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旧砦の戦端

 砦の中は、外観以上に荒れ果てていた。

 石壁は崩れ、床には瓦礫が散らばり、天井の隙間から冷たい風が吹き抜ける。

 その風に混じって、どこからともなく黒い靄が滲み出し、ゆらゆらと揺れていた。


「……瘴気が濃い」

 セレスが目を細め、片手を掲げて解析する。

「ただの魔物のものではない。これは“呪い”の残滓だ。封印の綻びから漏れている」


「ぞわぞわする……」

 フィオナが胸に手を当て、小さく震えた。

「心臓が早くなって……息苦しい。こんなの、初めて」


 ドランは剣を肩に担ぎ、鼻を鳴らす。

「瘴気だろうが呪いだろうが、ぶった斬れば終わりだ!」


「単純すぎるのよ、あんたは」

 リィナが溜息をつき、剣を抜いて背を預ける。

「でも……正直、頼りにはなるわね。ここで怖じ気づかれても困るし」


 僕は裾をぎゅっと握り、細い肩を震わせていた。

 黒髪が頬に張りつき、青い瞳が靄の奥を見据える。


「……僕なんかで、本当に……」

 弱々しい声が漏れたそのとき、聖剣が脈動した。


『ナギ。怯えるな。お前の声が道を切り開く。

 剣はただの刃ではない――持ち主の心を示す器だ』


 胸に響いたブレードさんの声に、思わず目を瞬かせる。

 握る指が汗ばみ、呼吸が乱れる。

 でも、ほんの少しだけ……剣の温もりが心を支えてくれている気がした。


「……わかった。逃げない」

 かすかに震える声でそう呟き、僕は聖剣を握り直した。


 その瞬間――砦の奥から、不気味な呻き声のような振動が伝わってきた。

 黒い靄が渦を巻き、瓦礫の影で形を成し始める。


「来る……!」

 リィナが息を呑み、剣を構えた。


 闇の中から現れたのは、人型とも獣型ともつかぬ影。

 禁呪の残滓が生み出した、黒い“魔の端末”だった。


 闇の塊が、呻き声を漏らしながらゆっくりと形を成していく。

 骨のような手足、獣のような顎、背には砕けた鎖が絡みつき――それはもはや生物とは呼べない、呪いそのものの姿だった。


「なんだよ、あれは……!」

 ドランが眉を吊り上げ、剣を構える。


「禁呪が生んだ“残骸”。理屈で言えば、かつての人間や獣が呪いに呑まれた亡霊だ」

 セレスが冷静に告げるが、その瞳は珍しく鋭い緊張を帯びていた。


「じゃあ、やるしかないわね!」

 リィナが叫び、剣を振り抜いた。

 鋭い光の軌跡が闇の胴を斬り裂く――はずだった。


 しかし、刃は確かに当たったのに、闇は霧のように揺れ、何もなかったかのように形を保つ。


「嘘……効いてない!?」


「どきな!」

 ドランが豪快に斧を振り下ろす。

 重い一撃が床ごと叩き割るように衝撃を走らせたが、それでも闇は揺れるだけで傷一つつかない。


「ちっ……!」

 ドランが後退りする。


「やっぱり……普通の武器じゃ駄目だ」

 セレスが眉をひそめる。

「これは“概念”そのもの。呪いを切れるのは、聖剣だけだ」


 僕は裾をぎゅっと握り、呼吸を浅くした。

 仲間たちがいくら攻撃しても届かない。

 じゃあ、僕が――。


 細い指でエルセリオンを握り直す。

 刀身が脈動し、胸の奥でブレードさんの声が響く。


『ナギ。今こそ示せ。おなごの心を持つ勇者の刃を。

 恐れを超え、抱きしめろ――この世界を』


「……僕にしか、できないんだ」

 黒髪が頬に張りつき、青い瞳が淡く光を宿す。

 細い肩を震わせながらも、一歩を踏み出した。


 その瞬間、闇の怪物が咆哮し、黒い鎖を振り回して襲いかかってきた。

 石壁が砕け、瓦礫が四散する。


「ナギっ!」

 フィオナが叫ぶ。


 でも僕は――もう逃げない。


 黒い鎖が唸りを上げ、僕の身体を絡め取ろうと迫ってくる。

