光と影の行進
王城の大門が、荘厳な音を立てて開かれた。
陽光を反射する白亜の石畳、その上に真紅の絨毯が敷かれ、左右には整列した騎士たちが槍を掲げている。
「――聖剣の勇者に、万歳!」
「勇者ナギ様、万歳!」
割れるような歓声が広場から押し寄せ、空に舞った花びらが、虹のように降り注いだ。
その中心に立つ僕は、裾をぎゅっと握りしめ、頬を赤く染めていた。
青い瞳が光に潤み、細い肩はわずかに震えている。
「ぼ、僕なんかが……こんなふうに迎えられるなんて……」
声は震えていたけれど、エルセリオンの脈打つ光が背を押してくれる。
隣でフィオナが微笑み、ドランが誇らしげに胸を張り、リィナが鼻を鳴らす。
セレスは冷ややかに囁いた。
「まるで神話の一幕だな。だが、これは事実だ。君が選ばれた」
絨毯の端で振り返った僕の視線の先――。
そこには、群衆の中に押し込まれるようにして歩かされる旧勇者パーティの姿があった。
「な……なんで、誰も俺を見ない……!」
クライドは金髪を振り乱し、必死に叫んだ。
「俺が勇者だ! 俺なんだ! ナギなんかに負けるはずが……!」
だが群衆は、もう彼を見なかった。
声援も、拍手も、冷たい目すら向けられない。
リディアは蒼白な顔でクライドにすがり、セリオスは唇を噛んで目を逸らす。
ガルドだけが拳を握りしめ、苦しげにうつむいていた。
光に包まれた僕たちと、影に沈む彼ら。
その対比は残酷なまでに鮮やかで――。
「……行こう」
僕は小さな声で呟き、絨毯の先へ歩み出した。
王城の大広間は、金と瑠璃で飾られた荘厳な空間だった。
天井には巨大なシャンデリアが輝き、壁には歴代勇者の肖像画が並んでいる。
だが――その中央に立つ僕の姿に、誰もが目を奪われていた。
「これが……聖剣の勇者……」
「女神のようだ……」
囁きは畏敬と熱狂を帯び、まるで僕を神話の登場人物に見立てるかのよう。
裾を握る指先は汗ばみ、頬は熱に染まる。
だけど、エルセリオンの温もりが震えを和らげてくれていた。
「勇者ナギよ」
王が玉座から立ち上がった。白髭を揺らし、威厳を込めた声が大広間に響く。
「この国と民を救ったのは、そなたの勇気と聖剣の光である。我らは真の勇者を迎え入れる」
その言葉に、大広間が歓声で震えた。
フィオナが涙ぐみ、ドランが「おう!」と拳を掲げる。リィナはそっぽを向きながらも、耳まで赤くなっていた。
セレスは淡々と、しかし誇らしげに「歴史が書き換えられる瞬間だ」と呟いた。
一方――広間の隅に押しやられた旧勇者パーティは、冷たい視線を浴びていた。
「彼らが……偽りの勇者だ」
「聖剣に見放された者に、国を託すわけにはいかぬ」
ざわめきが彼らを突き刺し、足元から冷気のように迫る。
「ふざけるな!」
クライドが叫び、必死に剣を抜こうとした。
だがその刃は、エルセリオンの前で鈍い鉄にすぎない。
彼の手は震え、汗で滑り、剣先すら定まらなかった。
「どうしてだ……! 俺は勇者だろ……!」
その叫びはもはや誰にも届かない。
王の声が再び響いた。
「偽りはここまでだ。真の勇者は、この少年――ナギただ一人」
歓声が再び広間を包み込み、旧勇者パーティの居場所は完全に消え去った。
祝宴の席は、光と歓声であふれていた。
長机には色とりどりの料理が並び、黄金の杯に注がれた葡萄酒が煌めく。
人々は「勇者ナギ」に酔いしれ、口々に賛美を捧げた。
「ほら、ナギ様! このパンを!」
「いやいや、果実酒を!」
