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偽りの勇者、失墜

 広場を逃げ出したクライドは、息を荒げながら街の裏路地へと駆け込んだ。

 蒼白な顔に浮かぶのは怒りと恐怖。金髪は乱れ、握った剣はなおも震えていた。


「ち、違う……あれは何かの罠だ……!」

 歯ぎしりしながら吐き捨てるが、その声に力はない。

 群衆の視線に晒されたときの屈辱が、まだ胸を焼いていた。


 後を追うように、リディアが裾を翻して駆けてくる。

「勇者様! どうかお気を確かに! あの子は偽物です! 民衆が惑わされているだけ!」

 必死に取り繕おうとする声も、かすかに震えていた。


 セリオスは冷や汗を拭いながら眼鏡を押し上げる。

「……聖剣が拒絶したのは事実。理屈では説明できん。だが……それでも認めるわけにはいかん」

 彼の瞳に宿るのは焦りと苛立ちだった。


 最後に現れたのはガルド。

 肩で息をしながらも、彼は拳を握りしめ、言葉を絞り出す。

「クライド……俺は……」

 だが続きは言えず、唇を噛む。その瞳に映るのは、濡れた黒髪の少年――いや、聖剣を掲げたナギの姿だった。


 街の広場では、噂がもう駆け巡っている。

「偽勇者が晒された!」

「いや、聖剣が選んだのはあの子だ!」

「新しい勇者が現れたんだ!」


 その声は夜風に乗り、路地裏まで響いてくる。

 クライドの顔は、さらに歪んだ。


 広場のざわめきが収まり、ようやく人々が散り始めた。

 でも僕はまだ、その場に立ち尽くしていた。


 濡れた黒髪が頬に張りつき、細い指は無意識に裾をぎゅっと握りしめている。

 青い瞳には、光と影が同時に映っていた。


「……僕なんかが……本当に勇者でいいのかな……」

 声は小さく震え、誰に聞かせるでもなく零れ落ちた。


 そんな僕の肩に、そっと手が置かれる。

「ナギ。君が選ばれたのは偶然なんかじゃない」

 落ち着いた声でそう告げたのは、エルフの学者セレスだった。

 琥珀色の瞳が真剣で、どこか柔らかい。


「そうそう!」

 元気な声で割り込んできたのは、リィナ。ツンとした態度のはずが、今日はどこか頬を赤らめていた。

「聖剣が応えたんだから、間違いないでしょ。……あんた、もう“役立たず”なんかじゃないんだから」


「お、おう。俺もそう思うぜ!」

 大きな背中で笑ってくれたのはドラン。豪快なお人好しの兄貴分が、迷いなく拳を突き上げる。

「俺たちがついてる! 胸張れよ!」


 最後に、柔らかく微笑むフィオナが近づき、濡れた外套を直してくれた。

「ナギ君はね、すでに人の心を救ってる。勇者って、そういう人のことを言うんじゃないかな」


 あたたかな言葉が、冷え切った胸の奥に少しずつ染み込んでいく。

 裾を握る指先が、ほんの少し緩んだ。


『……そうだぞ、ナギ。お前の“心”は臆病ではない。人を想い、弱さを抱えながらも立ち向かおうとする強さだ』

 ブレードさんの声が胸の奥で響き、剣身がわずかに光を放つ。


「……僕でも……いいのかな」

 頬を赤らめ、震える声で呟いた。

 その瞬間、仲間たちの瞳が揃って頷いたのを、僕は見逃さなかった。


 王都の裏路地。華やかな広場の喧騒から遠く離れた暗がりで、クライドは壁に拳を叩きつけていた。

「ぐっ……! なんでだ! なんであの小娘みたいな奴が……!」


 金髪は乱れ、蒼い瞳は血走っている。

 聖剣に拒絶され、群衆に見放された――その屈辱が全身を焼いていた。


「クライド様……落ち着いてください……!」

 涙目で縋りついたのはリディア。だがその腕も乱暴に振り払われる。


「黙れ! 俺は勇者だ! 俺以外にあるものか!」


