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勇者姫と呼ばれて

 光は収まっていた。

 ただの石にしか見えなかった台座から、細い指先で抜き取られた一本の聖剣が、まだほのかに青白い輝きを放っていた。


「……え、僕、ほんとに……?」


 聖剣を握るナギの肩は小刻みに震えていた。華奢な腕に似合わない重厚な剣。それなのに、その剣は羽根のように軽く感じられた。


 彼の横顔は少女のように繊細で、長い睫毛が震えるたび光を受けて煌めいた。濡れた黒髪が頬に張りつき、まるで水辺から引き上げられた精霊のように儚い。


『選ばれし者よ――』


 澄んだ声が、ナギの頭の奥に響いた。

 聖剣そのものが語りかけているのだと、すぐに理解できた。


『我が主にふさわしき“勇者姫”よ』


「っ……! ちょ、ちょっと待って! 勇者はともかく、姫って……僕、男だよ!?」


 顔が一気に赤く染まる。細い喉を押さえ、声を裏返しながら否定するナギ。しかし聖剣はあっさりと答える。


『外見や名など関係ない。お前は“女のごとき心”を宿す勇者――それが真実だ』


 ナギは言葉を失った。

 長年「女みたいで気持ち悪い」と笑われ続けたあの心こそが、今、資格とされた。


「……そんなの、嘘だ。僕なんかが、勇者だなんて……」


 裾をぎゅっと握りしめ、視線を逸らす。肩をすくめるその仕草は、ますます“少女”のようで、しかし確かに一人の「勇者」として選ばれていた。


「勇者姫、だなんて……」

 ナギは耳の奥で反響するその呼び名に、思わず身を縮めた。胸の奥が熱くなり、同時に恥ずかしさで心臓が暴れる。


『気に入らぬか?』


「き、気に入らないっていうか……! 僕は、姫なんかじゃない……」

 黒髪を指先で払う仕草もぎこちなく、視線は床に落ちてしまう。頬は赤く火照り、唇が小さく震える。


『だが、その心は誰よりも柔らかく、誰よりも強い。打ち砕かれてもなお、他者を想える――それが“女の心”』


「……女のごとき心……」

 つぶやきながら、ナギは胸の前で両手をぎゅっと重ねた。濡れた外套の裾が泥に引きずられているのも気づかないほど、言葉に囚われていた。


 思い出すのは、パーティにいた頃のこと。

 笑われ、軽蔑され、居場所を奪われても、それでも誰かの役に立ちたいと願っていた自分。


「……僕なんか、弱くて、役立たずで……。それでも――みんなが笑っていたときの光景が、忘れられなくて……」

 青い瞳が揺れ、雨粒のような涙がにじむ。


『それでいい。それこそが、剣が待ち続けた心だ』


 聖剣はあたたかく脈動し、ナギの胸の鼓動と重なる。

 握る手が細くても、震えていても、不思議と剣は落ちない。まるで、彼の指先に合わせてくれるかのようだった。


 ナギは裾を握る手を離し、代わりに両手で剣の柄を抱きしめた。

「……僕が、本当に……勇者、なの……?」


 聖剣が光を放った。

 ナギの胸の奥から広がった温もりが、刀身を通じて空間に溢れ出していく。


『契約は果たされた。我が主は、お前だ』


 その声に合わせ、神殿の壁に刻まれた古代文字が淡く浮かび上がる。

 虹色の光が天井を駆け、外の世界へと解き放たれた。


「……わ、わぁ……!」

 ナギは思わず声を漏らし、剣を握る手を胸に引き寄せる。華奢な指が白銀の柄をきゅっと包み込み、睫毛には涙の粒が光っていた。


 その瞬間――城下や王都のあちこちで人々が空を見上げた。

 聖剣が抜かれた証として、夜空に巨大な紋章が浮かび上がったのだ。


「聖剣の光……! まさか、抜かれたのか!?」

「勇者が現れたというのか!」


 兵士や神官たちが慌てて駆け出していく。

 そして、かつての仲間たち――勇者クライドの耳にも、その報せが届こうとしていた。


 ナギは剣を抱きしめたまま、怯えたように肩をすくめる。

「ど、どうしよう……僕、ただ触っただけで……」

 濡れた黒髪が頬に張りつき、赤らんだ顔を半分隠していた。


『恐れるな。世界はお前を待っていたのだ』


 聖剣の声はやさしく、けれど逃れられぬ重みを帯びていた。


 神殿の奥へと走ってきた兵士や神官たちが、息を呑んで立ち尽くした。

「……聖剣が……抜かれている……!」

「まさか、この子が……?」


 視線が一斉にナギへ注がれる。

 濡れた黒髪が頬に張りついた華奢な少年――いや、少女にしか見えない姿に、誰もが言葉を失った。


「勇者姫……!」

 最初の神官が叫ぶと、その場の空気が一気に変わった。

「救世の勇者姫だ!」

「我らが希望だ!」


「ひ、姫!? ちょ、ちょっと待って! 僕は男だってば!」

 ナギは顔を真っ赤にして両手を振り、慌てて否定する。裾をぎゅっと握りしめ、睫毛を震わせながら涙目になる姿は、否定すればするほど余計に「姫」に見えてしまう。


 聖剣の声が笑うように響いた。

『……余は《エルセリオン》。古より“女の心”を持つ勇者を待っていた剣だ』


「エル……セリオン……」

 ナギは小さく呟き、剣を胸に抱きしめた。白い指先が柄を包み込み、まるで大切な宝物を守るようだった。


 だが、次の瞬間――

「な、なんか長くてカッコよすぎて呼びにくいよ……。ええと……じゃあ、ブレードさん!」

 頬を赤らめながらも、無理やりそう呼んでしまう。


『……ぶ、ブレード……さん……?』

 聖剣――いや、エルセリオンは言葉を詰まらせ、しばし沈黙した。


 兵士たちは顔を見合わせ、ざわめく。

「勇者姫さま……今、聖剣にさん付けしたぞ……?」

「な、なんか……妙に親しげだ……」


 ナギは真っ赤になりながら俯き、裾をぎゅっと握った。

「だ、だって長いし……僕なんか、気軽に呼んだ方が……落ち着くし……」


 ブレードさん――エルセリオンは、やがて小さく笑うように脈動した。

『……よかろう。我が主よ。余は“ブレードさん”でも構わぬ』


 その瞬間、ナギの胸に温かさが満ちた。

「……ありがとう、ブレードさん」


 こうして、追放された男の娘ナギは、聖剣エルセリオン――通称ブレードさんと共に歩み出すこととなった。


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