禁呪の影
王都の中心、白亜の石壁に囲まれた王城。その大扉を前にして、僕は裾をぎゅっと握った。
胸が高鳴る。けれど、それは喜びだけじゃなく、不安や緊張も混ざっている。
「ナギ、顔がこわばってるぞ」
隣でドランが豪快に笑う。
「大丈夫だ。お前は聖剣に選ばれたんだ。胸を張れよ!」
「そ、そうは言っても……僕なんか……」
言いかけて、視線を逸らす。青い瞳は足元の石畳を映し、頬はほんのり赤くなった。
「もう、そういう言い方はやめなさいって」
リィナが呆れたように吐き捨てる。
「王城から正式に呼ばれてるのよ。つまり、あなたが勇者だって認められたってこと」
セレスは外套の襟を直し、淡々と付け加える。
「王城が軽々しく“勇者”を名乗らせるわけがない。これは大きな意味を持つ一歩だ。心しておけ」
最後に、フィオナが僕の手をそっと握った。
「大丈夫。ナギは一人じゃないから」
その微笑みに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
重厚な扉が開き、侍従の声が響いた。
「聖剣の勇者ナギ様、ご入場を」
広がる謁見の間。王と重臣たちが居並び、視線が一斉に僕に注がれる。
濡れた黒髪が肩に流れ、細い体が場違いに思えて、思わず肩をすくめてしまった。
『怯むな、ナギ。剣はお前に応えている。ここで引けば、選ばれた意味が薄れるぞ』
胸の中に響くのは、ブレードさん――聖剣エルセリオンの声。
「……わかってる」
小さく呟き、細い指で柄を握り直す。
青い瞳に王の姿を映し、僕はゆっくりと歩みを進めた。
玉座の間は、重苦しい静寂に包まれていた。
王冠を戴く老王が、鋭い眼差しで僕を見下ろしている。その横には宰相や騎士団長が控え、息をひそめていた。
「――ナギよ」
王の声が石壁に反響する。
「聖剣エルセリオンを抜いたその事実、すでに王都全域に広まっておる。誰もが驚き、誰もが信じぬ者はおらぬ」
広間のざわめきが一瞬止まり、次の言葉を待つ空気が張り詰める。
「よって余はここに宣言する。お前こそ、真の勇者である!」
その瞬間、重臣たちの間からどよめきが走った。
「ついに新しい勇者が……!」
「聖剣が認めたのならば間違いない!」
人々の視線が一斉に僕へ注がれる。
頬が熱くなり、裾をぎゅっと握る指が震えた。
小さな肩がこわばり、青い瞳が伏せられる。
(ぼ、僕なんかが……ほんとに……?)
『事実を恐れるな、ナギ。剣は嘘をつかぬ』
ブレードさんの声が、静かに胸を支える。
「……は、はい」
か細い声で返事をすると、玉座の間の空気が少しだけ和らいだ。
だが、王の表情は厳しいままだった。
「しかし同時に、報告がある。北の旧砦地区に眠る“禁呪の宝庫”が、何者かに狙われている。もし解き放たれれば、国は混乱に陥ろう」
ざわめきが再び広がる。
セレスが目を細めて低く呟いた。
「やはり……禁呪宝庫は実在するのか」
「ナギ」
王の声が再び響く。
「その聖剣と仲間をもって、禁呪の宝庫を調査し、悪用を防いでほしい」
王都の重臣たちの視線が突き刺さる。
僕は細い指を胸にあて、エルセリオンの温もりを感じながら、深く息を吸い込んだ。
「……僕にできるでしょうか。でも……逃げません。やってみます」
青い瞳に決意の光を宿し、僕はそう答えた。
王城の宣言が広場へと伝わる頃、街の裏路地には怒りと焦燥が渦巻いていた。
クライドは荒い息を吐き、壁に剣を叩きつける。火花が散り、金髪が乱れ落ちた。
「ちくしょう……! 俺が勇者だってのに……!」
握る手は震え、蒼い瞳は血走っている。
「クライド様……どうかお気を確かに!」
リディアが縋りつき、涙声で必死に訴える。
「聖剣なんて偶然です! あなたこそ本物の勇者ですわ!」
「偶然じゃねぇ!」
怒鳴り返す声は掠れていた。
「剣は俺を拒んだんだ……あのガキに……!」
そのやり取りを冷ややかに眺め、セリオスが眼鏡を押し上げる。
「だが、まだ打つ手はある。聖剣が駄目なら、それ以上の力を手にすればいい」
「……禁呪の宝庫か」
クライドが顔を上げると、セリオスの口元が不敵に歪む。
「そうだ。旧砦の地下に眠る“禁呪”は、王国が最も恐れる遺産だ。もし手に入れれば……聖剣すら凌駕できる」
リディアの瞳が狂気に濡れる。
「素晴らしいわ……! その力で、あの小娘の真似事をしたナギを叩き潰しましょう!」
だが一人、ガルドだけは唇を噛んでいた。
「……本当に、それでいいのか……?」
大きな拳が震える。
彼の心には、濡れた黒髪の少年の姿が焼きついていた。
しかしクライドはそんな迷いを振り払うように嗤った。
「決まってるだろ。俺が勇者だ。俺のためにある世界を、取り戻すんだ!」
夜の闇に、三人の影が消えていく。
その行く先には、禁呪の気配が静かに蠢いていた。
王城での謁見を終えた僕たちは、夜の帳が下り始めた王都の大通りを歩いていた。
街灯に照らされた石畳に、僕の影が細く揺れる。
「……僕に、できるかな」
思わず漏れた声は、夜風にさらわれるように小さく響いた。
裾をぎゅっと握る指が汗ばんでいる。
「おいおい、弱気なこと言うなよ!」
ドランが豪快に肩を叩き、にかっと笑う。
「聖剣が選んだんだ。俺たちがついてる。心配すんな!」
「それに、正式に王に認められたんだし」
リィナは視線を逸らしながらも、肩をすくめて言う。
「もう“僕なんか”って言い訳は通じないわよ」
セレスは歩きながら淡々と補足した。
「禁呪の宝庫は危険極まりない。だが放置すれば国は滅ぶだろう。選ばれた者にしか果たせぬ役目だ」
フィオナが僕の手を握り、優しく微笑む。
「だからこそ、ナギに託されたんだよ。大丈夫、一緒に進もう」
胸の奥でエルセリオンが脈打つ。
『そうだ。怯えるな。これは試練だが、同時に力を知る機会でもある』
ブレードさんの声が、静かに心を支える。
「……うん。僕、逃げない」
濡れた黒髪が肩に落ち、青い瞳に灯る決意を隠せなかった。
「行こう。北の砦へ」
仲間たちが頷き、歩みを揃える。
夜空に瞬く星々が、その背中を見守るように光っていた。