 冷たい風が頬を切り裂き、裾をぎゅっと握る指先が震えた。


「……こ、来ないでっ!」

 思わず声を上げ、細い腕で聖剣を掲げる。

 その仕草は華奢で頼りなく、まるで花を摘むように弱々しかった。


 だが――


 エルセリオンが強烈な脈動を放ち、刀身が白銀の光に包まれる。


『応えろ、ナギ! その心を剣に乗せろ!』


「――お願い、ブレードさん!」


 振り下ろした瞬間、鋭い閃光が鎖を貫いた。

 霧のように拡散していたはずの呪いが、悲鳴を上げて消散していく。


「効いてる……!」

 リィナが目を見開く。


 怪物が再び咆哮し、巨大な腕を振り下ろした。

 床が砕け、瓦礫が飛び散る。

 ドランが盾で防ごうとしたが、衝撃に押されて吹き飛ばされる。


「くっ……!」

 ドランが呻き声を上げる。


 僕は咄嗟に前に出た。

 細い肩が揺れ、青い瞳に涙の光が浮かぶ。


「やめてよっ……!」

 声は震えていた。

 けれどその瞬間、聖剣から迸る光が砦の闇を裂き、怪物の腕を切り払った。


『それでいい、ナギ。お前の弱さも、優しさも――全て剣は力に変える』


 闇が後退りし、鎖がバラバラにほどけて床に落ちる。

 仲間たちが息を呑み、その光景を見つめていた。


「……ナギ。あんた……本当に……」

 リィナの声は驚きと感嘆で震えていた。


 僕は裾をぎゅっと握りしめ、剣を胸に抱きかかえながら呟いた。

「僕なんかでも……仲間を、守れるんだ……!」


 その刹那、エルセリオンが再び脈動し、刀身に刻まれた紋様が淡く光った。

 まるで、まだ眠る“真の力”が奥底で目を覚まそうとしているかのように。


 砦の奥で、怪物が断末魔の咆哮を上げた。

 黒い瘴気が爆ぜるように散り、崩れかけた石壁が低く唸りをあげる。

 光の粒が宙を舞い、まるで夜明けのように砦の中を満たしていった。


「……やった、のか?」

 ドランが肩で息をしながら、剣を下ろした。


「完全じゃない」

 セレスが静かに首を振る。

「今のはあくまで“禁呪の影”の一部にすぎぬ。本体はまだ封じられている。だが……それを揺り動かしたのは確かだ」


「はぁ……びっくりしたぁ……」

 フィオナは胸を撫で下ろし、安堵の笑みを浮かべた。

「でも、ナギがいなかったら、きっと私たち全員……」


 視線が一斉に僕に集まる。

 頬に張りついた黒髪を払い、青い瞳を揺らしながら、僕は裾をぎゅっと握った。


「ぼ、僕なんか……まだ全然頼りないのに……」


「違う」

 リィナが真剣な声で言った。

「さっきあんたが前に出なきゃ、ドランは潰されてた。……あれは、勇者の動きだったわ」


「お、おいリィナ、素直じゃねぇな!」

 ドランが照れくさそうに頭をかく。

「でも、俺も同意だ。お前はもう立派に“勇者”だぜ、ナギ!」


 思わず顔が熱くなり、視線を逸らした。

「そ、そんな……僕なんか……」

 声は小さく震えていたが、胸の奥では確かに温かいものが広がっていた。


 そのとき、ブレードさんの声が再び心に響いた。

『よくやった、ナギ。しかし油断はするな。お前の心が揺らげば、この剣は容易に暴走する』


 ――暴走。

 その言葉に胸がざわつく。


「……わかってる。僕は……僕でいなくちゃ」

 聖剣を胸に抱き、僕は小さく頷いた。


 崩れゆく砦を後にすると、夜空には無数の星が瞬いていた。

 冷たい風が外套を揺らし、細い肩を震わせる。

 けれどその震えは、恐怖だけではなく――小さな決意の証でもあった。


「さぁ行こう」

 僕は振り返り、仲間たちに微笑んだ。

「……僕たちの旅は、まだ始まったばかりだから」


 その言葉に、皆が頷いた。

 旧砦に残された不穏な影を背に、僕たちは次の地へと歩み出す。



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