透き通るように照らし出した。
影のような身体が軋みを上げ、剣を振るう腕が止まる。
「ま、眩しい……」
「我らは……解かれるのか……」
低く濁った声が、徐々に穏やかに変わっていく。
怒りと憎しみに満ちていた眼窩が、ほんの一瞬だけ安らぎを宿した。
最後の一撃を振り下ろす代わりに、彼らは剣を大地へ突き立てる。
そして、煙のように崩れ、青白い光へと変わって消えていった。
――静寂。
重苦しい空気は消え、残ったのは冷たい石の匂いと、仲間の荒い息だけだった。
「……やった、のか?」
ドランが大剣を下ろし、肩で息をつく。
「ふん、危なっかしいったらないわね」
リィナはそう言いつつも、剣を納めながらナギを見やった。
その視線には、叱責だけではなく、確かな信頼の色が宿っている。
「ナギ君、大丈夫?」
フィオナが駆け寄り、両手でナギの肩を支えた。
回復の光が淡く包み、震えが少しずつ治まっていく。
セレスは腕を組んだまま、薄く微笑んだ。
「亡者たちの言葉に惑わされなかったな。……勇者の証だ」
僕は聖剣を見つめた。
刀身にはまだ微かな光が宿っていて、静かに呼吸をしているように見える。
『よくやった、ナギ。お前は“勇者であろうとする者”だ。それで十分だ』
ブレードさんの声が、柔らかく響いた。
胸の奥が温かくなり、自然と笑みがこぼれる。
裾をぎゅっと握ったまま、僕は小さく頷いた。
「……僕は、前に進むよ。震えても、勇者として」
そう呟いた声が、洞窟の奥へと吸い込まれていった。