 怒号が夜気を震わせ、セリオスが冷笑を浮かべて眼鏡を押し上げた。

「……だが、事実として聖剣はお前を拒んだ。理屈の上でも、勇者の称号はナギに移った」


「ちっ……!」


 吐き捨てるような声に、ガルドが重苦しく拳を握る。

「クライド……俺は……」

 だが最後まで言葉を続けられず、沈黙したまま地面を見つめた。


 そんな中、リディアが必死に声を上げる。

「いいえ! まだ終わっていません! 聖剣だけが力じゃない……王都には“禁呪の宝物庫”があるはず。あれを手にすれば――」


 セリオスの目が鋭く光る。

「なるほど……力でねじ伏せるというわけか」


 クライドの唇が歪み、狂気めいた笑みを浮かべた。

「そうだ……俺は諦めん。あのガキを叩き潰し、聖剣ごと奪い返してやる……!」


 夜の闇に、その笑い声が溶けていった。


 夜が明け、王都の空は淡い茜から水色へと移り変わっていった。

 広場の余韻はまだほんのり残っている。だが僕の胸の中は、祝福の温度だけでは満たされていなかった——どこかで冷たい影が蠢いている気配がする。


「昨夜の騒ぎ、王城ではすでに諸侯たちが噂を交わしているだろうな」

 セレスが肩にかけた外套を直しながら、淡々と告げる。彼の声は観察者そのもので、いつもより少し厳しい響きが混じっていた。


「ふむ、好かれようと嫌われようと、王都は政治の渦が渦巻く場所だ」

 ドランが大きく伸びをしてから、にやりと笑う。

「だが、おれたちがついてる。面倒なやつらはまとめてぶっとばすだけだぜ!」


 リィナは片眉を上げ、僕に向かって小さく吐き捨てるように言った。

「変に舞い上がるな。祝福は今日だけで、明日には次の槍が飛んでくるかもしれないんだから」

 でもその顔は、昨夜ほど硬くはなく、どこか安心も混じっている。


 フィオナは柔らかな声で言葉をつなぐ。

「みんなが怖がってるのは、本当の敵が誰なのか見えないからだよ。私たちが一つずつ、明かしていけばいい」

 彼女の手が、そっと僕の小さな手を包み込む。温かさがじわりと胸を満たした。


 そんな僕たちに、王城の侍従からの密書が届いた。封は王家の紋章——だが中身はひどく短い。

《禁呪の宝庫に関する動きあり。速やかに王に謁見を——》


 その一行が、僕の心をざわつかせた。禁呪の宝庫――リディアが叫んでいた“禁呪の宝物庫”だ。もしクライドたちがそれを手に入れれば、聖剣の有無を別にしても事態は一変するだろう。


『やはりか。奴らが手をこまねいているとは思えん』

 ブレードさんの声が僕の耳に届く。剣身がわずかに震え、胸の奥に冷たい確信を落とした。


「つまり、先手を打つ必要があるってこと?」

 僕は震える声で訊ね、裾をぎゅっと握りしめた。指先の力が、何かを決意するように固まる。


「そうだ」

 セレスが短く頷き、地図帳を広げる。

「行き先は北の旧砦地区。禁呪庫の管理を担当していた老騎士の屋敷がある。そこに手がかりがあるかもしれん」


「なら俺たちで確かめてやる!」

 ドランが拳を掲げ、いつもの豪快さを取り戻す。リィナが小声で「めんどくせぇ」と呟くが、その目は真剣だ。フィオナは祈りを整え、優しく笑った。


 僕はエルセリオンを胸に抱きしめる。刃の温もりが、今は暖かさだけでなく、責務の重さも伝えてくる。

(——僕は逃げない。仲間がいる。剣がある。正しいことを、次は自分たちの手で守るんだ)


 夜明けの風が、穏やかに僕たちの外套をはためかせた。

 その風の中で、僕は小さく息を吐き、仲間たちと共に足を進める。王城の祝宴の余韻を背に、余波は新たな局面へと動き出す——僕たちの戦いが、今まさに始まろうとしていた。

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