差し出される皿や杯に戸惑い、僕は裾を握ったまま小さく肩をすくめた。
頬は熱を帯び、細い指先が震える。
青い瞳に映る無数の光景は、まだ夢の中のように現実味がなかった。
『浮かれるな、ナギ』
胸奥で、ブレードさんの声が低く響く。
『人の心は光にも闇にも染まりやすい。真の勇者と持ち上げられたそなたに、嫉妬と怨嗟を向ける者もいる』
その言葉と同時に、背筋がひやりとした。
視線の端に、冷ややかな眼差しが潜んでいたからだ。
リディアは杯を握りつぶしそうなほど力を込め、震える声で「間違いよ……」と呟いていた。
セリオスは黙って眼鏡の奥から僕を観察し、計算するような光を宿している。
そして――クライドは、なおも蒼白な顔で僕を睨みつけていた。
「……俺が、負けるはずがない……」
誰に聞かせるでもなく、唇から漏れるその言葉。
けれど群衆の喧噪にかき消され、誰も振り向く者はいなかった。
そのとき、会場の窓辺を冷たい風が撫でた。
炎の灯が揺らぎ、一瞬だけ影が伸びる。
その中で――黒いフードをかぶった人物が、こちらをじっと見ていた。
「……っ!」
息を呑む。
だが視線を戻した瞬間には、もう誰の姿もなかった。
『気付いたか、ナギ』
ブレードさんの声が鋭さを帯びる。
『あれは闇の兆し。この祝宴は序章にすぎぬ。真の試練は、これからだ』
胸の奥が締めつけられる。
青い瞳に映る光景が、華やかさと同時に、不穏な影を帯びていくのを僕は感じていた。
夜は更け、宴の喧噪も少しずつ落ち着きを見せていた。
煌びやかな灯火の下、人々の歌声が遠くで続く。
僕は広場の片隅に腰を下ろし、冷たい夜風に濡れた黒髪を揺らしていた。
細い指で裾をぎゅっと握り、深く息を吸い込む。
頬はまだ赤く、青い瞳には光と影が交じって映っている。
「……僕なんかが、勇者なんて」
声は震え、吐息に混じって夜空へ消えていった。
けれどその胸奥には、確かに温もりがあった。
――仲間たちの存在だ。
「ナギ」
優しい声と共に、フィオナがそっと隣に腰を下ろす。
彼女は籠から取り出したパンを差し出し、にこやかに笑った。
「食べなきゃだめだよ。勇者だって、お腹は空くんだから」
僕は一瞬ためらったが、小さく笑って受け取った。
唇に触れる温もりに、涙がこぼれそうになる。
「俺も隣いいか?」
ドランが豪快に腰を下ろし、大きな手で背中をぽんと叩いた。
「細っこい肩だが……芯は強ぇ。お前は胸張ってりゃいいんだ」
「ふん。調子に乗らないでよ」
リィナが腕を組み、ツンと横を向いた。
だが頬が赤く、青い瞳を盗み見る仕草に、思わず笑ってしまう。
「……観測すると、どうにも不合理だな」
セレスは杯を掲げ、月明かりに透かすように呟いた。
「だが、不思議と心は納得している。勇者は君だと」
その一言が、胸の奥に静かな確信を灯した。
僕は裾を握る手を緩め、青い瞳を夜空に向ける。
『……忘れるな、ナギ』
ブレードさんの声が再び響く。
『選ばれた者は、光だけでなく影も背負う。これから先、真に試されるのはそなたの“心”だ』
夜空に瞬く星々は、美しくも冷たい。
けれど隣には仲間たちがいて、聖剣の温もりが胸にある。
「……うん。僕、逃げないよ」
かすかな声で呟いた言葉は、夜風に溶け、やがて小さな誓いとなって胸に刻まれた。
こうして祝宴の夜は幕を下ろす。
だがその背後で、闇の影は確かに動き始めていた。
――新たな試練と、報いをもたらす夜明けが、もうすぐそこに迫っていた。




